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戦時中の最前線で生き残った兵士の秘訣
- 戦争で最前線で戦っていた旧日本兵のおじいちゃん方はどのようにして生き残ったのでしょうか?最前線で生き残るためにはどのような秘訣があったのか、教えてください。
- 戦争中、突撃を命じられた兵士たちは、敵の集中砲火をかわしながら敵陣までたどり着き、勝利を収めることができました。彼らが生き残るためには、どのような戦術や技術を駆使したのでしょうか?戦時中の最前線で生き残るための秘訣を教えてください。
- 戦争で生き残るためには、勇気と決断力だけでは十分ではありません。最前線で生き残るには、戦術や技術の習得が欠かせません。戦争中に最前線で生き残った旧日本兵のおじいちゃん方は、どのような戦術や技術を身につけたのでしょうか?その秘密を教えてください。
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父の友人で、フィリピン戦線で戦った人の話を記載します。 アメリカ軍の陣地に対して、夜間攻撃を行って占領するという命令を受け、その人の所属する小隊(50名程度であったそうです。)も、夜の闇にまぎれて匍匐前進して200メートル位まで忍び寄り(それ以上はサーチライトが照らしていて、見つからずに接近できそうもなかったそうです。)、夜明け前に「突撃ー!」となったそうですが、とたんに米軍陣地から猛烈な機銃掃射が始まり、照明弾も打ち上げられて、地面の窪みに這いつくばったまま、前進も後退も出来ない状態になってしまったそうです。 明るくなる前に、点呼があり、這いつくばったまま17人が返事をして、「結構生き残っているな。」と思ったそうです。 それから明るくなり、熱帯の直射日光の下で、死体に混じって動かないようにしていたそうです。 日中、太陽の下で、何か動きがあると感じられた場所には、米軍陣地から機銃掃射が何度も容赦なく行われるので、ずっと地面の上に転がっていたそうです。 そして、日が沈み、夜になってから少しずつ後退して、日本側の塹壕まで戻ったそうです。 無事に塹壕まで戻ってきたのは、結局8人だったそうです。
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- kamobedanjoh
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日本軍には『生きて虜囚の辱めを受けるべからず』と言う戦陣訓がありました。 それに連動して「玉砕命令」が下され「最後の一兵まで闘うべし」とされました。 実際に、アッツ島や硫黄島・沖縄戦で無駄な犬死にが多く見られました。 銃弾も手榴弾も使い果たし、負傷して倒れている所を捕虜として収容された例も、少なくない様です。 敵は、味方の戦力や配置についての情報を欲して、生存者から色々聞き出すために、捕虜として連れ去った様です。 戦後釈放された元捕虜は、戦陣訓が頭にこびりついていて、自分が捕虜にされた体験は、余り話したくないようでした。そんな人が職場の先輩の中に居ました。捕虜となったことは隠しきれなかったようですが、戦場の体験には無口でした。噂によれば、糧食尽きて人肉も・・・ただの噂です。 その人の自慢話に、日本の銃で射撃の実演を強要され、見事的に当てると、米兵から尊敬されたとか。 戦後中国でも、生き残り捕虜が労働に従事させられたとか、シベリアでの強制労働とか、数十万人が駆り立てられ、命を失っています。 突撃命令は「玉砕命令」の忠実な実行でした。運が良ければ捕虜となって生還しています。 小野田さんや横井さんは、運が良かったのか悪かったのか、捕虜とならずに随分遅れて生還出来ました。
お礼
回答ありがとうございます。 小野田寛郎は日本が敗戦しいたことを知っていたそうですよ。帰国まで日本が負けたのを知らずにずっと島に潜伏していたとメディアは言っていましたが,後日談で実は島で現地人を殺しまくっており,日本が敗戦して潜伏場所から島の表に出たら,それまで殺してきた現地人に殺されると思って,ずっと隠れてた。けど,日本に帰るまでは戦争が終わったとは知らないキャラを突き通したらしいです。
- hideka0404
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損耗率というのがあります。 概ね勝っている側で10%未満です。 まけた側は20%程度です。 つまりは全滅というのは無いのです。 100人の部隊で、勝っても5.6人は死ぬんです。 攻めた側なら概ね生き延びます。 また、勝ったら無駄弾使わないので、わざわざ死人は増やしません。 南京や東京裁判で、あれだけ殺されたのは、中華の伝統だからです。 いわゆる見せしめってやつですね。 戦争中でも前線といく度か交代要員が代わっているので、行った時期も問題ですね。 学徒などは、いわゆる最前線には送れなかったでしょうし。 この場合、南方戦線に出征していた兵士なのか、満洲に残された部隊か・・・ 戦後も帰国せず、ベトナムやタイで帰化した例もありますから。
- tanuki4u
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戦争で最前線で戦っていたという旧日本兵のおじいちゃん方はどうやって、最前線をくぐりぬけたのか知っていたら教えてください。 日本が戦争になったら参考にしたいです。 ↓ 主観的には「俺は運が良かった」 客観的には「偶然性に支配されて、死ぬ奴もいれば死なない奴もいる」
- eroero1919
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>突撃しなかったら、身内に刺されて死にますよね ないない。誰だって死にたくないもの。「いや、もし上官の命令に従わなかったらあの日本刀で斬り殺されたでしょ?」と思うでしょ。だけどさ、考えてもみなさいな。上官の手には刀があるけど、兵士だって鉄砲を持ってるんだぜ。「戦場で弾が前から飛んで来るばかりとは限らない」というわけです。 実際問題、将校が「突撃ー!」といって進んでも兵士が後からついてこないで、途中で気づいた将校が戻ってきて兵士の頭をひっぱたいて回ったというコントみたいな展開があったようですよ。 >そして全勝出来たのでしょう こと相手が米軍の場合はぜんぜん勝てていません。だって実際戦争に負けたじゃないか。 米軍によると、日本軍は戦場の緊張状態に耐えられなくなると、米軍の言葉を借りれば「パニックになってバンザイアタックを仕掛けてくる」のだそうです。まあそれは割り引いて考える必要はありますが、米軍から見ると「日本軍は粘り強く戦う能力に欠ける」のだそうですよ。もちろん米軍にとってはバンザイアタックは対応が楽(とりあえず撃ってればいい)なので私たちが願っているほど脅威ではなかったようです。 いわゆる夜襲ですが、これは浸透戦術といって夜間に見えないことを逆手にとって敵の弱いところに侵入して接近戦に持ち込む戦法で、これは日本軍は多用しました。ただし、この場合は浸透という言葉が示すようにいちいち大声で「とぉつげきぃー!」なんてやらないで、可能な限り密かに近づきました。このあたりの浸透戦術とバンザイアタックがごっちゃになって質問者さんみたいなイメージがついたのだと思います。 >最前線で戦って生き残った人のどうやって生き残ったのか知りたいです ものすごく乱暴にいえば、第二次大戦のような大戦争でも軍隊の死傷率は18%くらいです。ただし、これは後方勤務の人も含めます。独ソ戦のソ連軍となると一般兵士ときた日にゃ10円玉みたいな扱いなのでそれはまあちょっと扱わないでおいたとして、日本軍の場合、よく我々が本で読んだり映像で知るような激戦地というとガダルカナル、ペリリューや硫黄島、沖縄、インパール、フィリピンくらいで、あとはいうほど激しい戦いではありません。そして硫黄島や沖縄なんてのはもう最初から味方が後で助けに来てはくれませんから、ほぼ「死ぬ」以外の選択肢はありません。インパールやガダルカナルの場合は、戦闘で死ぬ人より飢えや病気で死ぬ人のほうが多かったようです。 となると、つまるところ運悪く激戦地に送られてしまったらそれこそ運の尽き。生き残れるかどうかは文字通りとんでもなく運が良かった人だけが生き残ります。インパールのような戦争よりそれ以外のファクターが命運を左右するようなケースではどれだけ運に恵まれるかです。 そう、つまり生き残れるかどうかはすべては「運次第」というわけです。だから兵隊さんは「戦場で先に死ぬのは新兵から。後は運の悪い奴」といってきました。 米軍の調査によると、どうやら戦場に来て最初の二週間が最も危険なようです。つまり新兵のときの死傷率が高い。それを乗り越えると生存率はグッと高まり、後は運次第になるようです。 ものすごく忙しい職場なんかで、新人のアルバイトがやってきてもみんなそれに構ってる余裕がなくて放っておかれる場合なんかがありますよね。ああいうとき、どうしていいか分からずボーっとして子もいれば、要領よく自分の居場所を見つけて仕事をやる子もいますよね。戦場も他人に構ってる暇はないので、ボーっとしている子はボヤボヤしているうちにやられちゃって、テキパキしている子は生き残れるのでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 浸透戦術で動かなかった人間が生き残ったか,致命傷にならない場所に弾丸が当たって,たまたま捕虜となれた人だけが生き残ったのか・・・
- thukisiro
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日本が戦争になったら・・・嫌なフレーズですね。 私の母方の祖父は19歳で徴兵され沖縄戦を生き抜いた人です。幼い頃から体験談を聞かされ、何度も泣きました。いくつか語り部としてお話致します。 ・爆弾が防空壕に当たり落盤し、しばらく気を失っていたそうです。気付けば生き残ったのは祖父と隊長だけ。祖父のすぐ隣にいた人は落盤で圧死し「少し場所がずれていたら自分も死んでいた」と・・・。瓦礫の隙間から日の光が入り「夕方になるのを待って、隊長と瓦礫をどけて逃げた」と。 ・自軍から別の隊に祖父ともう一人、伝令をまかされ、砲弾と銃弾の中を走り伝令を伝え、自軍に2人とも無事戻ってこれた時、祖父をみた隊長が「比嘉ぁ!どうしたんだ!?」と聞かれふと自分の姿を見ると、おびただしい血にまみれていて自分でも驚いた。急いで仲間が服を脱がし、傷を確認したところ、ギリギリ心臓の上に銃弾が貫通していて助かったと。 ほかにも怖い戦争体験がありますが、ぶっちゃけ生きるも死ぬも運命次第と言う事です。
お礼
回答ありがとうございます。 撃たれたことに気付いてないとかすごいw
- lv4u
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>>どうやって、突撃ー!と言われて、確実に死ぬであろう敵からの集中砲火の鉄砲玉を奇跡的に除けて、周りがバタバタ死んで行く中で、敵陣まで生きて辿り付き、そして全勝出来たのでしょう。 絶対絶命と思える戦場に投入されて、生き残った方の証言、再現ビデオによれば、 ・突撃をかけたら、敵の銃弾に当たる、あるいは、砲弾の爆発で飛ばされて負傷し、後方に移送されることで戦場を離れて生き残ったようです。 もちろん傷が回復すれば、復帰できるかもしれませんが、片手・片足になったとなれば、前線復帰できませんからね。その場合は、それ以降、前線に出されることはなかったと思います。 なお、日本軍だけでなく、米軍もノルマンディ上陸作戦では、「この上陸用舟艇のトビラ(敵の機銃弾が連続して命中している!)が開いたら死ぬ!」という状況で、上陸作戦を実行したそうです。当然ながら、トビラが開いて飛び出した直後に、機銃の弾を浴びて死んだ兵士たちがいたわけです。 ソ連軍の場合は、リアルに「前線から逃げる者は死刑だ!」と将校から背中を狙われていましたので、重武装のドイツ軍に、十分な武器も持たずに突撃させられていました。そして、実際に逃げたら射殺しました。 ドイツ軍は、日本軍と同様にヒトラーに対する忠誠心があったから、兵士は突撃したようです。日本の侍精神に似たところがあったようです。ドイツ(プロイセン)は中世から、ヨーロッパにおいて「素晴らしい軍を作った!素晴らしい作戦により、みごとに勝利した!」などと他国から賞賛を受けた歴史がありますからね。 第2次大戦で、ドイツ軍の規律正しさは、敵軍から賞賛されることもあったようです。
お礼
回答ありがとうございます。 日本が戦争を始めて,私が最前線の歩兵に任命されたら,浸透作戦部隊に志願して,夜の任務中に匍匐前進しているふりをして,部隊の後方に移動して,敵からの集中砲火を受けているときに負傷したふりをして,さらに後退して逃げるか,逃げきれなかったら,その場に留まり,次の夜を待って逃げることにします!