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鬱病の治りかけって?

私の母は鬱病でかれこれ10年通院をしています。 最近、昔の気の強い母の性格が現れたりするのですが、一般的に 治りかけに多い症状とはどんなものがあるでしょうか? ここ1.2年ものすごく焼き餅を焼くようになったんですね。。 たとえば父のことですがもちろん女性と親しくするなら焼き餅もわかるのですが、兄弟のように仲のよい親戚がいます。私からみれば叔父にあたるのですがこの叔父に父がいろいろ悩み事などの相談を頻繁にするだけでも焼き餅。 その他に私と父と弟がふつうの親子の会話を頻繁にしているだけで 「3人で腹をくんでいる」とかの被害妄想的な症状が頻繁にでてきます。 そして挙げ句の果てには数ヶ月前から決まっている旅行すら「私はいかないから」と言い出す始末。 これが鬱病の治りかけである波なら良いことなのですが、悪化しているだけなのか?とも感じるときもあるんです。。 鬱病は十人十色で症状も一人一人違うのはもちろん百も承知です。 例えば風邪という病気一つでも一般的な症状といえば「発熱、鼻水」などとあげられますよね。それと同じで鬱病で治りかけにでるもっとも多くあげられる症状はどんなものがあるのでしょうか?

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  • yuko0401
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回答No.3

うちの母(60代半ば)も10年強、うつ病として大学病院に通院しています。 直接的なきっかけは家族(父と私と兄)に立て続けでトラブルが起こったことですね。兄がいきなり会社を辞めてきた、元々親族トラブルが絶えない父の家系でまた厄介事が舞い込んできた、そして契約社員だった私の予定より早い契約切れ、だったと思います。 しかし根本的な原因は、仕事はするけどそれ以外は家族をかえりみなかった父の態度(特にアルコール依存の傾向があるので)が原因で、きっかけは何でもありだったんだと思います。とにかく眠れないから始まって自分で立ち上がれなくなるほどに悪化するのに大して時間はかかりませんでした。 その時、私や兄は「うつ病」を勉強したのですが、どうしても父が意見を聞いてくれず…それが治るのに時間がかかってるのだと思います。 今は雨の日にだるくなったり、ささいなことで「死にたい、私はいつもいじめられてる」などと言い出したり、あと夜の睡眠はまだ薬なしではきついようです。 それ以外は、昼カラオケに行ったりシルバー人材センターから派遣で保育園の野外清掃に週1~2で行ったり…もっともこの翌日は半日寝てますが…ずいぶん活動的にはなってきました。 が、質問者様のお母様と同様 >挙げ句の果てには数ヶ月前から決まっている旅行すら「私はいかないから」と言い出す始末。 ということもあったりしました。 そういう私も、うつではないんですが母より数年遅れて精神科のお世話になってます。ケンカや口論の耐えない両親、何か言うと怒鳴りつけてくる父、そしてそれが原因で対人能力が劣っていた故のいじめ(と私は思ってます)が原因だ、と言われてます。今ではパーソナリティ障害(ただし陰性)という病名が、8年くらいでやっとつけられました。人と接するのにいろんな面で困難な障害、ということらしいです。 母の話に戻りますが、本当に酷い時は自分でトイレにも行くことができず、泣きっぱなし横になりっぱなしで、私たち子供が父を説得しても聞いてくれないものですから無理に旅行に連れて行こうとしたり、親戚の法事(うち東京向こう福岡ですから遠いです)にも参加させたりと大変でした。当然家事もやりません。 しかし徐々にですが父も理解するようになり、合う薬も見つかって、ようやく良くなってきました。が、決して「治った」訳ではないです。父とのちょっとした口論から数日行方不明になったり、薬をたくさん飲んで自殺未遂を図ったり…やっと「母の調子」がわかってきたのはここ2年くらいです。 とにかく本人が一番しんどいので、周りを見る余裕がない、と思います。自分が辛い、自分が不幸だ、自分を不幸にしたのはあんたたちだ…そんな感じでした。先述の通り、私も間もなく同じ病院に通い出すのですが、医師に療養を勧められてもやはり「私が病気、あんたのはわがまま」と罵倒されるだけなので「できません、私が外に出て働くしか方法がないんです」って感じでした。 今でも労働制限を受けていますが、病気を隠して働いてる今の職場(スーパー)で病欠による人員不足が続いて、パート社員にありえない7日連続出勤なんてものが発生してしまいました。そんな私に母が 「あんたも健康とは言えないんだから、しんどかったでしょうよ。まあ給料もらう時にそのがんばりが報われるわよ」 と言いました。 違い、わかるでしょうか?私が人よりは働けないと理解し慰めの言葉を送ったということです。他人に目が向くようになったという証明です。 以前だったら「そんなこと私に言うな伝えるな!!」と怒鳴られたでしょう。 質問者様のお母様も、うつが良くなった(あるいは薬が効くようになった、とも取れますが)ことで、周りが見えるようになった、けどまだ正確に判断できるほどは回復していないからそうなんじゃないかと思います。微々たるものですが変化しているとは言えると思います。 あまりに酷いようでしたら、お母様の主治医に状況を伝えるのも良いかと思います。質問文のような状態があまりに続くようでしたら。 完治した訳でもなさそうですし、うちの母もそうですが「波」があるので。それはもう、うつと躁が入れ替わり立ち替わりで。 お母様のお歳がわからないのでなんですが、歳いくほど治りにくいものみたいです。 だから「治りかけ」とか思うより、お母様の病状と「付き合っていく」という姿勢の方が周りは楽だと思います。私の場合は、自分も別のこころの障害故に、気付くのに時間も手間もかかりましたけどね。 参考にならなかったらすみません。

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noname#121701
noname#121701
回答No.2

私は現在も抗うつ剤と精神安定剤を服用してますので完全に鬱がなおったわけではありませんが、鬱状態になることはめったに無くなりそれなりに支障なく生活をしてます。 40代50代で鬱がなおり社会復帰する人と、私のように50年も鬱で悩み60歳になり仕事を辞め、仕事からの解放によりストレス軽減で鬱から回復する場合ではかなり差がありますので一般論で論ずることは難しいと思います。 鬱が良くなるという状態は、いきいきと生きられるという一言だと思います。 まずは興味がわいてきて積極的になることが一番の兆候でしょう。 鬱の苦しみから脱出し始めるのですから、表情が豊かになり明るく楽しい状態が見受けられるようになることですね。 鬱状態から脱出し回復し始めて最初に気づくことは、鬱で家族に迷惑をかけたことで、家族への謝罪と感謝の気持ちです。 私が最悪期を脱出して最初にやったことは、妻・娘・息子への詫び状と二度としませんの決意表明の文書を手渡したことです。 妻はそれを大事に受け取り保管してましたが、また鬱状態になり家族に迷惑をかけ、良くなると詫び状と決意表明、この繰り返しを何度もいたしました。 妻の保管する詫び状は相当部数がたまっています。 でも本当に鬱から脱出してきますと、そうした文書も作らず、妻・娘・息子へいたわりの心が出てきて優しく接しることが出来、軽い冗談を言えることが一つの兆候です。 鬱の状態が長ければ長いほど家族に迷惑をかけたのてすから、家族への謝罪と感謝の気持ちが表れ、家族へ優しく接することが家族が最初に気づくことだと思います。 家族へ「申し訳なかった」「いろいろありがとう」というように鬱が過去形で語られるようになり、自分の鬱状態の時を客観視出来る状態になるといかに家族に迷惑をかけたかが分かり、まずは謝罪の言葉を発すると思います。 でもそれからまた鬱状態になり家族へ迷惑をかけるの繰り返しでよくなっていくので、最初の兆候はやはり謝罪と感謝の言葉のような気がします。 繰り返しになりますが、本当に良くなってきた時は鬱はとっくの昔のことで、謝罪と感謝はさんざん言ってきたため、そうしたことは言わず自然と優しく接する態度が家族として気づかれるのではないでしょうか。 私個人として鬱がなおってきたという実感は寝たり感です。 朝起きると一晩中うなされていたような感じでグッタリと疲れきり、ひどい時は汗びっしよりかいてました。 まずはうなされなくなったのが最初の兆候で、次に目が覚めて眠ったという爽快感が表れてきた時、鬱が治ってきたという実感を持ちました。 良く寝たという感覚は50年も無かったのですから、それは大きな喜びです。 しかし現実はそう簡単になおるわけではなく、今日も午前3時に目が覚める即ち早期覚醒で、当然妻はまだ熟睡してますので一人静かにこうしてPCで文書を書いている次第です。

回答No.1

感覚的な話ですが うつ病の治りかけの症状については「自然と活気溢れる行動が目についてくる」ところかなと思います。 例えば 「今までチャレンジしなかったことにチャレンジできるようになった」 「興味をもてるものが増えてきた」 「物事を前向きに受け止められるようになってきた」 などが関係してくるのかなと思います。 後はうつ病の回復傾向については「落ち着いた精神の確立」なども関係していると思います。 うつ病の特効薬は人の「優しさや、愛情、支え」です。 人は「受け止めてもらえる場所」が欲しい事が多いですから。 お母さんに優しく接してあげてくださいね。