主に言われているのは、他の人が取って、残ってしまったものにいいものがある、ということです。
常識外れですね。普通はたくさんある中で一番いいものを選びたいのですから、いいものから無くなっていきます。残ったもののほうがいいということは、ほとんどありません。
しかし、そう実感することもあります。争っていいものを取り合っていると、目先のことしか見えません。ぱっと見はよくなくても、じっくり見てみるといい、というものは意外にあったりします。一刻も早く取ろうと気がせくと、そういうことが分からなくなります。
つまり、焦るな、思慮深くあれ、ということです。
別の見方もできます。上記のようなことはあるものの、やはり残ったものは劣っていることが多いことは否めません。しかし、それは「こういうものが欲しい」ときに、「そういうことにいいものです」となっているものから選んでいます。
しかし、たいていのものは別の使い道があったりします。それは、もともとの使い方を強く意識していると見えないことが多いです。でも、もともとの使い方からすれば劣るから残ったものを見ていると、別の使い方を思いつくことがあります。
こうだという思い込み、こういうものが欲しいという欲を捨ててみると、別のいい面が見えて来て、こっちには不向きだけど、あっちにはいい、と分かったりするわけですね。
つまり、欲や思い込みを捨ててみろ、ということでもあります。
まだ、あります。残りものでもいいと思っているなら、先を争って取り合いはしません。むしろ、他人に譲ります。譲ってくれる人がいると、つい自分も少しは他人に譲ろうという気分が起きます。譲り合う人が多い世界は、住みやすくていいですね。実は、取り合うよりも譲り合う方が、必要としている人に必要なものが届きやすいのです。
つまり、率先して謙虚に譲り合うのがいいよ、という勧めにもなっています。
その他、いろいろこのことわざから教訓を得ることができるように思います。このことわざをいい方向に使えば、本当に残りものには福があります。
お礼
ありがとうございます。