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鉢の中のお地蔵様
大阪府八尾市の大聖将軍寺で 写真のような鉢に入ったお地蔵様がありました。 比較的新しいもののようです。 (1)鉢に入ったお地蔵様のいらっしゃるお寺は他にもありますか。 (2)どういったご利益があると信仰されているのでしょうか。 (3)なぜこのように鉢に入ったお地蔵様がつくられるようになったのでしょうか。 推論でも結構です。 ぜひお考えをお聞かせください。 ※写真が横広になると思います。 見苦しくて申しわけありません。
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No.7です。お礼を拝見致しました。どうもありがとうございます。 >朝護孫子寺に「戒壇めぐり」がありまして >一度体験してみましたが、これは坑道だ、と思いました。 >で、闇の中にぼうっと明るい場所があってそこに金色の仏様がおられるのです。 これは!凄く魅かれます!!! rupapo様の体験談を拝見して、是非とも試してみたくなりました~ 日常の感覚では捉えようのない「闇」の空間。 何がしかの精神修養をもたらすとともに、畏怖の念をも喚起するものなのでしょうか。 >うむむ、すると仏様って鉱物のこと? う~ん、そうかもしれません。 鉱山内部の奥深い闇の中で、修練の如くひっそりと、気が遠くなるような労苦の末に見出される金塊や鉱物。 それらはきっと、仏様のように得難いものに思えるものかもしれません。 >坑道のイメージが黄泉の国へ至る道や >はたまた産道などのイメージに重ねられたようにも思えます。 産道ですか、ああ、たしかにそうかもしれませんね。 「戒壇めぐり」は「死と生誕」の疑似体験にも通じるものがありますでしょうか。 >淡島神社の御祭神は少彦名神で、 >少彦名神は一寸法師のモデルともいわれています。 >大聖将軍寺では水子供養はしていないようですが >和歌山の淡島神社では水子供養の祭があるようです。 そうですね、例のお地蔵さまに関しては、あまり水子供養には関係していないように、私自身今思うに至っております。 ですから、No.2の回答は目をつむってくださいね~ 淡島神社は少彦名神をまつっているのですか、 こちらについてもご教示大変参考になります。ありがとうございます。 どうやら「夙神(シュク神)」信仰とも関係が深いようですね。 柳田国男によると「峠や端れ(はずれ)、村の境界」という意味も込められているとのこと。 適当なサイトを見つけましたので、御承知かとは存じますがよろしければどうぞご参照くださいますよう。 「夙神」 http://www.library.city.kochi.kochi.jp/KCCLIB/servlet/search.detail_list?tilcod=TXT0001164 「淡島信仰」 http://www.library.city.kochi.kochi.jp/KCCLIB/servlet/search.detail_list?tilcod=TXT0000160 「村はずれの境界」と言えば、例の「道祖神」が思い浮かびます。 そして「境界」には雑多で多義的なイメージ(内と外、生と死、此岸と彼岸、文化と自然、定着と移動、農耕と荒廃、豊穣と滅亡など)が重なる場ゆえに、習俗も多彩に形成されていったと思われます。 さらに、村の日常をつかさどる「大人」に対し、「こども」は非日常の悪戯や逸脱をおこなう存在とみなせます。 お地蔵さまは「道祖神」「こどもの守護神」という性質をも帯びていますよね、 これら一連の繋がりから、何かが見出せそうな気がしてきませんか。 >また淡島は蛭子同様にイザナギ・イザナミに流された神ですね。 (ひどい両親ですね~) >蛭子は「えびす」の他、「ひるこ」とも読みますが はい、本当にひどい両親ですよね~ 文化や政治の「中心社会」から、日常の思考では理解不可能な一切(反社会的なるもの、怨せない人々などをも含む)が、まるで蛭子や淡島と一緒くたに「周縁(社会の外)」に流されてしまった観があります。 そして、その排除される側に付帯される象徴として適当なのが、穢れや身体の不具合といった影の部分なのかもしれません。 >「ひるこ」とは「日子」を語呂合わせで神格を変えたのではないかと言う説もあるようです。 >すると、蛭子とは聖徳太子なのではないか なるほど…。 『隋書』の記載「日出る処の天子」を略すると「日子」となるから、聖徳太子なのかも。 う~ん…(←本当は山涼漫画が真っ先に浮かんだ、笑)。 >おかげさまで鉢の中の地蔵の正体・・・ >ぼんやりとではありますが、浮かび上がってきたように思います。 はい、rupapo様がどのようにウルトラCで着地なさるのか、とても楽しみなのです^^
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- mashumaro2
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こんばんは。No.9です。これが最終回答とさせていただきますね。 >将軍=道祖神=石神=しゃもじ=夙神=春日神=蛭子 と繋がるようにも思えます。 了解です! つまり、太子=蛭子説ですね? よろしければ途中経過で結構ですので御説をお聞かせ下さいませ。 そして、私の独断と偏見による推論を、僭越ながらここに申し上げたいと思います。 絶対間違っているけど、笑わないでね。(笑) 私の父方は神戸で、最近お墓参りしていないな~、今度関西に行く楽しみが増えたなあ~ と思って、「は!」と気がついたのです。 道祖神の画像をご覧ください↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E7%A5%96%E7%A5%9E 何だかとっても、男女の性器のシンボルのようにも見え、 ゆえにそれらは、父や母をはじめとするご祖先さま一族の象徴のようにも映るわけでして…。 つまり道祖神信仰というものが、古代中国における「祖先を手厚く祀る風習」の流れを汲むものであるならば、 境界を司るこの世とあの世との仲介的な役目を担って当然のはずですよね。 だとすれば、 「コンクリート造のお堂の入り口に置かれてました。賽銭箱かわりなのかもしれませんね。」 というこの可愛らしいお地蔵さまを拝むという意味合いは、もしや立派なお堂で何がしかの自らのたいそう尊大な祈願をする前に、 まずは日常記憶の彼方に埋もれているはずの、見知らぬ自らの祖先を偲び感謝の意を 心のうちに唱えるということがあってもよろしいのではないでしょうかという、 お寺側のあたたかいご配慮なのかなあと、極めて独善的な解釈に至りました。 だって、ご先祖様にとっては私たち子孫なんて、あどけない御顔のお地蔵さまのようなこども以上でも以下でもないわけですからね。 で、何故、鉢の中にちょこまんとお座りしているのかなあ、と思いますに、 やはり、お寺伝来の旧い鉢の上にお迎えすることで、新参のお地蔵さまを正式に受け容れたと申しましょうか、 つまりなんだか、旧家にやんごとなきお方をお迎えした真心のようなものを画像のうちに感じてしまっているのです。 …しかし…鉢の淵に並べられた小銭…。 あれしか置きようがないのかもしれませんね? お賽銭箱、っていうのは…ちょっと…う~ん… だめ。(笑) >>このように、後世に生まれた作品の中にさえも、ひょっとすると、古からの意味や思いがそっと沈澱していたりして…。 >私もそう思います。 ですよね?! 農耕社会の成立以降、日常の「理性」に形作られた歴史からは決して浮かび上がってこない諸々の象徴。 それらは、祭りや民族芸能、演劇の中にこそ、温存されてきているのだと強く確信しております。 >それに八尾って大聖将軍寺のあるところじゃないですか。 >それに鉱山の神って碧眼ですね。キュプロスとか天目一箇神とか。 >えべっさんも耳が遠く、神殿の壁を叩いてお参りする習慣があります。 え、そうなのですね、どれも全く存じ上げませんでした。 なにか関連性があるかもしれませんね、八尾と閻魔大王とお地蔵さま。 それにしても、rupapo様の神社仏閣ならびに神道への造詣の深さに頭が下がる想いで一杯です。 とても多くを学ばせていただき、こちらこそ感謝致しております。 さきほど第二弾質問を拝見して、一瞬deja vuか?!と思い、しばし笑いが止まりませんでした。 気が向いたら、私も「関東版 ほにゃららの○○さま」の質問を立てるかもしれませんので、 その際は、どうぞよろしくお願い申し上げます。 本当にどうもありがとうございました!^^
お礼
道祖神についての考察は説明が長くなるので 下記を参照ください。 http://blog.goo.ne.jp/penpentaro/e/0edb3a95c476a25cd3bc3eb5a2f5b884 ほんとにいい授業を受けさせてもらったと感謝しています。 そして楽しかったです! これに懲りずにまたお願いします。
補足
>太子=蛭子説ですね? それが、どうも物部守屋の影が見え隠れするんですよね。 守屋はご存知のように排仏派で崇仏派の太子とは対立する人物ですが、 守屋=蛭子のようにも思えまして。 なんとならば、大聖将軍寺は守屋の邸宅跡だそうで 守屋の首を洗ったという池もあります。 そして近所には守屋の墓も。 四天王寺にも守屋を祀った祠があります。 そして、春日神社にある耳が遠い神様は榎本神社といいますが 守屋は榎の木の上でいるところを弓で射落とされています。 それに聖徳太子は耳がよかった。 10人の人の言うことを聞き分けられるほど。 そして堀川戎神社にいきますと 榎本神社とは一字違いの榎木稲荷神社があったのです。 蛭子とは守屋のことなのかもしれません。 道祖神は陰物陽物で示されることが多いですね。 おっしゃるとおり、ご祖先さま一族の象徴だともいえるでしょう。 人間はここから生まれてくるわけですから。 餅つきの臼は陰物、きねは陽物をあらわしているのだと聞いたことがあります。 すると餅つきは男女和合なわけですね。 この話を聞いてからお餅がなんだか濃ゆい味に感じられて仕方ありません(笑) ソレをふまえて写真をみますと、 これも男女和合を示しているようにも思えます。 しかし「かつて怨霊と神は同義語だった」、ということを考えますと 男女和合=おめでたい と単純にはいえないように思います。 道祖神は猿田彦神と天のウズメが手を握りあう姿であったりもするようです。 猿田彦は「高天原から葦原中国までを照らす神」だと記紀には記されていますが これにぴったりくる神名を持つ神がいます。 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと) =ニギハヤヒです。 天照大神は男だという説があり、このニギハヤヒこそが天照大神だとする説もあります。 ニギハヤヒは物部氏の祖神とされています。 初代神武天皇が日向より東征してやってくる以前に、畿内にはニギハヤヒという神が天下っていたと記紀の記述にあります。 (岩窟めぐりの神社・磐船神社はニギハヤヒが天下ったとされる場所です。) そしてニギハヤヒは神武に服しています。 ここから、神武以前に物部王朝があったという説もあります。 政権を奪われたのですから、猿田彦=ニギハヤヒは怨霊でありましょう。 猿田彦は天孫ニニギを葦原中国まで道案内しました。 その後、ニニギは天のウズメに猿田彦を伊勢まで送らせ、猿田彦に仕えるよう命じています。 猿田彦は貝に手を挟まれて死亡しています。 シモの話で申し訳ありませんが、陰物を貝に喩えることがあります。 ということは、同祖神=猿田彦+天のウズメは手をつなぎあっているのではなく、猿田彦が天のウズメのセックスに溺れて死亡しているの図ではないでしょうか。 陰陽道では、「十分に祀れば荒れ狂う怨霊は善神に転じる」と考えられていたようです。 つまり猿田彦はもともと怨霊だったのだけれど、男女和合によって死亡し、その祟る力を失い、さらに陰陽道の考え方からニニギを道案内する善神に転じたのでは。 また、写真のお地蔵様は一寸法師にも通じると思います。 一寸法師のモデルは少彦名神だそうですが、淡島神社の御祭神の一は少彦名神です。 淡島信仰と蛭子信仰には繋がるところがあると思いますので。 あと、鉢=髑髏の信仰もからんでいそうです。 京都の東向観音寺に土蜘蛛の塚があります。 なんでも源頼光が空飛ぶ髑髏を発見し、あとをつけていくと土蜘蛛の巣があったといい 土蜘蛛と空飛ぶ髑髏には関係がありそうです。 で、その土蜘蛛の塚ですが、燈籠なんです。 柵がしてあって見にくいのですが、燈籠の笠の部分が鉢のような形のようです。 他にも同様のものがあれば呪術的なものだと胸をはっていえるのですが、ちょっと見あたらないので単なる思い付きでそうした、という説を覆すだけの説得力がありませんね~。
- mashumaro2
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No.8です。こんばんは。 >確かに大聖将軍寺では水子供養はしていません。 >水子供養は蛭子や淡島信仰に通じているのではないかと思います。 はい、私も両者の繋がりに違和感を感じません。 ちなみに、wikiによる「水子」の名前(地名)の由来は以下の通りです。 ・すぐそばまで海が迫っていた周辺の台地の至る所に湧き水があり、水処(みずこ)と名づけられ、それが「水子」となった。 ・旅の僧を泊めたところその家の娘が妊娠し、再び現れた僧をなじると僧は祈祷を行い、腹の子が水となって流れて行った。 淡嶋神社を調べましたら、画像ながら、人形供養の凄まじい光景に絶句してしまいました。 人形──ひとがたは、人間の代わりに穢れや罪を負わせ、災いを祓う祈願のため、息を吹きかけ川に流したり、または地鎮祭の鎮物(しずめもの)として用いられます。 神話の淡島も、人形のように、その身の上に業病、穢れ、罪などを負わせられ、災いを祓うために流されたのでしょうか。 またそれは、中国から伝来した五節句の一つである上巳と習合し、奈良時代の曲水の宴を経て流し雛の風習へと至ったとか。 さらに、春日王の伝説と能楽の「翁」に関するサイトのご教示も大変参考になりました。ありがとうございます。 そうですね、「翁」はとても興味深いと思います。 藤間流を幼少時に嗜んだ私の目には、薪能や社にて奉る能のは、まさに神と人との交流として映り、 おんまつりの神事にこそ「能」の本質というものが浮かび上がってくるように思えます。 先のサイトで古くからの面が伝えられているとありましたね。 白洲正子氏によれば、世界中で日本ほど面が発達した国はないそうです。 世阿弥をして、直面(ひためん)──面をつけない能は、我や齢が露わになるゆえ難しとされており。 面を用いない西洋劇と異なるその主たる性質とは、単に演じる者の素顔を隠すのみならず、能面そのものに御神体が宿り依代(よりしろ)と化すことにあるのでしょうか。 >大阪の今宮戎神社は四天王寺の西の鎮守として創始された神社とされています。 >なぜに関西ではこうも『えべっさん』が盛大に行われているのでしょうか。 それは聖徳太子への信仰の表れではないか、と思ったり。 まあ。えべっさん信仰は、関西ではそんなに盛んなのですか。 聖徳太子への想いも沈澱しているとしたら…ますます興味が募りますね。 四天王寺を舞台にした『弱法師(よろぼし)』という能をご存知でしょうか。 『弱法師』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B1%E6%B3%95%E5%B8%AB 「俊徳丸」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B1%E6%B3%95%E5%B8%AB 盲目の「少年」俊徳丸と「日想観」信仰。 戒壇めぐりにも通ずるような「盲」ゆえに「心眼で観る」ものとは、いったいどのような…。 そうそう、実際の弱法師に用いる面の目の穴は、「他の能面よりむしろ大きく見開いている」のです。 そして盲僧も境界を司るシュク神、水天宮、地蔵信仰とも密接な結びつきがあり、かつて座頭たちも山科の四宮河原、摂津や他国の宿河原で祭りを営んでいたとされます。 また、狂言『八尾』では閻魔大王とお地蔵さまが関係しています。 このように、後世に生まれた作品の中にさえも、ひょっとすると、古からの意味や思いがそっと沈澱していたりして…。 >大阪府交野市の磐船神社には岩窟めぐりがあります。 これはもう、真剣にたまりませんね~ HPに飽き足りないからもう絶対に、 朝一番に先頭を進みたいです!←我欲の石塊
お礼
>えべっさん信仰は、関西ではそんなに盛んなのですか。 関東ではそういう習慣はあまりないそうですね。 七福神めぐりはあると聞きますが。 蛭子神社と名のつく神社はそれが小さな祠であるとしても、 どこも大変な賑わいとなります。 弱法師・俊徳丸は存じ上げませんでした。 (mashumaro2さんってすごい物知りですね!) これも面白いです! 奈良の壺阪寺や京都の清水寺にも同様の話が伝わっていますね。 四天王寺にもそんな信仰があったんですね。 知りませんでした。 壺阪寺の近くには丹の字がつく地名があって 鉱山と関係ありそうではないですか。 それに鉱山の神って碧眼ですね。キュプロスとか天目一箇神とか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9B%AE%E4%B8%80%E7%AE%87%E7%A5%9E >盲僧も境界を司るシュク神、水天宮、地蔵信仰とも密接な結びつきがあり、かつて座頭たちも山科の四宮河原、摂津や他国の宿河原で祭りを営んでいたとされます。 うむ~、そうなんですか! それに、狂言『八尾』! 調べてみましたが何とも面白そうな話ですね。 それに八尾って大聖将軍寺のあるところじゃないですか。 >このように、後世に生まれた作品の中にさえも、ひょっとすると、古からの意味や思いがそっと沈澱していたりして…。 私もそう思います。
補足
ありがとうございます。 ひとつの質問でこんなに回答いただいていいのでしょうか・・・ ちょっと恐縮しておりますが(汗) そうですか、やはり水子供養は蛭子や淡島信仰に通じるとお考えになりますか。 で、大聖将軍寺。 将軍=道祖神=石神=しゃもじ=夙神=春日神 となるわけですね。 春日神社に榎本神社というのがありまして タケミカヅチに土地を奪われた神なのだそうです。 なんでも耳が遠くてタケミカヅチの言うことを聞き間違えて 契約をしたために土地を奪われたそうです。 で、えべっさんも耳が遠く、神殿の壁を叩いてお参りする習慣があります。 すると 将軍=道祖神=石神=しゃもじ=夙神=春日神=蛭子 と繋がるようにも思えます。 「水子」の名前(地名)の由来、面白いです。 >すぐそばまで海が迫っていた周辺の台地の至る所に湧き水があり これを読んで四天王寺付近を思い浮かべました。 今、海岸線は遠く離れていますが、かつてはこの付近まで海だったそうです。 この付近は上町台地と呼ばれ、少し高台となっています。 湧き水・・・近くに清水寺があり、小さな滝があります。 またどこかの寺に井戸もあったような・・・。 あんまりこじつけて考えてはいけませんね。(汗)
- mashumaro2
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こんばんは。No.6です。 いつもありがとうございます。 >すると鉢の中のお地蔵様はしゃもじ! なるほど、「一寸法師」のようにも、はたまた、お櫃(お釜)に入った「しゃもじ」のようにも思えてくるような…。 稲作と共に伝来し、今なお私たち日本人には欠かせない、馴染み深い道具であるしゃもじ。 神代の頃から受け継がれてきた文化的な恩恵の一つとみなせば、たかがしゃもじも、お地蔵さまとはまた別に、とても尊い存在のようにも思えてきたりして。 >昔の日本はしきたりや習慣と言うのを大切にしていたと思います。 >しきたりや習慣というのが一種のまじない的な意味を持っていたために >人々はそれを大事にしていたのではないかと思います。 はい、仰る通りだと思います。 そして忘れ去られた伝承、神話が半ば形骸化し、雑多な垢で薄汚れた象徴に満ちた中で、日々私たちは暮らしているのだと思います。 私たち日本人は、神事の榊、門松といった神事の常緑の植物を通じて、呪術的なアニミスムを時折々に見出せます。 仏教伝来時には、大宇宙の調和、生命力に満ち、水と豊穣と子宮をあらわすという「蓮」が尊ばれ、 またのちには、松竹梅と共に「菊」が日本の精神文化に深く根ざし今日に至りながらも、です。 「百足は毘沙門天の使い」のご教示は大変参考になりました。 「豊聡耳」の聖徳太子が「多聞天(=毘沙門天)」を拝していたなんて、ちょっと奇偶かも。 百足があらわす「坑道」は、冥界への道でもあるのでしょうか。 たしか、火の神カグツチを産んだ火傷で亡くなった妻イザナミを連れ戻すため、イザナギは地下の冥界(=黄泉の国)まで迎えに行ったはず。 数年前にソウルの薬局の店先にて吊るされた百足の干物を見かけたことがあります。 乾物として体内に取り込むなんて、効能以上に呪術的な意味合いを大いに感じます。 >この年、蘇我入鹿が暗殺されて、その首は皇極天皇の方へと飛んで 御簾に食らいついたという伝説がありますね。 >頭のことを鉢と言うことがありますね・・・ はい、「頭のことを鉢と言う」は、その大事件に由来するのかもしれませんね。 首がド派手に飛ぶ様を描いた周知の『絹本著色多武峯縁起』は、室町時代に描かれているため、凄惨な場面なのになんとも雅な印象を受けます。 http://www.asahi.com/kansai/photo/news/OSK200803280133.html 飛ぶ首と言えば、平将門の首塚が東京では有名なのですが、 日本各地に首塚が点在することを鑑みて、やはり日本独特の怨霊封じという呪術的な意味合いがこめられているのでしょう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E5%A1%9A そして地蔵菩薩もまた、道祖神などの様々な民間信仰と結びつき親しまれてきたため、たぶんに呪術的な性質を帯びているのでしょうね。 御写真の可愛らしいお地蔵さまからは、とてもそれを拝見することなど出来ませんが…。
お礼
こちらこそ、度重なる回答をいただきましてありがとうございます。 >大宇宙の調和、生命力に満ち、水と豊穣と子宮をあらわすという「蓮」 なるほど、蓮というのはそういったものの象徴なわけですね。 平将門の話をしていただきましたが その平将門は蓮阿弥陀仏と呼ばれていますね。 >百足があらわす「坑道」は、冥界への道でもあるのでしょうか。 なるほど。そういわれればそのとうりですね。 朝護孫子寺に「戒壇めぐり」がありまして http://small-life.com/archives/09/02/1421.php 一度体験してみましたが、これは坑道だ、と思いました。 で、闇の中にぼうっと明るい場所があってそこに金色の仏様がおられるのです。 うむむ、すると仏様って鉱物のこと? 坑道のイメージが黄泉の国へ至る道や はたまた産道などのイメージに重ねられたようにも思えます。 >ソウルの薬局の店先にて吊るされた百足の干物を見かけたことがあります。 乾物として体内に取り込むなんて、効能以上に呪術的な意味合いを大いに感じます。 同感です! 地蔵菩薩はあの閻魔大王と同体なのだそうですね。 閻魔大王は人々を裁くけれど 裁いただけ自分も同じ地獄の責め苦を味わうのだと 聞いたことがあります。 大聖将軍寺では水子供養はしていないようですが 和歌山の淡島神社では水子供養の祭があるようです。 淡島神社の御祭神は少彦名神で、 少彦名神は一寸法師のモデルともいわれています。 また淡島は蛭子同様にイザナギ・イザナミに流された神ですね。 (ひどい両親ですね~) 蛭子は「えびす」の他、「ひるこ」とも読みますが 「ひるこ」とは「日子」を語呂合わせで神格を変えたのではないかと言う説もあるようです。 すると、蛭子とは聖徳太子なのではないか、などと 思ったりして・・・ いろいろなヒントを下さいまして本当にありがたいです。 おかげさまで鉢の中の地蔵の正体・・・ ぼんやりとではありますが、浮かび上がってきたように思います。
- mashumaro2
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No.3、4です。 重ねてのお礼、ありがとうございます。 信貴山とは、朝護孫子寺の山号だったのですね。 「空飛ぶ鉢の物語」は『信貴山縁起絵巻』のくだりでしたか…。 rupapo様ご指摘のSF超大作は、山岳信仰に繋がっているのでしょうね。 それも、平安時代の仏教と結びつく以前より遥か昔からの。 調べてみたら、正式名称は「椋樹山大聖勝軍寺」で、高野山真言宗とのこと。 「物部討伐軍に参戦した聖徳太子が物部軍に追われたとき、椋(むく)の木が二つに割れて皇子の身をかくまったというのである。その椋の木が境内に祀られている。」というエピソード。 その椋の木が割れたのは、皇子が仏教に帰依した御利益なのか、はたまた霊木のなせる超自然の技なのか…う~ん、どちらでしょうか?! >鉢は仏教的に何か意味があるのかなー、と思っています。 >聖徳太子と鉢にも何か関係ありそうに思いました。 はい、私もrupapo様に倣って、少し調べてみました。 wikiによると、聖徳太子の従姉妹に蜂子皇子(波知乃子王)という人物がいたそうで。 その人物は出羽三山の開祖と伝えられ、能除太子と称するとのこと。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%82%E5%AD%90%E7%9A%87%E5%AD%90 「羽黒山を開山。3年間崖下の岩窟で修行。羽黒修験の元」になった「波知乃子王」。 「鉢」のことを「鉢の子=托鉢僧が手に持つ鉄の鉢」とも称します(by goo辞書)。 だから「波知乃子王」は、超自然的な念力により、鉢を自由自在に操る「鉢乃子王」の別名?! ちなみに、鉢を操る酷似した伝説を発見しました。 ご存知かもしれません、よろしければどうぞご覧くださいませ。 「法道仙人の鉢──空飛ぶ鉢と米俵」 http://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/legend/html/012/012-1-tx.html 推論とお断りしつつも、『逆説の日本史』もまっ青の、トンデモ話に突っ走っているようで、すみません…。
お礼
三度もの回答をありがとうございます。 うれしいです! 朝護孫子寺には大きな張子の虎がおいてあって、 今年はたくさんの人が初詣に行ったのではないか、と思います。 >SF超大作は、山岳信仰に繋がっているのでしょうね。 そうだと思います。 あそこの寺は毘沙門天を祀っていますが、むかでは毘沙門天の使いなのだそうで 建物のあちこちに百足の彫刻があります。 百足は坑道をあらわしているのだそうで 鉱山がある地域では「百足は神の使いなので殺してはいけない」 などといわれているようです。 信貴山に坑道のあとがあるのか、調べてみたことがありますが わかりませんでした。 ご紹介くださったサイトは大変参考になりました。 >「波知乃子王」は、超自然的な念力により、鉢を自由自在に操る「鉢乃子王」の別名 うーん、トンデモとはいえないかも、ですよ。 ナイスな推論だと思います。 法道仙人の鉢の話は知りませんで、面白く読ませていただきました。 大化元年の話だというのが気になりました。 この年、蘇我入鹿が暗殺されて、その首は皇極天皇の方へと飛んで 御簾に食らいついたという伝説がありますね。 頭のことを鉢と言うことがありますね・・・ >『逆説の日本史』もまっ青の、トンデモ話に突っ走っているようで、すみません…。 いやー、こちらこそトンデモ説でございました。 あと今思いついたんですが、一寸法師のようにもみえますね。
No.1です。お礼ありがとうございます。 >おっしゃるとおり、意味なんてなく かわいらしいのでそうしてあるのかもしれませんね。 意味はないのだとしても、何か変わったことをすると何かしら文句がでます。 それなのに、そのままで受容されているということはNo.3様の指摘されているように母胎のイメージと結びつき懐かしさを感じさせるからかもしれません。 >シャグジに将軍の字を当て 当て字を考えた方も日本人共通の感性に照らし合わせて、おかしくないと判断したわけでしょうね。 私も地蔵と将軍の組み合わせは何故かしっくりきます。
お礼
何度も回答をありがとうございます。 哲学カテゴリーにはあまり投稿したことがないのですが 親切に何度も回答くださる方が多いのですね。 これからもっと投稿したくなりました! >何か変わったことをすると何かしら文句がでます。 それなのに、そのままで受容されている 確かにそうですね。 昔の日本はしきたりや習慣と言うのを大切にしていたと思います。 しきたりや習慣というのが一種のまじない的な意味を持っていたために 人々はそれを大事にしていたのではないかと思います。 シャグジですが、ちょっとググってみたところ 石神からくる言葉のようで、しゃもじを奉納したりすることとも関係ありそうです。 また咳の神にも転じているようです。 「石神」→「しゃくじん」→「しゃくじ」 「石神」→「しゃくじん」→「「しゃくし(杓子)」→「しゃもじ」 「石神」→「せきしん」→「せきのかみ」→「咳の神」 すると鉢の中のお地蔵様はしゃもじ! どんどんわからなくなっていきますが(汗) なんか楽しいですね。
- mashumaro2
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No.3です。ご丁寧なお礼をありがとうございました。 >将軍地蔵と大聖将軍寺 >聖徳太子ゆかりの寺に朝護孫子寺 >空飛ぶ鉢の物語を描いた絵巻 rupapo様のご指摘、とても興味深いです。 空飛ぶ鉢って、UFOか何かのお話なのですか?! 始めて耳にしました。 今朝は七草がゆをいただく日でしたね。 春の七草のひとつ、ホトケノザ(仏の座)という名前と、お写真の鉢が睡蓮鉢にも見えることから、まるでこの鉢が「蓮弁台座」の役割をも兼ねているように思えてきました…。
お礼
なんども回答をありがとうございます。 えーと、いい加減に書いてしまってすいません。 「空飛ぶ鉢の物語を描いた絵巻」 は「信貴山縁起絵巻」というようです。 信貴山とは朝護孫子寺の山号です。 http://www.town.heguri.nara.jp/manabu/bunkazai/bunkazai04_1.html 中世に描かれたSF大作、といえるかもしれません(笑) 鉢は仏教的に何か意味があるのかなー、と思っています。 京都・空也堂の空也僧は瓢箪や鉢をたたいて念仏を唱えていたために 『鉢たたき』と呼ばれていました。 また托鉢にもこのような鉢を使いますね。 mashumaro2さんがおっしゃるとおり、 このお地蔵様は水子供養と何か関係があるように感じています。 >春の七草のひとつ、ホトケノザ(仏の座)という名前と、お写真の鉢が睡蓮鉢にも見えることから、まるでこの鉢が「蓮弁台座」の役割をも兼ねているように うむ~、mashumaro2さんの感性って素晴しいですね。
- mashumaro2
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こんにちは。 本当に愛らしいお地蔵さまですね。 思わず見とれてしまいます。 素人の推論で恐縮ですが、 鉢の中にいるお地蔵さまが、何故だか、母親の胎内に守られながら眠っている赤ちゃんのように思われます。 立派なお寺とはイメージが繋がりにくいのですが、もしかすると、 水子、もしくは、生後間もなく亡くなった赤ちゃんを弔うためなのかなあ、などと感じました。
お礼
回答ありがとうございます。 >母親の胎内に守られながら眠っている赤ちゃんのように思われます。 そういわれれば確かにそんな風にも見えますね! mashumaro2さんの意見をもとに調べてみましたら 地蔵菩薩は水子供養と結びついた。 また、道祖神信仰と結びついた。 道祖神のことをシャグジともいうことから、シャグジに将軍の字を当て、道祖神と習合した地蔵を将軍地蔵(勝軍とも書く)とも呼ぶようになった。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9 とのことです。 将軍地蔵と大聖将軍寺・・・。 なんか関係ありそうですね! また聖徳太子ゆかりの寺に朝護孫子寺というのもありますが こちらでは空飛ぶ鉢の物語を描いた絵巻が残っていて 聖徳太子と鉢にも何か関係ありそうに思いました。
あと、いやらしい推論になりますが・・・ 大聖将軍寺は大きなお寺と思われるので 元々セットならば、鉢に入った地蔵様は珍しいので由緒書きのような立て札があったはずです。
お礼
再回答ありがとうございます。 立て札はありませんでした。 コンクリート造のお堂の入り口に置かれてました。 賽銭箱かわりなのかもしれませんね。 大聖将軍寺は飛鳥時代の豪族・物部守屋の邸宅があったとされるところで 崇仏派の蘇我氏vs排仏派の物部氏の戦争がおこり 物部守屋が弓で射られて戦死したのち 聖徳太子がそこに建てたお寺なのだそうです。 現在のお寺の規模は小さく、四天王寺や法隆寺のような大寺院ではありませんが 由緒ある古いお寺であることは確かです。
地蔵様かわいいですね。 さて、本題ですが 鉢の古さと地蔵の新しさがマッチしてませんね。 あと、お花やお饅頭をどこに備えればいいのでしょう。 あと、うつむき加減なところを考えると 地蔵と台座はセットではなかったが、一緒にしたら予想外にかわいいので以後セットになったということではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 鉢が古いかどうかはよくわかりませんでした。 飛鳥の亀型石を見たときに 土の中に埋まっていたせいかとても新しく見えたことを思い出します。 ただ、タッチはお地蔵さまとはかなり違うので セットで作られたのではないとは思います。 >一緒にしたら予想外にかわいい 全くそのとおりですね。 おっしゃるとおり、意味なんてなく かわいらしいのでそうしてあるのかもしれませんね。
お礼
楽しい回答をありがとうございます♪ 同じ様な「戒壇めぐり」は京都の清水寺にもあるようです。 こちらは体験したことがないのですが。 あと、大阪府交野市の磐船神社には岩窟めぐりがあります。 こちらは自然の岩窟の中をめぐるものですが 同様のものなのかな、と思います。 hpでバーチャル体験できますよ。 http://www.osk.3web.ne.jp/~iw082125/index-j.html http://www.osk.3web.ne.jp/~iw082125/gankutu.html >ですから、No.2の回答は目をつむってくださいね~ いや、いや、それが凄くヒントになってるのですよ~。 確かに大聖将軍寺では水子供養はしていません。 しかし、水子供養は蛭子や淡島信仰に通じているのではないかと思います。 そして、関西では1月9~11日の「初えびす(十日戎)」が盛んです。 私もこの連休、今宮戎、堀川戎、京都えびす神社をハシゴしてきました。(物好きですね) で大阪の今宮戎神社は四天王寺の西の鎮守として創始された神社とされています。 山岸涼子さんのファンならばご存知と思います。 聖徳太子が四天王像を刻んで 守屋との闘いに勝利すれば寺を建てよう、と誓い 四天王寺は建てられました。 また大聖将軍寺も聖徳太子が建てた寺です。 なぜに関西ではこうも『えべっさん』が盛大に行われているのでしょうか。 それは聖徳太子への信仰の表れではないか、と思ったり。 >どうやら「夙神(シュク神)」信仰とも関係が深いようですね。 おーっと、またしても素晴しい指摘をありがとうございます。 夙神というのは知りませんでした。 しかし春日神は存じ上げております。 平城津彦神社におまつりされている神様ですね。 面白いサイトがありましたのでご紹介します。 http://asobiza.maiougi.com/okina1.html 平城津彦神社のあたりはかつて夙であったそうです。 その夙の神がシュク神だったとは! そしてさらに「村はずれの境界」「道祖神」がつながってくるわけですね。 >「こども」は非日常の悪戯や逸脱をおこなう存在とみなせます。 そうですね、京都の祇園祭の鉾に生き稚児が乗るのを 不思議に思って見つめたことを思い出します。 着地はだいぶ先になりそうですが 納得いくまで考えて見たいと思います。 あー、ほんとに楽しいですねっ♪