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北条氏

 こんばんは。  先ほどNHKの「その時歴史が動いた」と見ていてふと疑問に思ったので質問しました。  鎌倉幕府の北条氏は戦国武将の小田原の北条氏の祖先なんでしょうか?または、何か関係があるんでしょうか?  「北条氏の系図」とかで検索してもつながりは見いだせませんでした。  歴史には疎いもんで・・・よろしくお願いします。

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  • deadline
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回答No.3

小田原の北条氏は俗に『後北条』と言われますが、 その初代・早雲は、初め、伊勢新九郎長氏と名乗り、伊勢国(備中国等他国説も有り)出身の浪人で、前半生はよくわかりません。 一時期、足利義視に仕え室町幕府政所執事を務めていたようです。 その後、立身出世を志し、妹が駿河の今川義忠(今川氏6代)の妾であったことから、それをつてに駿河へと向かい、 義忠が急死して世継ぎ騒動が持ち上がった時に、7代義親の家督相続に尽力し、その功により、駿河国と伊豆国の境界近くにある興国寺城主となります。 その後、興国寺城からは目と鼻の先の伊豆国・韮山城主の北条行長が死んだのを機に、『北条』氏の名跡を手に入れようと、行長の一人娘に婿入りして、北条姓を手に入れたようです。 ちなみに、韮山城主・北条行長は、 時政(初代執権)⇒義時(2代)⇒泰時(3代)⇒時氏⇒時頼(5代)⇒時宗(8代)⇒貞時(9代)⇒高時(14代)⇒時行⇒行氏⇒時盛⇒行長 と続く、北条氏の嫡流です。

tomochan25
質問者

お礼

大変詳しい説明ありがとうございました。

その他の回答 (2)

noname#6645
noname#6645
回答No.2

結論から言うと別です。 小田原の北条氏の祖である北条早雲は、元の名を「伊勢新九郎長氏」と言います。

tomochan25
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • vanyatan
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回答No.1

戦国時代の「北条五代」初代の北条早雲は、それまでを伊勢新九郎長氏(いせしんくろうながうじ)といい、遠くは平安時代末期の伊勢平氏・平資盛(たいらのすけもり)の子孫といわれています。 この当時、関東にも北条氏がいましたが、平氏とは遠縁の関係にありました。というよりも、北条氏は伊豆長岡・韮山を中心に大きな勢力をもっていた坂東武者の内のひとつで、官位こそありませんでしたが、荘園主でもあり、三浦氏、和田氏の並び大きな力を持っていました。 御存知の通り、平治の乱で破れて、源頼朝が伊豆の流されてから、彼らり結束を高まり、鎌倉幕府の誕生に大きな影響を及ぼしました。 この鎌倉執権職を代々務めたのが北条氏です。この北条氏自体は、鎌倉幕府が滅びた少し後、北条時行を最後に歴史の表舞台からは外れますが、北条という名籍はその後もこの地方に残りました。 確かに直接は関係ありませんが、 早雲が平氏の子孫という事でこの縁を利用し、同時に戦国大名として「北条」という名の知れた名前を大いに利用する価値があり、同時に彼には情況も揃っていたということです。

tomochan25
質問者

お礼

ありがとうございました。良くわかりました。

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