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戦国時代の大名 北条氏について

戦国時代、関東に勢力をふるった北条氏ですが、 男性のことばかり歴史に残っていますが、 女の子も生まれただろうし、その女子達はどういう運命をたどっていたのでしょうか? また、中には巫女をしていた方もいらっしゃるのでしょうか? お分かりになる方、教えてください

みんなの回答

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.2

北条盛定の長女は今川義忠の室になり北川殿と呼ばれました。 その子宗瑞の長女は三浦氏員の室で長松院殿です。  次女もあり。 その子氏綱には6人の娘がおり、それぞれ武士に嫁いでおります。   例 次女大頂院殿は北条綱成に嫁ぎました。 その子氏康には9人の娘がおり、8人は武士に嫁ぎました。 その子氏政には3人娘がおり、同様です。 政略結婚させられたと思います。

tenkuru
質問者

お礼

ありがとうございます。 やはり政略結婚が運命だったんですね

  • kh1007
  • ベストアンサー率29% (36/122)
回答No.1

戦国時代の女性は、概ね政略結婚の道具にされることが多く 後世に名前が残っていない人が多いです。(法名は残ってますが・・・) 北条家に生まれた女性で有名なのは、 ・武田勝頼と共に天目山の露と消えた ・武田・今川・北条の三国同盟として今川義元の嫡男氏真に嫁いだ蔵春院 と言ったところでしょうか。 他にも女性は生まれたと思いますが、自分は分かりませんのでご容赦を。

tenkuru
質問者

お礼

名前も残らない運命もかわいそうですよね 何となく巫女をされていた方がいたような気がしたので、質問させていただきました。

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