難解比喩表現:「鏡の中に自分が見えない」とは?
What can I do, little Ziadi? She had held a mirror up to my face and I see nothng there. She has shown me my weakness.
(出典: The SULTAN'S HAREM 著者:Colin Falconer ページ:212)
質問:このI see nothng there(何も見えなかった)の箇所の解釈を御解説願えますか?
実際に鏡を見たわけではなくて、鏡を見せたというのは自分の立場を示されの比喩表現らしいのですが、そこに自分が見えないという事はどういう事なんでしょうか?(、、鏡に写らない者なんて吸血鬼くらいしか、、西洋文化で知りません。) (話者は吸血鬼ではありません。)
ネイテブの利用するQ&Aサイトで聞いてみましたが、その本を読んでみないと分からないと言われてしまいました。
http://forum.wordreference.com/showthread.php?p=8760322&posted=1#post8760322
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一応英文の背景です。
背景:宦官長Abbasは万策尽きて自室の寝台に腰掛けた。皇帝の命に叛く事は死刑に値する。 それを重々承知で、皇帝直々に、死刑を命じられたたハーレムの女を内密に助けてしまい、それを見事、皇帝の正室に勘付かれていたのだ。 生きる為には、正室の為に大宰相を暗殺できる者を探さねばならぬ、それが正室の「沈黙の値段」であった。 どう転んでも、命がけである。 Abbasがこんなことを相談できる相手は膝の上で丸くなっているネコだけだった、、、。 その時のAbbasがネコ(Ziadi)に話しかけたセリフ。
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よろしくお願い致します。
確かに「hold a mirror up to my face」は比喩的表現で、実際に鏡を表しているわけではないことは明らかですね。
ひょっとしたら、シェイクスピアが用いた「hold a mirror up to nature」という比喩から来ているのかもしれません。
~~~ Hamlet suggested that the role of the artist is to hold a mirror up to nature~~~
後者は「人間のありのままの姿(がどんなものか)を明らかにしようとする」という意味でしょうから、それに倣えば前者は「自分の顔がどのようなものか(=どちらを向いているのか)を明らかにしようとする。」、すなわち「自分がこれからどうしようとしているのかを問いかける。」と訳すことができそうです。
なお、「weakness」には「lack of determination shown in someone's behaviour」という意味があります。
お尋ねの英文の訳です。「どうしたらいいんだ、ジアディよ。皇帝の正室は私がこれからどうしようとしているのかを問いかけたのだ。(しかし)私には自分がどうしたら良いのかが分からない。彼女の問いかけによって、私は自分の決断力の無さを自覚させられたのだ。」
ご参考になれば・・・。
質問者
お礼
大達人、御回答ありがとうございます。
>シェイクスピアが用いた「hold a mirror up to nature」という比喩
僕も、「全てを映し出す」の意味で用いられているのではないかと思っていたのですが、辞書にはその場合は「mirror of ~」だと書かれていたので、英文の意味的には「鏡」で、比喩的には、「全てを映し出す」の意味なのかな?と思っていたのですが、シャイクスピアは、「of」を使わずにその用法を用いていたんですね!
大発見でした、ありがとうございます。
>なお、「weakness」には
なんだか、日本語的にもweaknessってややっこし~ですね。
「自分の弱さ」≒「自分の決断力の無さ」
同じようで、同じでもないような、強いて言えば前者の決断力の無さは弱さからであり、後者は優柔不断というなんでしょうかね?
>すなわち「自分がこれからどうしようとしているのかを問いかける。」と訳すことができそうです。
僭越ながら、本当に大達人に恐れ多くも、僭越ながら、、、
・正室がしたのは、「秘密を握っていることを明かしたこと」&「沈黙の為には暗殺の命令」。
・宦官長がした事は、「死ぬ覚悟で、ハーレムの女を助けた事」&「正室に要求されて初めて死の恐怖を感じた事」。
これらを考慮に入れますと、やっぱり、「正室(の脅し)によって、自分というものが全て映し出された。 ある筈の(覚悟が)何にも見えなかった。」という意味かな~? と思います。(以上全てNo2様の御回答をいただくまで全然気が付かなかった事です)(大汗)
正室としては、「どうするつもり?」なんて生やさしい物ではなくて、「従順か死か?」というものだと思いますので、
本当にいつもお世話になっている大達人に僭越な事を申しました。
シャークスピアの例文など本当に勉強になりました、ありがとうございます。
お礼
大達人、御回答ありがとうございます。 やっぱり、素人ネイテブよりは、きちんと習得した達人の方がお詳しいですね! 今まで、大達人以外にも何度もネイテブに聞いて分からない質問をここで質問して解決しています。 それにしても、瞬殺ですか、、!!! 本当にすごいですね! >ハーレムの女を内密に助けてしまったけど,おまえに何か信念でもあったのか。 >どんな目にあうかわかってやったのか。 >「いや,答えられるだけの意志の強さはなかった」 正に、これが写っているべきなのに、見えなかったのですね! その代わりに見えたのが 『my weakness』 だったのですね! やっと、この比喩表現の意味が分かりました~!^^ 「この命、あの女の為に捨てても惜しくはなかった。 皇帝の命も、なにもかもどうでもよい、 それが俺の生き方ではなかったのか? それなのに死を面前にするや、俺は生にしがみついている。 あの信念はどこへ行ってしまったのだ。」を比喩表現すると、この英文になるのですね? 鏡に喩えるなんて、カッコイイ英文だと思うのですが、分からないと、チンプンカンプンなのが、外国語学習する上でのかなしくも楽しい場面でもあります。 本当に助かりました、御回答に改めて御礼申し上げます。