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支那事件に(1937年)ごろの歴史について

支那事変(盧溝橋事件1937年7月)が起こったころの、抗日運動が高まった要因は、軍部の独走によるものですが、では、軍部の独走を許さない為にはどうすればよかったかと思いますか?

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  • myeyesonly
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回答No.1

こんにちは。 これは軍部の独走というより、当時の日本政府の政策であると言った方がいいような気がします。 実際に関東軍は命令もなく軍事行動を起こしたりしていますが、そういう場合、本来ならばクーデターと一緒で、実行犯やその命令を下した将軍などは直ちに処罰されるのが当時でも常識です。 しかし政府や、当時最高権限を持っていた天皇までがその行為を追認しています。 つまり、表立っては、最初は勝手な一部の軍の行動だったわけですが、実際はそれを政府も天皇も望んでいたといわざるを得ません。 もし、政府や天皇が「なんてことしてくれたんだ!」って事になって、関東軍首脳部を処罰していれば全然違う歴史になってたでしょう。 >許さないためには・・・軍部指導者、政府要人、天皇といった人達が、最低でも山本五十六、榎本武明程度には勉強していてほしかったですね。 そういう広い視野、多くの知識に裏打ちされた指導者を欠いた事が結局、あの道を歩ませたのではないかと思います。 そういう意味では今の政府、国会議員たちも大して当時と変わってないのではないかと思います。

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  • chabez
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回答No.4

 統帥権といって軍の指揮権は天皇にしかないということを逆手にとって軍は政治の言うことを聞かなくてはいいんだという理論武装で軍が暴走しだしたのです。シビリアンコントロール(文民統制)の失敗です。  また、当時の最高のエリートコースは士官学校を卒業して軍に入ることで、このエリート達は自分を縛るものに激しく抵抗するのです。今のキャリア官僚達の保身とまったく一緒です。  はっきり言って今の自衛隊も一緒だと思います。あれだけの軍事力があるのに、憲法に規定されていないなんておかしい。戦前同様、法の裏づけがないのです。はっきりと憲法に自衛隊をシビリアンコントロールの元に置くと明記しなければなりません。軍隊はきっちり縛らなくては。  個々の政策の失敗はあろうかと思いますが、軍をシビリアンコントロールのもとにおけなかったのが一番の原因です。

回答No.3

昭和二年に起こった金融恐慌から、昭和四年の株暴落、昭和六年までに繰り返される金輸出解禁・禁止といった当時の大不況に対して施された政党政治(民政党・政友会)が、失業者対策・凶作による農民の救済を国策として本気で立案・推進していれば軍部台頭の状況はなかったと考えます。 ------------------------------------------------一部の財閥や資産家・地主等が潤う一方で、低所得者や人口の大部分を占める農民がとんでもなく貧しい状況におかれていたようです。関東軍の独走と言いながらも、満州という新天地を切り開いていく行動力に貧しい国民が希望と勇気を与えられた事は想像に難しくありません。並行して一部の軍人が鉄槌を浴びせる意味で昭和七年の5・15事件が起こっていますよね。 この事件以来、昭和11年の2・26事件まで国民の政治不信は根強く、軍への支持が広まっていき、広田内閣発足時には陸軍大臣を現役の将官から任命する(陸軍が大臣を出さなければ組閣もできない)状況に陥ったと理解しています。

  • notnot
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回答No.2

#1の方の書かれていることもあるでしょうけど、そもそもシステムの欠陥だと思います。 天皇はいますが、立憲君主主義なので、絶対主義君主やアメリカ大統領のように直接政治を行えるわけではない。2.26事件を起こした者たちを「反乱軍だから制圧せよ」と意思を示したのは例外ケースのはずです。 一方、軍の統帥権は形式的に天皇にあり首相・内閣の指揮下には無い。逆に、陸・海軍大臣が辞任して軍が後任を出さないと内閣総辞職となり首相が変わります。つまり軍はいつでも内閣をつぶせた。 軍を外部からコントロールする仕組みが無かったのが問題だと思います。どうすれば良かったかというと、明治期からそういう仕組みの政府を作れば良かった。 そういう仕組みが無かった事実を前提に考えると、2.26の時のように天皇が超法規的に意思を示せば何とかなったのかもしれませんが、科学者である昭和天皇に変えて弟の宮を替わりに天皇に立てる動きもあったようなので、何ともならなかったかもしれません。 その数十年前に、倒幕反対であった孝明天皇が突然死んで少年明治天皇に替わり、倒幕派が朝廷の主流になったという実例もあるわけですし、昭和天皇の突然死があったかもしれません。