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東北人は何故負けるのわかっていて新政府軍と戦争したのですか。
さっさとあきらめれば余計な犠牲者出なかったのでは。 頑固で保守的な気質だからですか。
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元は会津藩の赦免が目的です。 目的が叶わない時は軍事行動も辞さない。 当時の戦争の理由はどこでも似たような感じだったと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E7%BE%BD%E8%B6%8A%E5%88%97%E8%97%A9%E5%90%8C%E7%9B%9F
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- tadagenji
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回答No.1
坂上田村麻呂対アテルイの時代から続いています。 世の中の流れが読まない気質でしょう。
質問者
お礼
そうですね。 寒い、暗い、保守的、頑固、だからちっとも文化的に発展しないのですね。 世の中の流れも読めずに革新的なことには何でも無差別に抵抗する。 我慢強いのはいいのですが融通きかないのは困りものですね。 しかも抵抗して死ぬのは美しいと思い込んでいる。 だから多くの犠牲者出したのですね。
お礼
江戸城を無血開城した時点で東北の軍勢の敗北は決まったようなものですね。 その時に東北の各藩も官軍に従えば良かったのですよ。 無益な抵抗して何にもならない、犠牲者が増えただけ。 そのなかでも官軍側に要領良く寝返った藩は偉いと思います。
補足
こちらも参考になりますよ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E6%B4%A5%E6%88%A6%E4%BA%89 今でも山口や鹿児島県人に恨みを抱いているそうですね。 友好的なんて表向き建前と体裁だけですね。