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恨む心

こんにちは。 先日、叔父(70歳)が来た時の話です。 叔父は一度離婚して再婚しています。 再婚相手はとてもいい人で子供はいませんが 幸せに暮らしています。 なのに今だに母親(私の祖母)のことを恨んでいます。 亡くなって10年。生きていたら93歳です。 それというのは叔父が小さい頃に父親が亡くなり その当時、私の母と叔父を母子家庭で育てるのは 難しく再婚したそうです。 その再婚した新しい父親に虐待を受けたということ なのです。その父親は50歳で亡くなり、 それから祖母はずっとひとりでした。 生きてる頃から「お前があんな男と再婚しなかったら 俺はこんなにならなかったんだ」と言い続け 亡くなってからもなお、いい続けます。 その時の顔は凄い形相です。 確かに虐待はよくないことです。 義理の父親を恨むのはわかります。 でも母親に対する恨みのほうが大きいのです。 そして亡くなってもまだ恨み続けている心理が 私にはわからないのです。 私の母親はもう過ぎたことだと自分が家庭を 持ったころから恨みは無くなったといいます。 その差は何故なのでしょうか? 男と女の違いでしょうか? よろしかったら意見を聞かせてください。

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回答No.2

こんにちは。 安易な事は言えませんが、叔父さんの >「俺はこんなにならなかったんだ」というセリフにそのわけがあるのでは? こんなって、どんななのか、私にはわかりませんけれど、質問者様には思い当たる事がありますか? 経済的な事(仕事も含めて)とか、対人関係的な事とか。 いずれにしても叔父さんは「自分の人生は失敗だった。それは母親があんな男と再婚したせいだ」と思っているのです。 年齢を重ねれば重ねるほど、「もう取り返しがつかない。このままで死んでいかなくちゃならない」という悔しい気持ちが増すのでしょう。 自分の人生にそこそこ満足していれば、「仕方なかった」と許せるはずです。 昔は女性が1人で子育てなんて出来る社会事情じゃありませんでした。子連れで夫を失った女性は子供を育てるという目的だけのために再婚(夫が経済力がなくても)した時代です。 所詮義父は他人ですから、叔父さんも義父自体は虐待の直接の加害者であってもどこか仕方ないと思っているのでしょう。 あくまで想像ですが、御祖母様は、「ここを追い出されたら行く所がない」と思っていたのか、あまり庇ってくれたように見えず、それが許せないのではないでしょうか。 もし御祖母様が庇ってくれて義父に殴られたりしていたら恨みは義父の方に向けられたはずです。 お母様は子供を持つ事で御祖母様の気持ちが少しわかってきて、恨みが消えたのではないでしょうか。 また、女性は「人生の幸不幸はある程度夫次第」でしたが、男性は「自分次第」と思われていました。 だから、叔父さんも尚の事あきらめがつかないのではないかと思います。 私も母親に「いつか恨みを言ってやろう」と思っていたら、急死してしまい、ぶつけ所を失って呆然としました。今は許せているのは「まあ、自分の人生こんなものだろう」と思っているからだと思います。 「もっといい人生が送れるはずだった」と思っていれば、いつまでも恨みが消えないと思います。

noname#18387
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 <自分の人生にそこそこ満足していれば 「しかたなかった」と許せるはずです まさにそうかもしれないと思いました。

noname#18387
質問者

補足

叔父は結婚して子供を2人授かり、自分の店を持ち 幸せにやっていたのですがギャンブルにのめり込み 店も失い奥さんも離れて行ったことも母親のせい 再婚してうまくやっていたけれど糖尿病になって インシュリン注射を打つことになったのは 母親のせいと言ってました。

その他の回答 (2)

  • saru0717
  • ベストアンサー率39% (13/33)
回答No.3

はじめまして、sonoko6311さんはご結婚されていますか?そしてお子様をお持ちでしょうか? それとも独身でしょうか? 文面からは独身のような気がいたしますが。 sonoko6311さんのお母様と叔父様が兄弟なのですよね。 であれば、娘と息子の違いではないかと私は思います。sonoko6311さんもお子様をお持ちの経験がなければ何時か息子、娘の両方もつ機会があれば理解できるかもしれません。 息子からすれば母親とは特別な存在なのです。 娘からすれば父親が特別な存在のように。 生まれて初めて意識する異性の存在、それが父親であり母親だという事ではないでしょうか? 叔父様にとってはその特別であるはずの母親が自分のイメージする母親像は愚か継父に虐げられた生活を強いられたという辛く苦しい思い出しかなかったのでしょう。 母親(sonoko6311さんの祖母)が生きている間に少しでも心を通わせる時間がなかったのでしょうね。 その思いをどこへ持っていけばいいのか行き場のないお気持で過ごしているのだと思います。 自分の気持ちを受け取って欲しい人がもうこの世にはいない所謂受け取って貰えないという事です。 とても苦しいお気持だと私は思います。 苦しくてはとてもじゃないけど生きてはいけないだから恨み言で自分を保っているのだと私は思います。

noname#18387
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 やはり男と女の違いなのでしょうか。 祖母が生きている間、顔を合わせると怒鳴って ばかりいました。 ただ祖母も気が強かったので言い返してました。 甘えていたのかもしれませんね。 謝って欲しかったのかもしれませんね。

noname#18387
質問者

補足

私は母子家庭で娘が一人います。 妹には男の子がいますがやはりちょっと特別かも しれないと思うことがあります。 やはり男の子供がいなければ、その気持ちは わからないかもしれませんね。

回答No.1

質問を読ませていただいて 私もうーーんと、考えてしまいました。 叔父様の気持ちがこうだとはわからないのですが 私が思ったことは 虐待もそうだろうけれど、叔父様はお母さんに 自分だけを見いて欲しかったのではということです。 私は、父母が離婚して母親に育てられましたが 父親に対する憧れというか、 父親が娘の結婚などに涙を流しているような画面をTVで みると、とても羨ましく、自分に父親がいないことを 悲しく思いました。 父と母が離婚したのは父の望ではなかったのですが 父親を恨みに思ったこともあるように思います。 今、私は男の子の母なのですが 男の子というのは、回りを見ていても お母さんを大好きな子が多いですし お母さんもまた、男の子を猫かわいがりしている人は 多いです。 叔父様から見ると、もっともっと自分だけを見ていて 欲しかった時代に、他の男性を好きになり まして自分が虐待を受けるような男の人と結婚した事。 大好きで自分だけみていて欲しかったのに 悔しく、憎かったのでしょう。 同じ年頃の友人の母などと比べることもあったのでしょう。 心の中では、仕方なかったのだとわかっていても きっと、悲しく悔しい思いがよみがえってくることが あるのでしょうね。

noname#18387
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 私が不思議に思うのは叔父より私の母親のほうが 虐待を受けていつも叔父をかばっていたのに なぜ叔父のほうがいつまでも恨みを持っているのか ということです。 当時、高価だった卵を叔父に食べさせたくて 私の母はこっそり盗み、ゆで卵にして叔父に食べさせ 義理父に見つかりビール瓶で頭をたたかれ 10針も縫いました。叔父はたたかれていません。 でもrisarisa062さんがおっしゃった男の子は お母さんが大好きというのがそうかなと 思いました。私自身 子供が女の子なのでわからない 部分もあります。参考になりました。

noname#18387
質問者

補足

信じられない話かもしれませんが 祖母の時代(昭和初期)は今のように女性が働ける 場所がほとんどなく国からの補助もなく 食べていく為に再婚したそうです。 それは珍しいことではなかったそうです。 新聞広告に「当方、子供2人。再婚求む。 子供の世話で困っている人 歓迎」とだして 奥さんに死なれて子供の世話で困っている 子供3人の男性と結婚したそうです。 お互いに愛情はありません。 そしてお互いに自分の子供が可愛いので喧嘩が たえなかったようです。 食べさせてあげるかわりに子供の面倒をみる。 夫婦というより契約した同居人のような関係だった ようです。

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