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攘夷や侍の服装
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- kannosuke9
- ベストアンサー率53% (128/239)
まず、攘夷戦争が何を示しているかを教えていただければ 具体的な説明をすることができます。 攘夷=幕末期に流行った思想。外国人を武力で払い、神国で ある日本を守ろう!といった、考え方です。 攘夷派 開国派(外国と交流して力と知識をつける考え方) 佐幕派(徳川政権を支持する考え方) 公武合体派(徳川と朝廷が組んで新しい政権を樹立) 尊王派(徳川政権から朝廷(天皇)を中心とした政治を展開) 倒幕派(幕府を倒して新しい政権を樹立する考え) 色々な思想がありました。 大きく分けて、尊王・攘夷派と開国・佐幕派との戦が多かったかと思います。 攘夷派がおこした主な戦(争い)として以下のものがあげられます。 1860 桜田門外の変(水戸&薩摩の志士が大老・井伊直弼を暗殺) 1862 坂下門外の変(水戸の志士が老中・安藤信正を襲撃) 1863 天誅組の変(尊王・攘夷派の志士一団が初の武力蜂起) 1863 薩英戦争(薩摩対イギリスの戦争 これを期に薩摩は開国派へ) 1864 禁門の変(長州藩がおこした朝廷拉致作戦) 1864 長州征討(幕府が徹底して長州を潰しにかかった戦) 1868 戊辰戦争・鳥羽・伏見の戦い (王政復古で成立した新政府が旧幕府軍に仕掛けた緒戦) 1868 戊辰戦争・上野戦争 (新政府VS彰義隊) 1868 戊辰戦争・北越戦争 (新政府VS長岡藩とか) 1868 戊辰戦争・会津戦争 (新政府VS奥羽越列藩) 1869 戊辰戦争・箱館戦争 (新政府VS旧幕府軍残りの残党) この10年足らずの間で服装や装備品など大きく様変わりします。 ざっくりと分けるなら、「天誅組の変」までは関が原の装備から 変わってないと考えてOKです。 江戸時代において武器や装備が一新されたのは、ラストの10年 足らずの間です。 薩英戦争におては、旧藩主・島津斉彬の遺産としてある程度海外 武器が手に入っていました。幕府が所有している武器とは違い ますが、海外の武器と比べたら話になりません。 第一次・長州討伐の頃はメタクソにやられますが、第二次・長州討伐 になると、一気に装備品が変わります。 高杉晋作がクーデターを起こして、実験を握ると坂本龍馬を介入して 全く新しい武器を仕入れます。 この戦を期に、日本の武器の優劣がクッリク別れます。 戊辰戦争の頃になれば、新政府軍は西洋式の武器を新調し、圧倒的な 武器の差で旧幕府軍をケチョンケチョンにしていきます。 戦の仕方も新幕府軍は西洋式、旧幕府軍は戦国式です。どちらの軍に 属するかで、見た目も全く変わってきます。 ですので、質問者様が指す「攘夷戦争」がいつ頃の戦争を指しているか、 またどちら側(倒幕派?開国派?佐幕派?)の装飾が知りたいか、でも 答えは変わってくるかと思います。 参考までに。
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
攘夷戦争という名前の戦争は存在しませんので、まあ幕末というとペリー来航あたりから長州征伐、戊辰戦争を経て五稜郭の戦いあたりまでをいうと思いますがこれだけの間で20年くらい経っているんですね。 で、どのあたりを質問者さんが考えているかによってだいぶ違います、いくら昔の話でも。 ペリー来航のあたりでは、和装に昔ながらの甲冑という井出達が多かったようです。いわゆる当世具足というやつですが、200年前の格好だったのでいくらなんでもこりゃ古いということでやがて廃れていきます。といっても、その当時はそれしかなかったですからボロボロの甲冑が突然値上がりしたりしてそりゃ大フィーバー(死語)だったそうですよ。 外国の情報が入るにつれて、海外式の筒袖ズボン形の姿が増えてきます。つまり洋装テイストが入ってくるんですね。しかし保守的な人たちからはやっぱり洋装はなじめないというのがあったらしく、そのへんは結構ぐちゃぐちゃです。基本的に、幕府側であれ薩長側であれそんなにお金を持っていなかったので全軍をカッコよくする余裕はなかったようです。 当時の軍隊は近代軍とはかなり違います。出身地や身分などで○○隊、なんて呼ばれていてそれが独自に動いていたりしたんですね。有名なのが他の方も回答している白虎隊や長州の奇兵隊なんかです。新撰組も幅広い意味でこういう組織に近いものがありますね。だから、隊が違えば装備も違っていたと思われます。 つまりまあ、それっぽい服装をしていたらなんとなく正解ということだと思います。なんというか、正確な例えではないですが、ゲリラ軍の服装はどうすればいいかというとゲリラなんだから微妙にバラバラですよね。そんなイメージでいいんじゃないかと思います。 なお、左のイラストのキャラクターを全く知らないのですが、右側の人物の胸につけてる袋が興味深いです。もしそれが中に武器などが隠せる物入れだとしたら、それはチェストリグと呼ばれる今のアメリカ軍の兵士の装備で、おそらくマンガ家が21世紀の米軍兵士を見てイマジネーションを膨らませて創作したものだと思います。
- PENPENMAKKY
- ベストアンサー率17% (344/1984)
追伸 白虎隊士中二番隊が良い例です。 隊長の日向は白虎隊隊士より身分が低く、平時では隊士から下に見られていたんですよ。士中二番隊は家老の甥など幹部級のご子息部隊ですから。
- PENPENMAKKY
- ベストアンサー率17% (344/1984)
幕末の藩兵は兵士だから身分が低いわけではないし、指揮官だから身分が高いわけでもありません。 軍事行動時の階級と身分・格式は別物です。 埼玉にあった忍藩は兵士に格式がわかる目印をつけていました(上士・中士・足軽・農兵)。これは階級ではなく格を示しているだけです。 戦闘時で一番偉いのは足軽身分の隊長。夜間や平時に偉いのは家老や中老の子供です。