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自然な日本語に添削していただけないでしょうか。(月曜日弁当)
日本語を勉強中の中国人です。文章力をつけたいので、作文の練習をしています。次の日本語を自然な文章に添削していただけないでしょうか。 月曜日弁当 この頃、毎日月曜日弁当という名前の弁当を頼んでいる。その弁当の箱はとても特別である。紙の箱の中に薄い木切れで出来た木箱がある。環境にやさしい木箱らしい。そんな箱の中に入れてある弁当を見て、心が安らぐ。午前中の仕事の疲れが消え、自然の中を散策しているような気分になる。それに、清潔感も与えてくれる。 私が頼んだ定食は深海魚排飯(深海フライフィッシュ定食)である。むやみに混じらずに、一品一品丁寧に置かれており、油っぽくもない。私は残らずにきれいに食べる。中国語がわからない日本人の同僚も私にならって、何日も同じようなものを注文した。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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1、 > この頃、毎日月曜日弁当という名前の弁当を頼んでいる。 → この頃、【昼食で、】【毎日のように】月曜日弁当という名前の弁当を頼んでいる。 : a. 「昼食で」「お昼に」などのように補足すると唐突さが薄まります。 b. 原文のままでも特に問題はありませんが、会社へ行かない日は召し上がらないと思うので、「毎日のように」とするほうが正確ですし、また、実際に毎日食べていても、(厳密に事実を示す必要がある場合以外は)「ように」と断定を避けた表現のほうが柔らかな印象を与えます。 2、 >その弁当の箱はとても特別である。紙の箱の中に薄い木切れで出来た木箱がある。 →その弁当の箱は【ちょっと】【変わっている】。紙の箱の中に薄い【板】で出来た【箱】が入っているのだ。 : a. このシチュエーションでの「とても」は、弁当の入れ物に関する表現としては、やや直截的すぎます。 「ちょっと」でも、「かなり」という要素を表現することができるので、こちらを使うほうが妥当でしょう。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/127878/m0u/%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8/ の(3)です。 b. 「特別である」という表現自体は間違っていませんが、このシチュエーションではやや唐突です。 「特殊である」という意味でお使いになったようにも思いますが、 「他のとは違う」という意味で「(他の弁当と比べて)変わっている」ぐらいの軽めの表現が良いでしょう。 c. 「木切れ」というのは、「木の余り物」「不要になったもの」というニュアンスがあります。 3、 >環境にやさしい木箱らしい。 →【聞くところによると、】環境にやさしい木箱らしい。 :出だしが唐突です。 「聞くところによると」などと始めると落ち着いた文になります。 #1さんの「なんでも」が簡潔で、さらに適切な表現でしょう。 4、 >そんな箱の中に入れてある弁当を見て、心が安らぐ。 →そんな【心遣いをされた弁当】を【見ると】、【何だかほっとする】。 : a. 「そんな箱の中」がやや不自然です。 「そのような箱の中」にすると多少は改善されますが、いずれにしても、「そんな/そのような」の内容をある程度述べる必要が残されています。 b. 「弁当を見る」→「心が安らぐ」という因果関係は不自然な印象を与えます。 「心が安らぐ」という表現が大げさなためだろうと思われます。 「ほっとする」程度の表現が適当でしょう。 それでもまだ違和感は残るため、さらに『「何だか」という漠然としたイメージ』を付与すると丁度よくなります。 5、 >午前中の仕事の疲れが消え、自然の中を散策しているような気分になる。それに、清潔感も与えてくれる。 →【なんとなく】自然の中を散策しているような気分に【なることさえあったりして、仕事の疲れも取れる。】【】 : a. 第一印象は「自然の中を散策しているような気分」が大げさだということです。 「なんとなく」「なることさえあったりして」という表現で、漠然性を付与させるのが良いと思われます。 b. 「それに、清潔感も与えてくれる」は、どういう意味でお遣いになったのか不明だったので、省いてあります。 7、 > 私が頼んだ定食は深海魚排飯(深海フライフィッシュ定食)である。 → 【今日】 私が【頼んだのは】深海魚排飯(深海フライフィッシュ定食)である。 : この文の(頼んだ)時制は、冒頭の「この頃」を受けてしまうため不自然になります。 「この頃頼んだ」では不自然なので、何らかの時制の特定が必要になります。 無論、「今日」ではなく、「昨日」でも「一昨日」でも「火曜日」でも構いません。 8、 >むやみに混じらずに、一品一品丁寧に置かれており、油っぽくもない。 →むやみに【詰め込まず】、一品一品丁寧に【盛り付けてあり】、また、【油っぽくもなくカラッと仕上がっている。】 : a. 「混じらず」と表現すると、「フライたちが勝手に混ざった」というニュアンスになってしまします。 「混ざっておらず」であれば大丈夫ですが、「詰め込まれず」などとするのが良いでしょう。 b. 「置かれて」は意味は通じますが不適切。 #1さんのご回答である「盛り付け」という表現が最適でしょう。 c. 「油っぽくもない」はなかなか高度な表現だと思います。 ただ、「べたっとした食感が無いのでおいしい」という意味であれば、その食感を付与するのが効果的でしょう。 「カラッとしている」 「サクッとした歯ごたえが嬉しい」など。 9、 >私は残らずにきれいに食べる。 →私は【毎回】【残さず】きれいに食べる。 : a. 「残る」と「残す」は別です。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/151672/m1u/%E6%AE%8B%E3%82%8B/(2) http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/151645/m1u/%E6%AE%8B%E3%81%99/(2) b. 「毎回」「いつも」などとすると落ち着きがよくなります。 10、 >中国語がわからない日本人の同僚も私にならって、何日も同じようなものを注文した。 →中国語がわからない日本人の同僚も私にならって、【いつも】同じようなものを【注文している】。 : a. 「何日も~注文した」という構文自体は可能ですが、このシチュエーションでの「何日も」は不適切な表現です。 「注文した内容」よりも「繰り返し」に重点が移ってしまうからです。 「何日も同じものを注文するので嫌になる」といったような表現であれば自然になります。 「何日も」→~ので→「嫌になる」 というような「日数との因果関係を表現したい場合」は適切だ、ということです。 しかし、ここは「日数との因果関係」ではなく「いつも(同じようなものを)注文する」という事実を表現するシチュエーションでしょう。 b. それまでの文脈からして、 「(同じようなものを)注文していること自体」を表現したいのでしょうから現在形にする必要があります。 「(同じようなものを)注文したという事実」を表現したいのであれば、「注文した」でも可です。 しかし、(前後に拘わらず)その事実に対する「何らかの訴求」を述べないと未完結の内容となり読者に欲求不満を引き起こします。 (ex) ○私は会社へ地下鉄で通っている。(完結) ○私は会社へ行くために地下鉄に乗った。 だが、停電事故で一時間も遅れてしまった。(完結) 上の二つは自然ですが、たとえば ×私は会社へ行くために地下鉄に乗った。(未完結) というような文だけが存在し、「地下鉄に乗った」という事実に対する何らかの訴求が(この文の前後に拘わらず)述べられていないと、その(文ではなくて)作文は不自然になります。 ○今朝、会社へのバスに乗り遅れてしまった。 止むなく、私は会社へ行くために地下鉄に乗った。(完成) ○私は会社へ行くために地下鉄に乗った。 乗ってしまってから財布を家に忘れてきたことに気づき大いに慌てた。(完成) などはOK です。 今回の例で言えば 『中国語がわからない日本人の同僚も私にならって、いつも同じようなものを注文した。 しかし、本当はもっと他のものも食べたかっただろうと思う。』 などと続けば、「注文したという事実に関する訴求」が為されているため自然な展開になります。 <11、要注意点> ・弁当の箱はとても【特別】 ・【弁当を見て、心が安らぐ】 ・【それに、清潔感も与えてくれる。】(←意図が不明) ・【残らずに】 ・何日も同じようなものを注文【した】 自然度 65% <12、まとめ> 月曜日弁当 この頃、昼食で、毎日のように月曜日弁当という名前の弁当を頼んでいる。その弁当の箱はちょっと変わっていて、紙の箱の中に薄い板で出来た箱が入っている。聞くところによると、環境にやさしい木箱らしい。そんな心遣いをされた弁当を見ると、何だかほっとする。なんとなく自然の中を散策しているような気分になることさえあったりして、仕事の疲れも取れる。 今日、私が頼んだのは深海魚排飯(深海フライフィッシュ定食)である。むやみに詰め込まず、一品一品丁寧に盛り付けてあり、また、油っぽくもなくカラッと仕上がっている。私は毎回残さずきれいに食べる。中国語がわからない日本人の同僚も私にならって、いつも同じようなものを注文している。
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- hakobulu
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#7です。 1. >このシチュエーションでの「とても」は、弁当の入れ物に関する表現としては、やや直截的すぎます。 「ちょっと」でも、「かなり」という要素を表現することができるので、こちらを使うほうが妥当でしょう。 「弁当の入れ物に関する表現としては、やや直截的すぎる」のはなぜよくないでしょうか。「ちょっと」は直截的ではない表現でしょうか。なぜそれが妥当なのか、よくわかりません。 : そうですね。 言葉を変えれば、大げさな印象を与える、ということになるでしょうか。 たとえば、開けるのに鍵が必要だといったような箱であれば、「とても変わっている」と表現しても構いません。 しかし、木の薄板を使っている程度であれば「とても変わっている」というのは大げさだと受け止められるでしょう。 「ちょっと」には本来、「少し/やや」という意味があるので、同じように「かなり」という意味を表現するにしても直截的(あるいは大げさ)な印象が弱まります。 少し用法は違いますが、次のような場合にも「ちょっと」を使います。 A :ボーナスたくさん出たらしいですね。 B1 :はい、とてもたくさん出ました。 B2 :いいえ、ほんのちょっとです。 同じ金額のボーナスであっても、B2 のように答えるのが普通です。 ・チリ地震は、とても大きな被害をもたらしました。 などのような場合は別です。 2. >「他のとは違う」という意味で「(他の弁当と比べて)変わっている」ぐらいの軽めの表現が良いでしょう。 「変わっている人」なら、「変な」という貶す意味がありますね。「変わっている弁当箱」なら、そういう貶す意味が含まれているのでしょうか。 : おっしゃるとおりですが、あくまで人の場合だけです。 無論、シチュエーションによっては「変な」という意味を表す場合もあります。 しかし、「変わった弁当箱だ」と聞けば、聞いた人には、 「何かとてもユニークな弁当箱なのだろう」という期待感が真っ先に生じるでしょう。 「変な」という意味には全く受け取られないはずです。 3. >「それに、清潔感も与えてくれる」は、どういう意味でお遣いになったのか不明だったので、省いてあります。 木箱の中に入れることで、自然を感じただけではなく、衛生面で清潔な感じもするということを表したかったのです。 : なるほど、よくわかりました。 「それに衛生面から言っても優れているように感じた。」 などとすると良いかもしれません。 手やタオルなどが清潔、という表現はしますが、 食べ物自体に関連する清潔という表現はそぐいません。 4. >私が頼んだ定食は深海魚排飯(深海フライフィッシュ定食)である。 → 【今日】 私が【頼んだのは】深海魚排飯(深海フライフィッシュ定食)である。 : この文の(頼んだ)時制は、冒頭の「この頃」を受けてしまうため不自然になります。 この作文は最近よく食べる弁当についての話です。構文としては、まず、その弁当の容器(木箱)の話をして、それから弁当の中身(深海魚排飯)の話をしました。ある日ではなく、この頃いつも頼んでいる弁当の中身です。「私が頼んでいる定食は深海魚排飯(深海フライフィッシュ定食)である」はいかがでしょうか。 : 「頼んでいる」であれば「この頃頼んでいる」と無理なく意味が通じますから、日本語としては全く問題ありません。 しかし、そうなると毎日「深海魚排飯(深海フライフィッシュ定食)」を食べている、という意味になりますがよろしいでしょうか。 「毎日月曜日弁当という名前の弁当を頼んでいる。」という出だしだったので、月曜日弁当の中に色々なバリエーションがあり、そのひとつが「深海魚排飯(深海フライフィッシュ定食)」なのだ、と私は受け取っていました。 5. >「混じらず」と表現すると、「フライたちが勝手に混ざった」というニュアンスになってしまします。 「混ざっておらず」であれば大丈夫ですが、「詰め込まれず」などとするのが良いでしょう。 「混じっておらず」でも大丈夫でしょうか。「混じる」と「混ざる」の違いは何でしょうか。 : 「混じっておらず」は不自然になります。 「混じる」は、何か別のものが混入する、という意味になると思います。 「混ざる」は、一緒になる、というニュアンスでしょうか。 6. >→むやみに【詰め込まず】、一品一品丁寧に【盛り付けてあり】、また、【油っぽくもなくカラッと仕上がっている。】 「混ざっておらず」であれば大丈夫ですが、「詰め込まれず」などとするのが良いでしょう。 「詰め込まず」と「詰め込まれず」とどちらが正しいのでしょうか。 : すみません。 添削例と説明例が違っていましたね。 (A) 【作った人は】むやみに詰め込まず、一品一品丁寧に盛り付けてあり、また【そのフライは】、油っぽくもなくカラッと仕上がっている。 (B) 【フライは】むやみに詰め込まれず、一品一品丁寧に盛り付けてあり、また、油っぽくもなくカラッと仕上がっている。 どちらでも大丈夫ですが、作った人の心遣いに思いをいたす意味で、どちらかと言えば A のほうが妥当ではないかと思います。 腑に落ちない点がございましたらさらに補足なさってみてください。
お礼
再びありがとうございます。納得できました。とても参考になりました。本当にありがとうございました。頑張ります。
- gldfish
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そうですね。確かに日記であれば「である」調がポピュラーですが、最近はブログ利用者が多いので、見られる事が前提のせいか、日記=「です・ます」調の印象が強いかも・・・最近ならではの流れかもしれませんね。 でも自分しか読まない日記でも「です・ます」調でも変ではないと思いますよ。「和やかな日記にしたい」という理由であえて使う人もいると思いますので。 「である」は学術的な文や文学等では見ますが、(「である」調で書かれた日記も含め)最近はやはり日常ではあまり使われない気がします。 おっしゃる通り「その弁当の箱はとても特別だ。」「私が頼んだ定食は深海魚排飯だ。」がベストかもしれません。
お礼
「です・ます」調と「である」調について詳しく説明していただきありがとうございます。理解できました。とても参考になりました。本当にありがとうございました。
- gldfish
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No.4です。男性の文に見られがちなのは、 ・「である」調 ・論理的で数学的な硬い表現 ・・・この辺りが原因ではないかと思いますね。勿論「である」調を使うのがベストなケースもありますが、日常では「です・ます」調を積極的に取り入れてみてはいかがでしょう。これだけでもかなり柔らかい雰囲気になりますよ。 「ネイティブの作った文をそのまま取り入れてまとめる」というのは、自分も英文を作る時によくやります。自分でよく考えて作った文だと、文法の勉強にはなるのですが、やはりネイティブが読むと不自然だったり聞き慣れない表現になってしまっている可能性が高いですね。 日本語例文集は無いのですか? 例えば英語であれば以下のサイトが有名で、検索した語句に関するたくさんの英語の例文が見られます。http://www.alc.co.jp/ 日本語のこういうサイトがあるといいのですが。
お礼
再びありがとうございます。日記のような感じで書いた文です。自分に「です・まあす」調を使うとおかしいような気がします。「である」をやめて、「だ」を使うほうがいいかもしれません。日本語例文集は日本GOOGLEです^^。いろいろな提案をくださり、心から感謝いたします。本当にありがとうございました。
- gldfish
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とても綺麗で丁寧な文だと思います。 ただ現実的に見ると、ネイティブが書いたような文にするなら大幅改良が必要だと思います。論理的過ぎて学術的な論文のような硬い文になっていますので。 もっと慣用的な表現を積極的に使う事をお勧めします。極端な話、ネイティブの作った文をそのまま取り入れてまとめるのがベストです。そうするうちに慣用的な自然な表現を覚えてくると思いますので。 明らかに誤りと思われる点のみを。 >そんな箱の中に入れてある弁当を見て、心が安らぐ。 「弁当を見ると、心が安らぐ」の方が的確です。 >むやみに混じらずに この場でこの表現はかなり不自然です。「混ざらないように一品一品丁寧に置かれており」等とするのが自然でしょう。 「油っぽくもない」は褒め言葉としては不相応なので、褒めたいなら「さっぱりしている」といった表現を使うのがいいでしょう。 >残らずにきれいに食べる。 「残さず」が一般的でしょう。 >何日も同じようなものを注文した。 最近繰り返し行われている事なら「注文している」とするのが自然です。 それから、誤りではないが、違和感のある点。 >清潔感も与えてくれる 少し難しいですが、「清潔感」という言葉は、「清潔でない可能性のある場」で用いられる事が多い単語のように思えます。 日本では「食」「医療」といった物事には本来「清潔であって当然」という意識があるせいか、「清潔感」はそれらを形容する言葉としてはあまり用いられないかもしれません。「清潔」という「不潔な可能性のある場」でしか用いられない言葉があえて持ち出される事で、逆に不衛生なイメージが浮かんでしまうのだと思います。 例:「清潔感のある食べ物」(食べ物は清潔であって当たり前なので、多くの場合これは不自然です。) 「清潔感のある手術室」(手術室も同様に、不自然です。) 「病院内では、手は清潔に。」(手は不衛生な可能性があるものなので、これは可能です。) それから、特に現代では、こういった日常をつづった話や遊び心のある話は、「である」調より「です・ます」調の方が自然かもしれませんね。
お礼
ご親切に添削していただきありがとうございます。ご意見はとても参考になりました。私は女性ですが、書いた文章からすると、よく男性だと間違われています。改善したいです。「ネイティブの作った文をそのまま取り入れてまとめる」という貴重なアドバイスをいただき、大変嬉しいです。このようにします。本当にありがとうございました。
この頃、毎日月曜日弁当という名前の弁当を頼んでいる。 ◇No2さんは「毎日」を取った方がが良いとのご意見ですが、わたしはこのままでよいと思います。 「この頃、毎日」と「この頃」では少し意味が変わります。 その弁当の箱はとても特別である。→その弁当の箱は特別である。 ◇これはわたしも「とても」がない方がすっきりしていると思います。 私が頼んだ定食は深海魚排飯(深海フライフィッシュ定食)である。 → きょう私が頼んだ弁当は深海魚排飯(深海フライフィッシュ弁当)である。 ◇前段落で使っている「弁当」ということばに合わせた方がよいでしょう。それとも「定食」という名前の弁当なのでしょうか。 ◇前段落は弁当についての説明ですが、「私が頼んだ」だとある特定の弁当を指しているように感じられます。その意味なら「きょう私が頼んだ弁当は」「ある日私が頼んだ弁当は」など、そうでないなら「いつも私が頼んでいる弁当は」のようにするのがよいと思います。 私は残らずにきれいに食べる。 ◇これはほかの方も指摘しているように「残さず」ですね。 何日も同じようなものを注文した。 ◇「何日も」ですから繰り返し、習慣の意味で「注文している」がよいでしょう。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。「いつも私が頼んでいる弁当は」が私の表したかった意味です。いろいろ大変参考になりました。すっきりいたしました。本当にありがとうございました。
こんにちは。 △「この頃、毎日」→「この頃」 ●「この頃」と「毎日」はほぼ同じ意味です。同じ様な意味の単語が2つ続いてくどく感じました。 △「弁当の箱」→「弁当箱」 ●「弁当の箱」より「弁当箱」の方が良く使われます。「弁当箱」という単語は辞書にも載っていることも付け加えます。 ※参考:新明解国語辞典、2005年、1353項、三省堂 △「とても特別である」→「とても変わっている」or「風変わりだ」or「特別である」 ●「とても」が「特別」を詳しく説明しています。しかし「特別」だけの方が自然です。少なくとも長い人生でその様な文章は聞いたことも、読んだこともありません。 ×「私は残らず」→「私は残さず」 ●「残らず」の場合は「私」の「状態」と解釈できます。「残さず」なら「相手」の「状態」と解釈できます。説明し辛いので例文を挙げます。 ※ひとり残らず逃げ出した。 ※ひとりもそれを残さずに食べた。 私なりに書いてみます。今までとは少し印象を変えてみました。 ●最近は月曜日弁当を食べている。外側は紙、内側は木切れという風変わりな小箱に料理が詰められているのだ。心だけでなく環境にも優しい木箱。午前中の仕事を一時的に忘れられる品物である。 ●今日は深海魚排飯(深海フライフィッシュ定食)なる定食を頼んだ。料理が混ざらず、丁寧に置かれている。無論、清潔感漂う外見と同様、油っぽさも感じない。中国語が分からない日本人も同じ物を注文した。それも何日もだ。何故か微笑ましい昼の一時である。 偉そうにしてすみませんでした。「月曜日弁当」というのがとても面白かったです。「木切れ」という単語も知りませんでした。勉強になり、楽しめました。
お礼
ご丁寧に教えていただきありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- ktyln
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月曜日弁当 近頃、毎日『月曜日弁当』という名の弁当を頼んでいる。 その弁当の容器はとても変わっている。 外箱は紙で、その中に木の折箱が入っているのだ。 なんでも環境に優しい容器らしい。 そんな優しい弁当は、見るだけでふっと心が和んでしまう。 午前中の仕事疲れも癒され、まるで自然の中を散策しているような心地。 なんだかとても清清しい(すがすがしい)。 ある日、私が頼んだ弁当は『深海魚排飯』(魚フライ弁当)。 一品一品がとても丁寧に美しく盛り付けられており、 良い油を使っているのか、油っこさを感じさせない。 私はいつも残さずきれいに食べる。 中国語がわからずメニューが読めない日本人の同僚も、 いつも私にならい同じものを注文している。 ------------------------------------------------- 時制の不一致(現在形と過去形の混在)が気になります。 どういう意味で書かれたのかが不明な部分があります。 ■弁当を頼んでいる(現在形/最近の習慣を表していると思います。) ■私が頼んだ定食(過去形/文頭の「頼んでいる」の現在形と整合性がありません。文頭の最近の習慣とは別の話ですか?いつの話ですか?) ■きれいに食べる(現在形/直前の「頼んだ定食」の過去形と整合性がありません。) ■注文した(過去形/直前の「私は~食べる」の現在形と整合性がありません。) 現在の話か過去の話か不明なところは、 勝手に推測して現在形で推敲(添削)しています。 よって、あなたが書きたかった意味とは違ってしまった部分が あるかもしれません。 あと、「弁当」と「定食」の混在に意味があるのかないのかも わかりませんでした。
お礼
ご親切に添削していただきありがとうございます。時制の不一致というご指摘がありますが、私の考え方は次のようになります。この作文は最近よく食べる弁当の話です。まず、その弁当の容器(木箱)の話をして、それから弁当の中身(深海魚排飯)の話をしました。いろいろ大変参考になりました。本当にありがとうございました。
お礼
すみません、追加質問が一つです。 6. >→むやみに【詰め込まず】、一品一品丁寧に【盛り付けてあり】、また、【油っぽくもなくカラッと仕上がっている。】 「混ざっておらず」であれば大丈夫ですが、「詰め込まれず」などとするのが良いでしょう。 「詰め込まず」と「詰め込まれず」とどちらが正しいのでしょうか。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ご親切に添削していただきありがとうございます。詳しく説明してくださり、大変参考になりました。まだよくわからないところがありますが、もう一度教えていただけないでしょうか。
補足
1. >このシチュエーションでの「とても」は、弁当の入れ物に関する表現としては、やや直截的すぎます。 「ちょっと」でも、「かなり」という要素を表現することができるので、こちらを使うほうが妥当でしょう。 「弁当の入れ物に関する表現としては、やや直截的すぎる」のはなぜよくないでしょうか。「ちょっと」は直截的ではない表現でしょうか。なぜそれが妥当なのか、よくわかりません。 2. >「他のとは違う」という意味で「(他の弁当と比べて)変わっている」ぐらいの軽めの表現が良いでしょう。 「変わっている人」なら、「変な」という貶す意味がありますね。「変わっている弁当箱」なら、そういう貶す意味が含まれているのでしょうか。 3. >「それに、清潔感も与えてくれる」は、どういう意味でお遣いになったのか不明だったので、省いてあります。 木箱の中に入れることで、自然を感じただけではなく、衛生面で清潔な感じもするということを表したかったのです。 4. >私が頼んだ定食は深海魚排飯(深海フライフィッシュ定食)である。 → 【今日】 私が【頼んだのは】深海魚排飯(深海フライフィッシュ定食)である。 : この文の(頼んだ)時制は、冒頭の「この頃」を受けてしまうため不自然になります。 この作文は最近よく食べる弁当についての話です。構文としては、まず、その弁当の容器(木箱)の話をして、それから弁当の中身(深海魚排飯)の話をしました。ある日ではなく、この頃いつも頼んでいる弁当の中身です。「私が頼んでいる定食は深海魚排飯(深海フライフィッシュ定食)である」はいかがでしょうか。 5. >「混じらず」と表現すると、「フライたちが勝手に混ざった」というニュアンスになってしまします。 「混ざっておらず」であれば大丈夫ですが、「詰め込まれず」などとするのが良いでしょう。 「混じっておらず」でも大丈夫でしょうか。「混じる」と「混ざる」の違いは何でしょうか。