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テクノロジーとの付き合い方について、

テクノロジーとの付き合い方について、 ケータイ、自動車などのテクノロジーは恩恵とともに多くの考えなければならない課題を現代社会に生み出しています。 テクノロジーが生み出す課題とは一体何でしょう。 そして、私たちはテクノロジーとどう付き合っていくべきなのでしょうか。 あなたなりの回答希望

みんなの回答

回答No.10

>>テクノロジーとどう付き合っていくべきなのでしょうか 大原則として、価格に環境コストを織り込むことでしょう。 経済最優先で価格を決めている現状では永続可能な文明は維持できません。 過去、滅びた文明は環境に適応出来なくなり衰退していったものが多くあります。 何故、歴史から学べないのでしょうか? ? ?

  • heartmind
  • ベストアンサー率14% (32/226)
回答No.9

課題は広義な意味での公害だと思います。 テクノロジーの終焉は人間がもう一人の人間をつくることだと言われていますが。 つまり自分の変わりに全てを補ってやってくれる道具を作ること これにより広義な公害として、五感の退化、体力の低下、それによる感情、情緒の貧困さ が考えられるのではないでしょうか。 なのでそれを補うためのあらたな文化、スポーツ、芸術、が必要になり、余計なもの が、次々と生み出されていく。さらにその余計なものの為の文明とテクノロジーが 必要となり、また次々と、、、、、。 それに付き合う為のテクノロジーも次々と、、、、、。

回答No.8

自動車を例にとれば、暴走族が運転すれば、凶器、人をはねる機械となり、善良な運転手が安全運転すれば、便利で快適な乗り物になるということで、人間の使い方次第(悪用するか善用するか)で、凶器にも便利な機械にもなるということですな。

  • kadowaki
  • ベストアンサー率41% (854/2034)
回答No.7

>テクノロジーが生み出す課題とは一体何でしょう。 テクノロジーの原点にあるのは、おそらくヒトの身体機能を拡張することで発明してきた石器、木器等の原始的な道具類であるのは間違いないでしょうね。 人類はこうした道具をより機能的に進化させてきた結果として、現代の高度なテクノロジーを生み出し、これは今後も人間の飽くなき欲望に支えられて進化していくことでしょうね。 で、その最大の「課題」となると、ヒトが自分の欲望を実現するために「テクノロジー」を利用しているつもりで、実は「テクノロジー」にヒトの欲望を規定されているのみならず、自らの欲望それ自体さえも仮構させられているという事実になかなか気づこうとしないところにあるのではないでしょうか。 たとえば、ヒトはかつては誇大妄想でしかなかったような欲望をいとも簡単に実現できるようになった、つまりヒトは高度な「テクノロジー」を駆使すれば、いとも簡単に多くの人々の生殺与奪権を持つこともできるようになったと言えなくもないですよね。 その結果、現代人が「ケータイ、自動車」どころか、核の恐怖や生命倫理という厄介な難題と直面せざるを得なくなったゆえんです。 >そして、私たちはテクノロジーとどう付き合っていくべきなのでしょうか。 もし、人類の最大公約数的な欲望が最大多数の最大幸福を実現したり、維持したりするところにあるとすれば、たとえば銃刀法や道路交通法により、銃砲や刀剣類、自動車の所持や利用方法等について厳しく規制しているように、便利な最新「テクノロジー」のメリットを最大限活用しつつも、同時にそのデメリットについては最大限抑制していくしかないと思います。 ところが、この最新かつ高度な「テクノロジー」のデメリットを事前に察知するなり、予測するなりして、適切な法規制等によってその危険な芽を摘んでおくということが、現実にはすでに行政等の管理能力をはるかに凌駕してしまっているところに、実は現代人の置かれている困難な課題が山積しているのではないでしょうか。

回答No.6

テクノロジーは人間の欲望を実現する手段です。 その昔を振り返れば、狩猟生活での空腹や餓死のリスクから開放されたいという欲望を、農耕のテクノロジーが実現した。 農耕テクノロジーが実現したとたんに、余剰が生まれ、その余剰を誰が独占するかで、人間の間に格差が生じ、階級闘争や、戦争が必要となった。 農耕テクノロジーを手にすると同時に、分配の哲学を手に入れなかったことが、パンドラの箱だったという事実は否めないでしょう。 心臓移植手術の技術が無かった時代には、「金がないために移植が受けられない」という悩みは存在しなかったでしょうね。 インターネットや携帯電話などの通信技術は、珍しく、持たざる者を強くするテクノロジーです。 一党独裁による国家全体主義を目指している国などにとっては、厄介なテクノロジーですね。

noname#123390
noname#123390
回答No.5

>しかしこの質問は私個人の話ではなく、これから更に展開するであろうテクノロジーと付き合っていくにあたって、人間が考えていくべきことを知りたかっただけで、これをきっかけに皆さんにも一度一緒に考えてほしく、偉そうですが啓蒙的意味もふくんでいたのです… これは少なくとも普通の質問ではありませんね。 とめどもなく焦点の定まらない膨大な幅の問いに私たちはどう答えていいか、戸惑うばかりナのです。 課題といっても、それが前向きのものなのか、今起こっている火急の問題を想定しておられるのかによって全く回答は異なってくるでしょう。 ケータイと自動車に限ったところで、どこまでケータイは進化させるべきか、という課題もありますし自動車ならCO2削減の問題も喫緊の課題です。それらすべてに哲学的なローカルの問題が絡んでくるはずです。 お答えしようがないのです。 ひとつ、視点を作ってみましょう。 テクノロジーが生み出す課題のひとつは、トータルコストとのたたかいいです。 環境コストという考え方も最近ポピュラーになりましたが、 人間が生み出す富にも限度がありそうだということが理解されはじめていますし、 宇宙開発がどこまで可能なのかということが分かりやすいと思いますが、 ケータイだって必ずそういった意味でもテクノ炉ジーに行きづマリが出るだろうことは間違いないでしょう。 勇気を持った転進が必要になってくると思います。 もうひとつの大きな課題は、人間の生き残りのためには実はマイナスになるだろう技術開発が存在するということです。原子力が代表的ですが、最先端医療の拡充も、実は人間のトータルのゲノムの生命力を衰弱させていく一方なのではないかという反省があります。遺伝子操作もこの危険性のひとつかもしれません。 いいことがあります。もっとみんなに出してもらおうと思えば 例えば「アンケート」にして募ってはどうでしょうか。 ご参考まで。

noname#123390
noname#123390
回答No.4

>ケータイ、自動車などのテクノロジーは恩恵とともに多くの考えなければならない課題を現代社会に生み出しています。 はい、その通りです。問題は多岐にわたりここで一言ではとてもいえません。 >テクノロジーが生み出す課題とは一体何でしょう?。 しかし、ここまで読ませていただくと、ケータイ、自動車で代表される現代のテクノロジーは貴方にとっては恩恵ばかり生み出す「うはうはのもの」だとお思いなのですね。 それはそれでひとつの考えだと思います。 楽天主義という考え方です。 別にそれで問題点が思い浮かばないのなら何も心を傷めるようなことをわざわざ考える必要など”まったっく”ないのではないと思います。 例えば、 ご近親に自動車事故で不幸に見舞われたひとがひとりもいらっしゃらないというのは、それだけでも貴方が素晴らしい幸福の星に生まれた稀有な方だとうらやましく思うものです。 私の家族と親戚では3人が死んでいますが、そんなところが日本では平均だろうと思います。 貴方の幸せを大事にして、今後もどんどん積極的にテクノロジーを利用していってください。 ご参考まで。

mu2mu2mu2
質問者

お礼

確かに私はどちらかというとテクノロジー楽観主義です。 しかしこの質問は私個人の話ではなく、これから更に展開するであろうテクノロジーと付き合っていくにあたって、人間が考えていくべきことを知りたかっただけで、これをきっかけに皆さんにも一度一緒に考えてほしく、偉そうですが啓蒙的意味もふくんでいたのです… 残念です。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

テクノロジーが生み出す課題とは一体何でしょう。 そして、私たちはテクノロジーとどう付き合っていくべきなのでしょうか. ○難しい質問ですね。科学文明信仰に陥った現代人が紳士に考えるべき課題ですね。 まず、二番目の「私たちはテクノロジーとどう付き合っていくべきなのでしょうか。」が先にあるべき質問なのですね。 この答えが出れば、一番目はおのずと推測できるでしょう。 テクノロジーとは人間にとって何かなんですが、その本質は「余暇を作り出しための道具」という位置づけですね。では余暇を作り出すことの意味はと問うのですね。その意味は、旅行をしたり、飲んだり、パチンコ、ギャンブルなどの遊興に過ごすことじゃないことは哲学カテに来るぐらいだからわかりますよね。つまり、余暇を使って人間性を高めるということが目的なのですね。人間性、つまり精神性を高めることなら何でもいいんですね。 そういう目的のためだけに「科学技術の振興」が許されているのですね。 逆に、「科学技術の振興」が人間性の堕落の方向を助長すれば、あるいは生存性を脅かせば科学技術そのものに存在の意義がなくなるのですね。 例えば、石綿みたいなもので便利だと思って使ったが人体に害があるので処分する。というものですね。 つまり、道具でしかないわけです。誰にでもすぐ判る道具か、時間がかからないとわからない道具か、科学思想という道具かの差だけですね。一番注意すべきは科学技術信仰ですね。道具でしかないものを神棚に置きおまいりするようなやからが出てくることですね。道具に対して信仰しても人間は道具にしかなりませんからね。例えば、ロボットになりたいとかね。 技術の人間に対する本質・価値がわかれば、割と簡単に解ける問題でしょ。

回答No.2

道具とは、「人にできない事を、できるようにする」ための物か、「人にできる事も、やらずにすむ」ための物か、によって、大きな違いがあります。 社会的生命(分業=助け合って生きている)の自覚化によって、自律的に(=愛によって)社会行動をとるか、社会性の発達においてそれに対応した認識の深まりを怠り、自己チューなまま、お金や地位といった“馬車馬の目の前のニンジン”によって他律的に生かされる(=お金をもらうためにイヤイヤ働かされる)かの違いで。 主体的生命として、生きること自体による喜び(精神的充足の最大化)か、他律的な歯車として苦痛(マイナス)から逃げるだけ(±0)の、死人に等しい生か。

mu2mu2mu2
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 少し極論すぎる気もしますが、「人にできない事を、できるようにする」ための道具、「人にできる事も、やらずにすむ」ための道具があるということには全くの同意見です。 また、道具を扱う際にはそういうことを意識しないといけませんね。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.1

この質問は、何となく宿題かなにかの丸投げっぽいですね。一先ずご自分の意見を整理して、それを上手にまとめたものをたたき台にして、皆さんからそれに関するご意見を伺うのが筋だと思います。

mu2mu2mu2
質問者

お礼

妹の教科書を読んでいた時、疑問に思ったので質問させて頂きました。その教科書の課題の欄に書いてあったので、宿題っぽいのかも知れませんね。