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死への恐怖
初めまして。夜になると本当に怖くて怖くて仕方ないので少しでも心が軽くなればと思い投稿させていただきました。 人間は死ぬ。これは変わらぬ事実ですが、どうしても怖さが拭えない。 死後というものは生きてる人間には誰にも経験がないので全くの未知だと思うんですけど、よく考えてみると、人間という生物は細胞とか筋肉とかホルモンとかの物質で成り立っていますよね?心とか魂というものも、脳の中にある何かが分泌されていますよね?あんまり信じたくないんですけど、納得がいってしまいます。 結局は物質で人間は成り立っていて、自分の意識も死んでしまったら消えてしまう。 意識が消え目覚めることのない眠りにつく。これが本当に恐ろしいです。 人間は死んだら本当に「無」になってしまうのでしょうか? でも、有名な木村藤子さんや江原啓之さんの言葉は嘘とは思えません。 そして、本当に無になるなら幽霊などの存在はどうなってしまうんでしょう?幽霊は、自分の意思を持っていると聞いたことがあります。 私の理想は死後にも幽界という世界があって、意識もある。そして自分を磨くためにまた生まれ変わる、ということなんですが。 みなさんの意見を聞かせてください。そして助けてください。 お願いします。
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- kirakirabana
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死後の世界はもちろん存在します。 死後の世界はもちろん存在しますよ。 私が質問者さんにできることは真理を伝える者として人生の真理と使命をお伝えする事位ですが、今からお伝えする事は質問者さんの今後の人生に大変重要な内容ですので、お心に留めて頂いて今後の充実した人生計画を立てて頂ければ幸いです。 人間の生きる意味を知り、人生に喜びを見出すには、「神が何故宇宙や人間を創ったか?」「人生の目的と使命」を知る必要があります。 何故、神が宇宙や人間を創ったか? 神は自己実現の一環として芸術を創るような気持ちで宇宙や星々や人間を創りました。 そして、その宇宙を文明実験場として、人間の魂にこの世とあの世を何度も生まれ変わり、無限の向上を目指す中でユートピアを創る使命と自由を与えました。 何故、そのような事をする必要があったか?というと神は全知全能と言われるように完全無欠の存在ですから、そのままでは何の進歩も発展もない訳です しかし、あえて宇宙や人間を創り、無限の向上を目指させてユートピアを創る使命を与えて努力させる事によって自らの喜びとしようとしたのです。 人生の目的と使命 私は、死後の世界を実感として120%確信しているものとして、まずお伝えしたい事は死んで「無」にはならないという事です。 死後の世界は120%存在します。 質問者さんも死んだら魂として、あの世に帰り生き続けます。 そして、あの世で数百年過ごした後に、またこの世に生まれ変わって来ます。 人間の魂は、神仏に神仏の光から分光されて、神仏の光の分け御霊、神仏の光の子として創られて以来永遠の生命を与えられこの世とあの世を何度も生まれ変わり無限の向上を目指すとともに、この世の中を愛と優しさに満ちたユートピアする使命を与えられた存在です。 ちなみに、あの世の世界には街や学校、お店があり、天使の世界はダイヤやサファイヤなどの宝石がちりばめられていて光輝くきらびやかな世界となっています。 ですから、なぜ質問者さんは今生きているかというと自らの愛の器を大きくし、魂を神仏に近づかせていく中でこの世の中を美しいユートピアにする使命を果たすために生きているわけです。 そして、質問者さん魂は死んであの世に帰ると照魔の鏡といって、映画館に行き質問者さんがこの世に生きている間に生まれてから死ぬまでに心の中で思った事と、行った事が全て上映されて、いかに神仏の子として、美しい心で他の人に優しくして生きたか?どれだこの世の中神仏の理想であるユートピアを実現する事に貢献したか?により質問者さんがあの世のどのような世界に行くかが決まります。 なので、ユートピア実現に貢献した人ほど死後天国の光輝く世界に帰れるといえます。 では、ユートピア実現に貢献する生き方とは何かと言いますと現在、上記の価値観を知らずに無軌道な人生を送ってしまい死後地獄に落ちてしまう人がたくさんいらっしゃいますが、神仏の目から見て、死後地獄に落ちてしまいそうな生き方をしている人に対して、死後の世界の真実を伝えて天国に帰れる生き方に導いてあげる事は最も尊い事と言われていますので日々の生活で縁あるたくさんの方々に上記の人生の目的と使命、死後の世界の真実をたくさんの方々に伝える生き方であるといえます。 なので、質問者さんも回答に納得がいったか分かりませんが、質問者さんもたくさんの知人友人にメールやネット媒体、口頭で「okwaveでこんな事を言っていた人がいたよ。」と生きている目的と死後の世界の真実を伝えてあげて下さい。 上記の価値観が広まれば世の中は確実にユートピアになりますし、質問者さんの神仏の子としての徳が増し、魂の糧にもなります。 ちなみに、天使という存在がいますが一般的に生前無償の愛でもって1万人以上の方々の魂を救い地獄に落ちそうな方々にあの世の真実を伝えてあげて天国にかえれる生き方に導く事が出来た人は天使になれると言われていますので、質問者さんももし可能でしたら多くの方々を救うためにokwaveで上記の回答を様々な方々とシェアするなりして、お力お貸し頂ければ幸いです。 一見ユートピア実現というと難しい事のように思うかも知れませんが落ち着いて考えると例えば、質問者さんが上記の回答を10人の人とシェアしたり10人の知人友人に伝えて、さらにその10人に上記の真実を10人以上の方々に伝えるようにお願いして100人となり100人の人がまた 10人に伝えて、1000人、10000人、100000人の方々に伝えて…と人から人へと伝えていけば、あっという間に日本中全ての方々に上記の価値観が伝わり、世の中はユートピアになるわけです。 なので、質問者さんが今日から一念発起して上記の価値観を1日1日コツコツと伝えて、生きていけば、質問者さんも天使になれる可能性もあるわけです。 質問者さんも残りの人生を神仏の光の子としての使命に目覚めてユートピア実現の戦士となり愛と優しさに満ちた光の天使になる事を目指してはいかがでしょうか?
- kagakusuki
- ベストアンサー率51% (2610/5101)
まず最初に以下の参考URLのページに載っている、私の回答を御覧下さい。 【参考URL】 幽霊の証明 (科学的にー http://okwave.jp/qa/q5422641.html 読んで頂ければ、お分かりのように、霊魂の存在を否定しないと、高次脳機能障害という(現実に存在する事が確認されている)現象を、説明する事が困難になります。 従って、残念ながら霊魂等といった死後の生は存在しないと思われます。
- bit55
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確証を持つ方法はあります。 それは霊能者を試すことです。 自分が昨日食べた食事を当ててもらえば良いのです。 もしくは自分しか知らないことを。 それで解決します。 後は貴方の行動力です。 ぜひ結果を知らせてください。
- maruun2008
- ベストアンサー率0% (0/0)
死への恐怖ですね。 実際、お坊さんなどは死への恐怖に対抗できるように、 日々精神をきたえ、死に備えているらしいですが、 実際は、どれだけ鍛えても怖いと聞いたことがあります。 死後があるかないかについては、微妙なところだと思いますが、 僕自身の考えとしては、死というのは、自身の物質的変化であると 思っています。 確かに、意識は続かなくなってしまうかも知れませんが、 その物質は、灰となっても、この世に残り、また別の 物質となって、永久にこの世で役にたっていくのだと思っています。 そう考えると、ちょっと心が安らぎます。 ちょっと毒舌がきついですが、こんなサイトなんかは 面白いと思います。 http://www.asahi-net.or.jp/~hu4c-oosw/ また僕のサイトでも、自論になってしまいますが、 悟りの内容について書いていっています。 http://ameblo.jp/3goku/ 結局のところ、僕も死は怖いです。 でも、死ぬ間際になるまで、本当の怖さはわからないだろうなーと 思っています。 だから、今はなるだけ毎日を大切にして、 精一杯生きることにしています。
NO10、14ですが、お詫び文です。 NO10におきまして、質問者様にとって霊魂・あの世があることがわかることが救い・喜びになるという趣旨に、私はご質問文を読み、私は私なりの証明等を有していたこともあり、霊魂・あの世を肯定することを強調したいあまり、閲覧者様にとって一部不快を感じられる内容を書いてしまった部分があると思いましたので、その点をお詫び致します。 申し訳ありませんでした。
>私の理想は死後にも幽界という世界があって、意識もある。そして自分を磨くためにまた生まれ変わる。 そう質問者様が強く望まれるのなら、是非そうあって欲しいです。 信仰や信念というものは個人の心一つなのですから、強くそう信じかつ心の拠り所にして、まずは確実に存在し限りある今の人生をより一層楽しむにかぎるのではないでしょうか。 >みなさんの意見を聞かせてください。 夫は「生まれ変わってもめぐりあって絶対一緒になろうね」と言い、話の流れで私も頷きます(全然大した相手じゃないけど)。 輪廻転生というものがあり希望が叶うのならば、再びあの頑固な父と口うるさい母の元から生まれ、出来の悪い娘達にも縁があって欲しいと切に思います。 あと、できれば今の顔とルックスを気に入っているので、是非これももう一度同じで。頭はもっと良い方が理想(笑)。 でもその反面「輪廻転生なんて本当はどうだか」「死後の霊界なんてあるわけない。だって家族の中で一度も霊感感じた人はいないしアハハ」と妙に冷めてます。 (娘達が先に早逝する様な悲劇に遭遇すれば話は別かもしれませんが) そのくらい今の私にとって神、輪廻転生、死後の世界、霊界の存在の類の話は皆無に等しく関心もないので全く考えません。 お墓参りに行けば故人の思い出を心の中で偲び懐かしむだけですし、まずはこの世界のことが全てで時間が大切だと思うのです。 むしろその手の話よりも、自然の驚異や宇宙の神秘等といった未知なる世界へ私は心惹かれ畏敬の念を遥かに感じます。 今私が死んだと仮定したならば、この身は焼かれて灰となり、何世代か先には器ごとうやむやに朽ちて風化し、何らかの植物の礎か瓦礫の下の堆積物と化す。 そして気が遠くなるほどの時を経て、膨張して終焉を迎えつつある太陽の影響下で地球もろともガス化して蒸発し、宇宙の塵として宇宙空間を彷徨い、 更に膨大な時を経て再びあらたな天体の素となるかもしれません。 もしくは暗黒空間の中をずっと寂しく浮遊して漂い続けたりして(笑)。 この世に人として生を受け、ごく平凡に人を愛し人から愛され、自分と彼等のために不器用ながら精一杯生き、最期は万物や先人達が繰り返してきた生の営みを自分も終える。 最期の時は死への恐怖ではなく、愛する人、残す人、そして先に逝ってしまった人を想い浮かべて「まためぐりあいたい」と安らかに死ぬ。 自然の摂理だし、あるべき理想形ではないでしょうかね。 そしてまだ「最期の時」でもない今は、死への恐怖を感じる以前にやることやりたいことが山ほどあるのではないでしょうか。 質問者様の「もう一度また」「霊界の存在」のお考えは「絶対ある!」とのお考えは普段から強く抱きつつも。 正直な話死ななきゃ100%確証が持てない話だし、いつかは死が訪れるのですから、 どうせなら現実の生活にだけ焦点をおき、日々楽しく暮らしていかないと、「今の限りある時間」がもったいない話だと思いませんか。 ちなみに日暮れが早いと妙に切なくなることもありますが、言わずもがなの地球の自転と公転の話なので、冬至を境にまた一日日は長くなっていくし、夜も必ず明けますよね。 同様に嫌な日の後には楽しい日も来るから、人生って面白いのだと思うのです。 たった今「霊界があったとしたら、昼夜や夏至冬至なんてあるのかな?」と生まれて初めて考えちゃいました。 でも飽きっぽいので、数分後は「ま、いっか」で綺麗さっぱり忘れてしまうと思います♪
NO10ですが、江原氏の一例には疑問もあるとのことのようでしたので、それ以外の「霊魂がある」ことに関する事例を挙げてみましょう。 ●私の手元には、「大阪スポーツ」新聞1993年8月3日12面のコピーがあり、それには病院上空に羽のある天使が姿を現し浮かんでいて、そのすぐ下には多くの子供達(元の写真自体には医師や看護婦達も)がそれを見つめて手を伸ばしている写真が掲載されていて、その時の現地当事者(医師)の取材言行も掲載されています。 ●エドガーケイシー氏関係の本を実際に何冊か読んでみられてから判断されたらいかがでしょうか。 催眠状態下で、色々な人々の相談に答える際に、行ったこともない家の部屋の棚に置いてある薬品の存在を告げたり、知る術もない他の土地での昔の出来事(相談者の過去世であった出来事)を語ったりしている等の事例が多々あり、それは事実であることが実証されてますし、ケイシー氏は1945年死去でして、他者立会いの下でそれらは記録され、現在も保管されているだけでなく、閲覧入手も可能となっています。 ●「神秘の法」という本の164~175ページには、世界で実際にあった霊現象と、それを科学的に証明した事例(168~171ページ)まで掲載されています。 どれも証拠物の存在する物ですので、一つ一つ実際に解明されたらいいと思います。
いろいろなことを深く勉強すればするほど、霊魂というものは存在しないと強く確信するようになりました。 根拠はここには書ききれないので割愛しますが・・ 霊魂肯定派の方と喧嘩する気も無いですし・・ 私も死ぬのはイヤです。 少なくとも平均的な寿命くらいは生きたいです。 質問者さんはまだお若いのでしょうか? 死に直面するような状況におかれているのでしょうか? 若くて当面死の可能性が低いのであれば怖がる必要もないような気がするのですが・・ もちろん人はいつ死ぬか分かりません。 外出した時クルマにはねられて死ぬかもしれませんし、何かの事件に巻き込まれたり、病気で死ぬ可能性もあります。 でも今の日本はどんどん寿命が伸びていますし、昔と比べると同じ年齢でも死ぬ可能性は低いと思うのですが。 それ相応の年齢になれば、死ぬということに対する恐怖心はそれほど強くなくなると思いますよ。 逆に一休さんは90歳過ぎて「死にたくない」と言いながら死んでいったと聞いています。 生への執着は誰でも持っていますし、死ぬのは誰でもイヤだと思いますが、考えても仕方ないですよ。 元気を出してください!
- camelo
- ベストアンサー率19% (11/56)
仏陀の説く原始仏教の経典の中では、そんな事は考えない方が良いと勧めていますね。また、修行者からの質問も実に曖昧な回答です。 修行者『人は死ねばどこにいくのでしょうか?』 仏陀『薪を燃やす炎が何処にいったのでもなく、ただ、消え失せただけであるように、人も同じである。』 そんなやり取りが有ったと記憶してます。 また仏教の目標は、現世における悟り(私はその域に到達していませんが、自主的自由ではないかと思います。)か、二度と生存を受けないという輪廻からの解脱(解放)だそうです。 人生は喜びと楽しみの多く素敵なものです。反面、同じだけの苦しみや悲しみもあります。何を好んで、同じ事を繰り返したいのでしょうか?一回で十分じゃないですか。 それに未来の事や死後の事がわかったところで、結局、今を生きるしかないのが人間ではないのでしょうか。
- ye11ow
- ベストアンサー率40% (230/564)
恐れるに足りません。 すべての人は、毎日死んだ状態を経験しているのですから。 とはいえ、ほとんどの人は、翌日生き返ります。 つまり、朝になると目が覚めるというわけですね。 目覚めないままの、意識の無い状態が死んだ状態です。 夢を見ていないときのことですね。 ある日、私の父は朝になっても起きることがありませんでした。 たぶん死の恐怖を感じずに、「眠ったまま」になったようです。 そのような、苦しみを伴わない死ではなくて、 恐怖や痛み・苦しみを経験したのちに死ぬ人も多いでしょう。 でも、逃れられない苦しみ以外のものは、取り越し苦労なのです。 ある調査によれば、人は高齢になるにしたがい、 死を「生きる者にとって自然な現象」と捉えるようになって、 死の恐怖をあまり感じなくなってくるそうです。 つまり、死とは縁遠い若い人ほど、無駄な心配をしているのです。 それは必ずしも悪いことではありません。 死を恐れればこそ、相対的に生により多くの意味を見出せます。 「別に死んでもいいと思える人」などにならなくていいのです。 しかし、「死を恐れすぎる」のも、実際不便です。 かつて私は、理由も分からず「死の恐怖」に襲われることがありました。 身体的に正常で変なのですが、胸がドーンと苦しく、背筋がヒヤーっとし、 「これが、死の恐怖なのだな」と思いました。 ある種の、思考のトラブルが原因だったのだと思います。 夜なのに眠れなくて、眠りそうになる瞬間に恐怖が倍増し、 跳び起きてしまい、本当に辛かったのですが、 最後は諦めの境地に至りました。 「たぶん死ぬわけない。死んだら仕方ない」と。 自分の今の心の状態を否定せず受け容れることで、 幾分恐怖が緩和し、耐えることが容易になるかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 永遠に眠りから覚めないのは 眠りに入れば、怖い気持ちは無くなるでしょうね。 でも、自分の存在がなくなり 友達と笑いあうこともなければ美味しいものも食べることなく 家族と過ごすこともなくケンカも涙も怒りも、あらゆること全てが消えるというのは 恐怖と悲しみで、今はいっぱいです。 だから幽霊は、存在してほしい。そして意識とか心、魂も 本当は存在してほしいんです。消えてなんかほしくない。 その事実かどうか、本当のことを知れたら気が楽になれるかも知れません。
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お礼
回答ありがとうございます。 死後に意識というか、何かが起こるといいですね。 それこそ魂が抜けるというか。 はい、自暴自棄にならずに 人に優しい人間になりたいです。