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http://www2.odn.ne.jp/hokkeji/sub7.
http://www2.odn.ne.jp/hokkeji/sub7.html 上のページで光明皇后が護摩を行ったと出ております。 しかし護摩というのが日本に伝わったのは弘法大師空海(774~835)が唐から持ち帰って後のはずで、 760年に亡くなった皇后が真言密教の護摩を行じるのは不可能です。 空海以前に果たして日本に護摩というものがあったのでしょうか?
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一般に、日本の密教で見られる護摩修法は、延暦23年(804年)に留學僧として唐へ渡った最澄と空海が持ち帰って広めたもの言われます。しかし、密教を組織的に学んだ日本人は最澄と空海が最初なのでしょうが、彼ら以前に、すでに護摩修法が断片的に日本に伝わっていたようです。修験道の役小角(えんのおづぬ)らも護摩修法を行ったといわれます。役小角は7世紀末の人であり、最澄や空海よりも100年も早く、護摩修法を行っていたことになります。 インドで密教が成立したのは5世紀の頃です。100年後に中国へ伝わり、さらに100年後の日本へ伝われば、7世紀に既に密教が断片的に日本へ伝わっても不思議ではありません。
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- isa-98
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#1様と同様な考えを持ち、違う方面からのアプローチを考えるべきだと思います。 古神道では火を使ったと考えるのが妥当だと考えます。 魏志倭人伝で骨を焼いて吉凶を占うとあります。 ですので、古神道と祈祷に火は不可欠であると仮定は十分に可能です。 記録上、「写し」「後年の編纂」となれば護摩と言う後の表現も十分に考えられます。 全部が間違いであると片付けるのは危険です。
お礼
質問タイトルの入力に失敗したにもかかわらず、この質問に御回答いただき ありがとうございます。 スサノオのミコトあたりが火を焚いて何かやりそうな感じがありますねw 古事記や日本書紀以前になにか神秘的な行というものがあったかもしれません。 大変参考になりました。
お礼
質問タイトルの書き込みに失敗したにもかかわらず、 この質問を見つけて御回答いただき、ありがとうごさいます。 なるほどよくわかりました。 夫の聖武天皇は大変国際的な交流をしていた方でしたからね。 7世紀初めに活躍した聖徳太子なども、ひょっとしたら護摩を やっていたかもしれないですよね。 大変参考になりました。