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英文の意味がよくわかりません。
The observation that “we look at each other, but we do not see each other any more” has perhaps itself achieved the status of “words which we utter but scarcely ever hear.” 「私たちを一部を見れているが、全体を見渡すことはできていない」という見解はおそらく、「口に出すがほとんど聴くことはない言葉」という地位に達したそれ自身を有している。??? <“we look at each other, but we do not see each other any more” の部分は、慣れてしまうこと(familiarity)によって全体が見れなくなってしまうようなことだと思うんですが、そのほかの部分がよくわかりません。ちなみにChomskyの文章です。 お願いします。
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原文を見てきました。この前の部分で回答を書かせていただいたのですが、トルストイが語り手にしたのはhouseではなくてhorse だったんですね。 それはさておき、今回の文についてですが、この前の段落の前回の質問部分の前にも同じ文が出ていますね。 海のそばに住む人は海の音に慣れきっているためもはや音として聞いてはいない、同じように我々も発する言葉に慣れきっているため滅多に耳を傾けることもない、という文の後にこれが出てきてます。 >“we look at each other, but we do not see each other any more” 前からの流れで行くと「お互い顔を合わせてはいるが、もはや相手を見ることはしていない」ということではないでしょうか。 一緒に暮らしている家族とは、相手の顔を見て話していたとしても、顔にご飯粒でもくっついていない限り「見る」ということはしていませんよね このように書かれていますね。 >Our perception of the world has withered away: what has remained is mere recognition. このことだと思います。つまりperception(繊細な知覚力)が衰えて、残ったのは単なるrecognition(認識)だ、ということを言っているのではないでしょうか。 >The observation that “we look at each other, but we do not see each other any more” has perhaps itself achieved the status of “words which we utter but scarcely ever hear.” 「お互い顔を合わせてはいるが、もはや相手を見ることはしていない」という観察は、おそらくそれ自体「発しはするがほとんど聞くことのない言葉」の状態に達したということだ。 つまり、話すばかりでほとんど耳を傾けられることのない言葉と同じような立場に「観察」はなってしまった、ということではないでしょうか。
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- OKWave_com
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私も英文の意味はよくわかりませんので、文の構造だけアドバイスします。 achieve the status of : おわかりの通り、「~の地位[ステータス]を獲得する」 ですから、 「“we look at each other, but we do not see each other any more”というobservation(見解)は、おそらくそれ自体、“words which we utter but scarcely ever hear”の地位を獲得している(地位に達している)。」 と言っています。 「私たちはお互いを見るが、それ以上に見る(知る)ことをしない」という見解(観察)は、おそらくそれ自体、「私たちは言葉を発するけど、耳には届かない」と同じ意味合いであろう。」 という感じでしょうか。
お礼
<~と同じ意味合いであろう の部分の訳でイメージが完全につかめました。ありがとうございました。
>Chomskyの文章 しばらく前に彼(の解説文)について質問されてましたね。ぼくはチンプンカンプンだったのでパスしましたが 笑。 ぼくの理系頭を激怒させるような,人文科学特有の「わかったようなわからないような文章」ですね(彼の言語学を勉強していれば少しはわかるかもしれませんが)。以下は,「間違ってます!」と断言して,怒髪天を衝く脳味噌から絞り出した回答です。 まず,彼がいいたいのは,“words which we utter but scarcely ever hear.”のほうでしょう。たぶん,「何気なく口に出したまま脳味噌で意味を吟味しないような言葉」という意図のように思えます。心理学でいう「フロイトの失言」のようなものをも意図しているかもしれません。それが,“we look at each other, but we do not see each other any more”でたとえられているのだろうと思います。 「われわれが相手を一瞥したまま,それ以上にねめまわしたりしない」という観察(経験的事実)は,「何気なく口に出したまま脳味噌で意味を吟味しないような言葉」の状態を,たぶんそのまま体現しているといえる。 ぼくならこう訳しますが。
お礼
フロイト的失言は面白いですね。 さすが理系頭ですね、単なる予想ですが、自分の気持ちを的確に表現するために、的確な言葉を意識的に選ばれているように感じました。 ありがとうございました。
お礼
僕は今この原文をたまに助けてもらいながら地道に読み進めている最中なのですが、tjhirokoさんはすぐ内容を把握されたようで・・・。それとhouseの件はすみませんでした。原文をいったんパソコンに打ち込んだものを使ってるので、打ち間違ってるのにも気づきませんでした。 ご回答本当に助かります。ありがとうございます。