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神さまっていると思いますか
神さまっていると思いますか また死んだお母さんは神さまがいる天国にいて今も自分を見守ってくれているとおもっていると信じている幼稚園児のaちゃんがいて 逆にお母さんに虐待されて母親に恨みを持っている b君がいるとします その二人が何が原因かわかりませんが神さまはいる! いや神さまはいない!の神さま論争になってしまいました 皆さんはこのようなとき二人をどのように納得できるよう説得しますか どんな意見でもいいので御回答よろしくお願いします ちなみに僕は神さまはいると思います .
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aちゃんに「お母さんは天国に居て 神様と一緒にaちゃんの事を見守ってくれてるよ」と言えば ひょっとするとaちゃんはそれを信じるでしょう それから神様を心に宿して生きて行くかもしれません 同じ様にbちゃんにこの世に神様なんて居ないんだよ あれは大人が嘘をついてるんだよ」と言えば それを信じていくでしょう。 どちらの人生が幸せか それは死ぬまで分かりません 私はカトリック幼稚園に通ったと言うだけで 神に親近感は持っていますが 神が居るとは思っていません 神という考え方が在るのは知っています 新約聖書も大分読みましたし 旧約もちょっとですが読みました 旧約の頃の神は怖いですねえ 地震 雷 神 おやじ?ですよ。 つまり神という考え方をしてる人が世界には大勢います それはそれで言いと思います 中には神に裏切られた思いで神を信じなくなる人も居るでしょう 逆にきっかけがあって神を信じるようになる人も居るでしょう 問題は信じても 信じなくても この世の道理をわきまえて 世の中でよい方向に生きて行けるかです 神を信じない人にも良い人は一杯います 逆に神を信じてる人にも悪い人はいます 真摯に謙虚に自分の人生を愛を持って生きることが出来るなら どちらでも可能な時代になったのだと思います これが思想信条の自由ですね^^
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- 雪中庵(@psytex)
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この「世界」そのものが、自我仮説の相補としての時空仮説= 自己存在のための必要に他ならない以上、本当に必要ならあります。 ただし、そうした有限的存在性は、超弦>クォーク>素粒子>原子> 分子>細胞>個体といった階層現象性に付随して派生している以上、 原理的に探求すれば「本当は無い」という点では、神もコップも同じで、 あくまで現象表面的に「信じ」る事によってのみ「ある」のです。 (「コップ」という存在はなく、100%ケイ酸系分子の集合に還元でき、 そのケイ酸化合物は素粒子に‥‥という具合に還元され究極的に無に帰す) (*神が素粒子でできてない場合は、この論旨は不成立)
自然界の法則を人間とは比べ物にならないほど簡単にたやすく利用できる、現在の科学ではまだまだ認知できてない「特殊生命体」とでもいうべき存在、例えば「精霊」のような存在としてならばまだしも、 「悪者に罰を与えて懲らしめて、善人に褒美を・・・」というような「神様」がいるとは思えませんねえ、少なくとも俺たちが今生きているこの現世では。 今回の「神様」は、上記の「悪者に・・・」のようなのがそうなんでしょう? 世界各地の神話、ギリシャなら主神がゼウス、日本ならイザナギ・イザナミ、えーと、北欧ならオーディーンのようなとか。 しかし・・・・・・・ 自然界の、ひいては宇宙全体をも支配しているであろう物理法則など「自然の秘密の源」として存在するにしても「人格」のある「勧善懲悪」な「杖をついた爺さん(ファンタジー系にでてくるその他でも)」のような「人間的」な「神様」がいるとは、「思えない」ですねぇ、残念ながら。 神話にでてくる神は、敵との戦いに備えて「修行」したりもしますが、以前からその「修行をして強くなる”仕組み”は”どこから”来るんだ?、武器を造り、使いもするがその”仕組み”も”どこから”来る?」と思ってましたよ。 「神でさえ遵守せざるをえない仕組み」のような、「宇宙の仕組み」のドラマが擬似的に人格化されたモノ(寓話)、血と肉の(つまり、一般的な意味での)生命体とは異なる「精霊」とでも呼ぶべき存在を「神様」というなら便宜上それで納得できますが、もしいても・・・・ 動物学者が研究対象に「余計な真似」をしないように、「神も人間のすることにあれこれ干渉しない」でしょう。戦争も人間(の国家)同士の弱肉強食の悲惨でさもしい悲劇にも「なにもしない」でしょう。 一般的な観念の死後の世界ってのが本当にあり、そこで生前の云々・・・があるなら、これまでの回答全て空回りでしょうがね。 さて、なんとなく「この言葉を送ろう」という気分になりました。「なんで?」「なんでも!」です 「魂が不滅」だとして生まれ変わるとしましょうか。「魂」こそ本質でそれぞれの転生での人生はあくまでも「従」だとする考えがありますが、「魂」自体は不滅で「いくらでもやり直しがきく」にしても、それぞれの「通過点にすぎない」はずの人生はあくまでも「一回だけ」、なのを考えると「今の人生での苦労が来世での実りある…云々」のために「今の人生」を不毛で厳しいだけの苦労の多いものにするのは、「馬鹿馬鹿しい」ことだと思いませんか? そうした連中は「今の人生で修行を怠れば…」などとホザキやがりますが、 どのみちトータルで同じになるなら極論では、いま享楽を貪ろうが「順番が変わるだけ」だし、 「いくらでも使いまわせる」モノのために、「一回しか使えない」ものを犠牲にするのはそれはそれで 馬鹿げたアホらしい不合理極まりねーぜ、「おいお前、修行だの人生を真剣にだの言ってやがるが、 それを口実に人をいいようにこき使おうと企んでるんじゃねーか?」 とかです。 とりあえずこれをいっとかないと、なんかあとあと「たたりそう」に「なるような気がする」んで付け加えとくです そうそう、名前を変えてのマルチ投稿は運営に注意されたり、最悪削除される原因になりますよ