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カントの言う認識と判断について
カントの言う認識と判断について 以前カントの認識と判断における純粋とアプリオリの違いについて説明したのですが2つ回答をした時点で分からなくなったことが一つありそれは認識と判断の違いです。この部分のなんとなくの違いは説明できるのですが回答として成り立つような説明が出来ませんでしたそこで妙に引っかかってしまい試行錯誤した結果次のような回答になりました。 ----- 認識と判断は不可分であり以下のような経緯により成り立つ 認識⇒判断⇒認識(不可分)、この経緯により認識と判断を不可分に行っている。 詳しく言うと判断し認識した、認識して判断した、などは判断した瞬間に認識しており認識した瞬間に判断しているというものである。この不可分な次元で認識はカテゴリーそのものを基準とした考えなので純粋である場合と非純粋である場合がありこれもまた不可分である。判断はその組み立てや妥当性における形成なのでその部分のみで言えば純粋である。しかし組み立ての材料そのものなどは認識により引き出されるのでそれを組み合わせればアプリオリな判断と言える、しかしここで逆を考えてみると奇妙なことに気がつくそれは認識するという行為は判断しているが故に派生させられる現象だからである。つまり色を認識するにも色を判断して同時に認識しているからである。つまり認識するにも判断が必要であるということで自明である。 --- と認識したのですがどうでしょうか?
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noname#112728
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お礼
回答ありがとうございます。いろいろお付き合い頂ありがとうございます。 >下の文章に関しては~なぜ見えるのか、なぜ聞こえるのか、と、なぜ分かるのか、の原理が違うことを承知して、両者の境界が厳密には決められないと言うことでしたら、それはそれで1つの見解でしょうね。 いや~まったくそのことを言いたかったんですよ、おそらく前回の質問者さんもそこで引っかかっていたのではないかと思って考えてみたんですが境界線というのは流動的であったり可分し難かったりする場合があったりするのではないかと思い質問してみました。
補足
カントが間違えているかどうが分かりませんが、先験的判断というのは判断の仕方でよろしいでしょうか?