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数学の可能性と人間の認識能力について
数学の解析学は結局「無限と連続」を追及した分野だと思いますが どちらも実在しませんよね。 人間の視覚に無限の分解能があったら あらゆるものが粒子に見えるはずですかものね つまり貧弱な精度を持ってないが故に成立した分野だと思いますがどうですか? そうであるならば、人間の何らかの欠陥・不能が新しい分野を発生させる 可能性があるということですよね? ちょっと哲学的(衒学的)で申し訳ないのですが・・・ 答えようがないといわれれば引き下がるよりないのですが・・・ どなたかご意見ください
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No.3 です。 神が自身に似せて人間を創ったのか、 人間が自身に似せて神を造ったのか…という 信心深い人が聞いたら激怒しそうな話が、 宗教学にはあります。 さて、直線を認識する場合に、 連続性などの細部構造も大切ですが、 大域的なところも考えてみると… 我々が現実に目にするのは、直線っぽい何か ですらなく、線分っぽい何かに過ぎません。 それでも、我々は「直線」を想像します。 無限の延長など、見たことも無いのに。 これは、光学的・大脳生理学的に経験した 直線っぽいものの近似として、直線の概念を得た のだと考えるよりも、 全ての経験に先立って、我々の精神内部に 直線の概念があり、そこへ引き寄せて解釈するから 紙上のミミズ状のインクの染みが直線に見える のだと考えるほうが、容易なように思われます。
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- climber(@politeness)
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NO7です。NO9様ご指摘のように『物理的には、不確定性原理において、「単位性(量子)」と「連続性(確率波動)」は融合させられてい』るということであれば、物理的解析学上「無限と連続性」を肯定する余地を残すのは難しいと感じました。 加えて、この点を前提とした、NO10様による物理と数学の関係についての考察に全面的に同意できます。 大変参考になりました。ありがとうございました。
- Mokuzo100nenn
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学のある先生方の議論に大工ごときが参加する資格は無いんですがね、最近、”無限病症候群”ってのに罹っているものですから、ちょっと一言わしてくださいな。 別件でね、無限のことを教わったときにね、物理の人が「無限大」「無限小」って言葉を使うんですよね。 無限大ってのは、無限小と対になっているところから、無限とは違う言葉かなと考えて調査していたんです。 そしたらね、トイレ工事していたわけじゃないんですがね、大の方じゃなくてね、小の方にね、発見したことがあるんですよ。 物理(=現実の世界)にはね、ドイツの偉い物理学者の名前を取った「プランク長」という長さの単位があってね、これ以下が無いんだって。 単位が無いんじゃないよ、長さが無いんだ。 どのくらい小せえかっていうと、10のマイナス33乗センチメートル程度らしいんですけど、これがね、量子効果っていう現実世界の制約で、これ以上小さい長さは「存在」しないってんだ。 情報があるでしょう。 これはディジタルでビット単位の組み合わせで表すことができるものですけどね、プランク長で囲った四角形(性格には立方体かな)にひとつビットが立つことができるでしょ。これが最大になるっていうんだね。 これ以上の情報は現実の世界では持てない。 これ以上の情報密度が存在できないっていうのかな。 たぶん、物理学ではこれが「無限小」だね。 無限じゃない。 質問文を読むとね、 >人間の視覚に無限の分解能があったら、、、 ってあるようにね、質問者さん自身がすでに数学の概念を使っちゃっているんだね。 現実の世界で言える事はね、 「人間の視覚にプランク長の分解能があったら、、、」ってのがセイゼイ。 ところが、数学では、1プランク長の何千分の一でも議論できちゃう。 日本一の大工でもカンナで削れる薄さなんて3ミクロンぐらい。 木が透明だなんて、みなさん信じないだろうけど、このレベルになるとね、削りくず(オガって言うんだけど)が透明ですよ。 でも、たかだか3ミクロン。 何を言いたいかと言うと、 人間が、否、実在するものが、持ちえる分解能や解析能を超えるために数学がある、って考えることはできないかな。 主語は「人間が」じゃなくて「実在するものが」だね。 現実の(=物理の)制約から解放されるために人間が数学を使う。 質問者さんが「人間の」と言っている部分に「現実の」とか「物理の」を代入していただくと、大工の言いたいことに近いような気がします。 ちょっとずれてたらごめんなさいね。
- 雪中庵(@psytex)
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物理的には、不確定性原理において、「単位性(量子)」と 「連続性(確率波動)」は融合させられています。 「人間の不完全性が~」という意味では、本来、絶対的確定化 において無限不確定化(=無)する、不確定性原理の相補的 不確定性を、物事の本質を把握せずに階層現象表面的に定性化 することによって、有限的な性質を派生させる、「不完全な 認識能力」がそれでしょう。
- alice_44
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No.3 です。 「人間の前頭葉には存在する」というのは、 私の考え方とは、かなり違います。 「私の思考の中に存在する」ならば、 同意できますが。 私の思考を構成するための部品として いわゆるヒトとしての私が「実在」し、 その臓器の一つとして前頭葉があり、 それが思考を形成する機能の大部分を負う …という物語は、 私の「存在」を説明するためのモデル としては、不自然に長く、 中間的な仮定の数も多すぎます。 「我思うゆえに我あり」の方が単純明快です。 これを、質問の問題に沿って言えば… 「無限や連続は人間の前頭葉に存在する」よりも、 単に「無限や連続は存在する」のほうがよい。 なぜならば、人間や前頭葉の実在よりも 無限や連続の存在のほうが明白だから。 …という考えになります。 宇宙から人間が絶滅しようが、しまいが、 単に私が死ねば、 無限・連続は、私にとっては存在しなくなります。
- climber(@politeness)
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NO6です。回答へのお礼ありがとうございました。この中で言及されていますように、科学とは物理(化学)に限定されるものではありませんが、入口論にとどまっていても話が進まないので、こちらが譲歩して、解析学の起源に限定して論じてみたいと思います。 確かに元素に関しては解析に限界があるのかもしれません。一方、物理学上の不可視的要素である重力(原子レベルで働く力)・電磁力(陽子と電子を引き合う力)・強い核力(陽子と中性子を結合させる力)・弱い核力(放射線崩壊を制御する力)といった元素が存在するのに不可欠の周辺要素をも射程に入れるなら、物理学上でも「無限と連続」を肯定する余地があるようにも思えます。 要するに視覚認識できない研究対象も存在するということです。(そういう意味ではある種の社会科学も同じだと思いますが。)
- climber(@politeness)
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NO4です。回答への丁寧なお礼ありがとうございました。 自然科学は、特定の現象を説明する学問で、客観性を基調としています。社会科学は、社会現象を研究する学問で、自然科学以上に一定の主観が入るものの、やはり客観性を基調としています。要するに、解析学は客観=(2)客体・の上に成立する学問であると考えています。 これを突然人間の視覚に無限の分解能があると(1)仮定しつつ、解析学を人間内奥=(3)主観・に当てはめ=(4)融合化・ている点にロジックの飛躍の基礎=(5)問題の根源があると言いたかったのです。 ただし一連の問答を拝見していて、同意するかしないかは別として、質問者様の考え方が幾らか見えてきたようにも思えます。
お礼
いつまでも頭の悪い私にお付き合いくださりありがとうございます まだちょっとご意見を理解できません もう少し理解に努めてみます ちょっと話がかみ合わないのは 私:解析学の起源(根本動機) えらそうにごめんなさい politenessさん:完成した実用に供される解析学 だからですかね?
- tsukita
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No2です。 >結局「無限・連続」は人間が作り出したってことですよね >全宇宙では人の前頭葉の中にしか存在しないってことですね? これについては、敗北です^^; 例えば、「我々が暮らしているこの空間が、連続なのものか、分割できるものか」という問題が現在、物理学の世界で議論されているような話を聞いたことがあります。そして、「この空間は実はバラバラなもので(ピタッと結びつくことはなく)微妙にずれてくっついている」と考えた方がつじつまが合う現象があるらしいことも(どういうこと!?) まったく理解を超越しているため、全くどういうことかわかりませんが、いずれにしても空間は連続だ!ということは主張できそうにありません。 ものの長さを測るのはどうでしょう? きっちり10cmの長さと思っていても、精度を上げればmm,μm,nm… と必ず誤差はあるわけで、この長さは“無理数”的に無限に続くようにも思います。でもこの世界にこれ以上分割できない粒子(真の構成単位)が存在したら、そこで無限の操作も終わりだし… ※とはいっても、これ以上分割できない粒子が存在を証明することが不可能なわけで… こんな風に考えると、わけがわからなくなってきました。 「無限・連続は人の前頭葉の中にしか存在しない」という考えはなかなか覆すことができないものに思えます。敗北です(笑) >たとえ話のりんごの件も >「人間の認識能力」の欠陥に由来します >全宇宙に全く同じ「りんご」は存在しません >ただ人の視覚がお粗末だから同じりんごが3つ >と錯覚するわけで >自然数ですら人の視覚のお粗末つさに由来します これは違うんじゃないでしょうか? 1つ1つのりんごは違うと知っていながら、それらに“3”という抽象概念を見出す「いい」能力って私は思いますが。 そもそも、欠陥ってなんでしょうね。 “錯覚”を欠陥ととらえるなら、先にありますファイ現象や新しい3D技術は確かに新しい分野なのかもしれません。少なくとも、科学技術なんかは、人間の欠陥を補うために(不可能を可能にすることを目指して)発展してきましたよね。
お礼
正直なご意見ありがとうございます 折角ですが敗北宣言は見当違いかなと tuikaさんのご意見「無限・連続は人間の作り出したもの」 ということは私が壱番云いたかったことなので 味方が1人増えた万歳!と思いました りんごの件 私もちょっと過激な意見とは思いますが 一面の真実をついていると思って云ってしまいました tuikaさんのおっしゃることは私も承知しています ポジティヴに考えればそうですよね どうも私はマイナスに考えてしまいす 私自身世間的に否定的な扱いをされるからなのはわかっているのですがね いづれにしろお付き合いいただきどうもありがとうございました
- climber(@politeness)
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はじめまして。他の方も指摘されていますように、ロジックに飛躍があるように思います。 解析学は、自然科学や社会科学における事象理解の分析的・予測的メソッドとして広範囲にわたり応用されています。しかし、質問者様が、仮定法を媒介としつつ、客体を主観と融合化させている点に問題の根源が存在すると考えます。 そして、ここで形成された一元的概念を基軸として、(中間項を設定しつつ)「欠陥・不能」へと演繹されている点に疑問を感じざるを得ないのが本音です。
お礼
ありがとうございます (1)仮定法を媒介としつつ、 (2)客体を(3)主観と(4)融合化させている点に (5)問題の根源が存在すると考えます。 (1)、(2)、(3):何に対しておっしゃているのかわかりません 具体的にお願いします (4)えっ? (5)問題を提起しているつもりはありません 何を持って問題とお考えなのですか? すみません折角親切なご回答頂いたのに 揚げ足取りのような返答になってしまいました どうぞお気を悪くなさらなずに 返答いただければ嬉しいです
- alice_44
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極めて「哲学的」ですね。 「無限」も、「連続性」も、どちらも存在しています。 矛盾なく定義ができることを「存在する」と呼ぶのが、 数学における「存在」の定義です。 「実在」だとか、「実存」だとか、 単に存在を仮定したに過ぎない「現実」を引き合いに出して、 明白確実な論理的存在に疑義を挟むのが、哲学者の悪い癖です。
お礼
ありがとうございます つまりalce_44がおっしゃるのは 実在はしないが人間の前頭葉には存在すると もし宇宙から人間が絶滅したら 無限・連続は存在しなくなると 神がいるだろう? って云われそうですね 神って思考するのでしょうか?
- tsukita
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私は、数学でいう“無限”と“連続”とを視覚に求めるのは、少し観点がずれていると思います。私は“無限”と“連続”は、視覚ではなく、抽象化という人間の能力から生まれたものだと思います。その意味では“数”という概念と同様です。 3個のみかんと3個のりんごに共通の“3”を見出だすことができる能力はどこからくるのでしょうか?無限と連続が(現実に存在するかどうかは別にして)それを概念として理解できる能力はどこからくるのでしょうか? ただ、無限・連続の例を別として、 >人間の何らかの欠陥・不能が新しい分野を発生させる >可能性があるということですよね? この可能性は大いにあると思います。
お礼
ありがとうございます 結局「無限・連続」は人間が作り出したってことですよね 全宇宙では人の前頭葉の中にしか存在しないってことですね? 因みに たとえ話のりんごの件も 「人間の認識能力」の欠陥に由来します 全宇宙に全く同じ「りんご」は存在しません ただ人の視覚がお粗末だから同じりんごが3つ と錯覚するわけで 自然数ですら人の視覚のお粗末つさに由来します
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お礼
ありがとうございます 直線・連続の概念がアプリオリに存在しているから それに引き寄せて前頭葉は実在するものを 解釈するのだと つまり概念が先だということですか 興味深いご意見ありがとうございます 私の前頭葉捏造説よりポジティヴで 希望のもてる考え方で私の気に入りました