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「ひうらさんの思い出」は事実ですか?

「ひうらさんの思い出」は事実ですか? 北洋漁業に従事していた「ひうらさん」の船が、ソ連に拿捕され、ウラジオで尋問拷問を受けたものの日本海軍が出動し威圧したので無事帰国できた・・・という話(「ひうらさんの思い出」で検索すると全文が出てきます)をネット上でたくさん見かけますが、その出典(ソース)がさっぱり見当たりません。「事実がどうかはわからない」としているページもあります。 軍の出動ですから、記録に残ってないはずはないと思いますし奇妙です。 この話は事実なのでしょうか?なにか情報をもっておられましたら是非教えてください。

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回答No.1

事実はわかりませんが、「ひうらさんの思い出」という文章を検証してみました。 ネット検索してみると ●現代仮名遣いで書かれたもの ●旧仮名遣いで書かれたもの の2種があり、オリジナルは「旧仮名遣い」で「現代仮名遣い」は、要約されたもののように見受けられます。 また、「旧仮名遣い」のものも ●「大正の末」から始まって、「鋼鐵の艦体に頬ずりしたい思ひで」で終わるもの ●「父の友人に」から始まって、「贅澤をする金があったら海軍に献金でもせい!」で終わるもの の2種があるようです。 しかし、私が見た数箇所では出典を記すものはなく、一番最初に紹介したものに近いと思われる「大人の無法地帯」というサイトでも「こんな話を思い出しました」とだけしか書かれていません。 この「ひうらさんの思い出」でまず不思議なのは、比較的内容が詳細であるにもかからわらず「いつの出来事か」という「明瞭な年代」がまったく記されていない点です。 記されている年代は「明治の御世」「戦後」「四半世紀前」などとあいまいで、一番肝心の ソビエト拿捕事件ですら「大正の末か昭和の初め」というあいまいさです。 これは「年代を特定されてしまうのを避けている」という可能性があるように思います。 次に問題なのは文体です。 旧仮名遣いで書かれているものが「オリジナル」かと思いますが、それには ●「戦後は小金持になり、銭湯など経営して世を終へられました。」 ●「四半世紀ほど前に大往生を遂げられました。」 とあります。 そうなるとこの「ひうらさんの思い出」が書かれたのはどんなに古くても「昭和45年以降」となります。 昭和20年の終戦直後に「小金もちになる」ほど経営者にはなれないでしょうし、銭湯まで経営していたとなると戦後十数年はご存命と考えられます。 そうなると「ひうらさんの思い出」が書かれたのは昭和50~60年頃以降になってしまいます。 そんな頃に「旧仮名遣い」でこんな文章を書くのかというとちょっと疑問です。 3番目の疑問点は「拿捕事件の時期」です。 「ひうらさんの思い出」で「ひうらさん」がソ連に拿捕されたのは「大正の末か昭和の初め」とされていますので、事件発生は1926(大正15)年~1927(昭和2)年の前後ということになります。 ところが1925年に日本とソ連は「日ソ基本条約」を締結して国交を樹立しています。そうなると国交を受理した直後に「艦隊を派遣しての砲艦外交、示威行為」をしたことになり、かなり不自然です。 そもそも「日ソ基本条約」でソ連は、日本にオホーツク海や北太平洋、ベーリング海などでの北洋漁業利権、北樺太での石油利権を認めたようなので、そのわずか数年後に「無実の漁船を拿捕して・・・・」というこのような事件を起こすとは考えにくくなります。 以上のように文章内容にいくつかの疑義があることと、この「ひうらさんの思い出」がネットに出回るようになったのが「北朝鮮による拉致問題が解決せず、北朝鮮に振り回される日本政府の弱腰」が批判されている時期のようであることを考慮すると「創作」である可能性が高いものと思われます。 もし事実ならもっと広く知られているかと思いますし、「旧日本海軍」に詳しい方はたくさんいるので「それは事実ですよ」という回答がすぐつくのではないかとも思います。

hortensia
質問者

お礼

とても詳しくまた論理的な回答を頂きありがとうございます。 なるほど、形式面(仮名遣いと書かれた時期)においても実質面(「事件」の内容)においても、 かなり疑わしいようですね。 ただ、完全に無から有をでっちあげたにしてはやたら具体的な内容なので、「思い出」自体は創作としても何か元になるエピソードがあったのかもしれませんね。

hortensia
質問者

補足

前振りとして、「日本海軍は北洋警備-北洋漁業保護の為に、一番オンボロな駆逐艦で編成する駆逐隊一隊を毎シーズン派遣しておりました(後略)」という部分があるサイトもありますが、これ自体は事実だったんでしょうかね…。 参考 http://ameblo.jp/zainichikaere/entry-10120168434.html

その他の回答 (2)

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.3

日本の軍艦がウラジオへ、武力威圧の目的で入港したのは 大正中期のシベリア出兵の時だけです。 この話は大正末から、昭和初期とのことで、時代が違い 作り話とわかります。 1次世界大戦末期、ロシア帝国が崩壊し、共産党政権(ソ連) が誕生しました。   この混乱期居留民保護の名目で 大正7年1月、日本は海防艦「朝日」「石見」などよりなる 艦隊をウラジオに派遣し、陸戦隊上陸のちの陸軍の大軍上陸から シベリア出兵へつながりました。(海軍史より) この時ソ連(ロシア?)に抑留されていた漁船員がいて 解放されたことはあったのか。 蟹工船員ではありません。  大正7年蟹工船は試行中で、 (日本歴史事典より)本格操業しておりません。 それでは他の漁船か。    革命の混乱時、日本艦隊の ウラジオ入港も阻止出来ないのに、漁船の取り締まりをする 余裕はないはずです。 というわけで作り話と断定出来ます。 ただ短小説としてはよく出来た話です。 前述の「朝日」「石見」は日露戦争時の戦艦で口径30cmの 巨砲4門ずつ備えた威容でした。   入港した時 不安におびえていた、日本の居留民の喜びは大きかったでしょう。 また昭和初期は軍縮時代で、海軍は活躍の場をみせる為、 北洋漁場で漁船をソ連の巡視艇から守りました。 これらの種をもとに、時代に合わせて構成した、面白い話です。

hortensia
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほど、シベリア出兵の際にやや似たシチュエーションが出現したわけですね。 「ひうらさん」は当時のウラジオ居留民かもしれませんねえ。 そしてその後蟹工船に乗るようになり、ソ連ともいざこざがあって怖い思いもしつつ。 後年、昔の記憶がごっちゃになり、「思い出」ができあがった…なんて流れを想像してみました。

回答No.2

No.1の続きです。 >完全に無から有をでっちあげたにしてはやたら具体的な内容なので 「小説」のように「無から具体的な内容を創作する」ことはよくありますので、それだけではなんともいえません(笑) >元になるエピソードがあったのかもしれませんね。 北洋漁業や北洋警備でソビエトと悶着があったのは事実のようですし、実際に拿捕されたこともあるようですから「まったくの創作」ではなく「歴史的背景を踏まえたうえでの創作」であるのかもしれません。 ただ時代や背景が違うとはいえ、太平洋戦争中の日本海軍が海上輸送警備を軽視して多数の輸送船を撃沈させられていること考えると・・・・。

hortensia
質問者

お礼

再びありがとうございます。 検証しないまま紹介しているページが多いのは、願望が大きいんでしょうかねえ。

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