• ベストアンサー

なぜヨーロッパの歴史がギリシアやローマから始まったのか

なぜヨーロッパの歴史はギリシアやローマから始まり、発展したのでしょうか。是非教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

  ここで「ヨーロッパ」と言っているのは、「西欧文明」のことだと理解します。何故なら、「ヨーロッパ」には、北欧、東欧、ロシアも入るのであり、北欧や東欧、ロシアの歴史は、ギリシアやローマから始まっていません。北欧、東欧などは、キリスト教の布教によって、キリスト教文化の流入と共に、ローマやギリシアの文明との関連が生まれますが、それは、8世紀とか9世紀とか、かなり時代的に後になります。また、ロシアは独自の歴史があり、西欧とはまた違った文明とされます。 西欧文明の場合、人種的あるいは部族的には、ケルト、ゲルマン、ラテン人(ローマ人)が西欧文明を築いたと言えますが、中心に来るのは、ゲルマン・ケルトで、更にゲルマン部族が、西欧の歴史の主人公だとも言えます。 ゲルマンやケルトの場合、過去の歴史を遡って行くと、紀元前には、現在のフランスを中心とした大森林のなかで狩猟生活をしていた小部族の集団ということになります。紀元頃だと、ケルトの部族も多数、現在のフランス・ドイツ・イギリスなどの領域に居ましたが、やがて、3世紀から4世紀にかけての「ゲルマン民族の大移動」と呼ばれるもので、ゲルマン族が、西欧を席巻し、ローマやイベリア半島や、果ては北アフリカにまで広がって、多数の部族王国を築きます。 西欧文明のコアであるゲルマン部族の人々の歴史は、紀元前になると、文書記録がほとんどなく、実態は、遺跡の発掘などで、考古学で検証されています。 イタリア人の歴史は、確かに、遡ると、ローマ帝国、ローマ共和制から始まります。またギリシアも、オットーマントルコの支配下に長い間あったとはいえ、遡ると、ローマ帝国の属州、更に遡れば、独立した古典ギリシア文明へと繋がります。 しかし、フランスやドイツやイギリスの歴史は、遡ると、大森林のなかの狩猟部族群となり、それも、遙か東の黒海あたりから移住してきた人々です。紀元前の西欧は、一面に大森林に覆われていて、当時のギリシア人やローマ人は、ゲルマン・ケルトの人々、つまり現在の西欧の人々の祖先を、森のなかの「蛮族」だと呼んでいました。 ローマは地中海全域を版図に収める大帝国を築きますが、その版図には、現在のフランスやドイツやイギリスは含まれていません。イギリスはブリタニアとして、比較的開けた領域は、ローマの植民地でしたが、島全体から見れば、ケルト族の土地でした。 現在の西欧の人々の直接の祖先の歴史になると、イタリアとギリシアは別ですが、「森のなかの蛮族」になってしまいます。 ギリシアとローマの文明は、西欧文明とは別のもので、西欧文明は、ギリシア・ローマを通じて、「文明」というものを学習したのですし、技術や知識や文化や思想を「模倣・継承」したのです。 西欧の歴史の最初が、「森のなかの蛮族」では、西欧の人々の自負心を満たさなかったので、古典ギリシアやローマ帝国の「継承者」を自認して、ローマやギリシアを、自分たちの歴史の最初に置いたというのが事実です。 なお、西欧が古典ギリシアを忘れていたなどというのは、どこから出てくるのか理解し難いです。12世紀13世紀のイスラム文化を通じての古典ギリシアのアリストテレスの思想の復興や、ルネッサンスの古典ギリシア復興のことを述べているのだとも思いますが、それは、キリスト教を文明の宗教としたことで、古典ギリシア哲学やローマ哲学を含む、「異教」の書物などを、すべて廃棄して残さなかったので、一見、忘却したように見えるだけで、ラテン語での記録などでは、ローマ帝国がかつてあり、古典ギリシア文化がかつて、ローマが崇拝した文化としてあったということは、忘却などされていません。 キリスト教にとっては、興味がなく、かつ有害と考えられたので、軽視され、また無視されていたので、キリスト教に都合の良い資料は、ローマ時代のものも、古典ギリシアのものも、西欧には残っていました。(ただし、哲学等のギリシア語原典は、意図的に廃棄し、抹消したので、名前だけ残り、実物が西欧からはなくなり、アラブ人を通じて、原典の写本が、12世紀頃再び、西欧に入って来たと言うことです)。 フランスの歴史、ドイツの歴史、イギリスの歴史などで調べると、最初がギリシアやローマにはなりません。イタリアの歴史の場合は、最初がローマやエトルリアになりますが、ギリシアはまた別です。 ローマや古典ギリシアが繁栄していた時代、イギリスやフランス、ドイツには、大森林があり、森林のあいだの小さな開拓地にケルトやゲルマンの人々が集落を作り細々と生活していたので、ギリシア人やローマ人は、彼らを、「森の蛮族」と呼び、フランス・ドイツ・イギリスなどを、「蛮族の土地」としていたのです。 (西欧は、上で述べたように、古典ギリシア文明や、ローマの文化資産を「学習・継承」して、みずからの文化を発展させて行ったのです。そのため、西欧の歴史の最初に、古典ギリシア文明やローマ帝国を置きます。特に、ローマ帝国は、キリスト教の成立と発展と密接に関係あるので、多数の資料がラテン語で西欧に継承されています)。   

shoko37564
質問者

お礼

maris_stellaさん、せっかくご返事頂いたのに数週間の間パソコンに触れず、お礼が遅くなってしまって申し訳ございませんでした。 とてもわかりやすく丁寧に説明してくださって助かりました。ありがとうございました。また何かありましたらその時はよろしくお願いいたします。

その他の回答 (1)

noname#118466
noname#118466
回答No.1

ギリシャ・ローマ以前の歴史は日本の縄文時代と弥生時代の関係に似ています。日本では長い間、日本の歴史は稲作の始った弥生時代から始ったとされていました。しかし、近年、原始的な暮らしをしていたと言われた縄文時代(一万年以上続いた)に既にクリや陸稲の栽培が始り、クニの原形ともいえる大集落(定住)があった事が発掘によってわかってきています。 ギリシャ文明(ローマ文明は周辺の文明を引き継ぎ発展させた後発)出現以前に、2~3千年にわたる先住民文化があった事が発掘によって明らかにされています。現在のヨーロッパ文明を築いたインド・ヨーロッパ語族の侵入以前の 文明は今後更に明らかになっていくことでしょう。ギリシャ文明はローマ帝国の崩壊により、長く忘れられていた時期があり、イスラム(アラブ人)を介してギリシャ文明が再度陽の目をみたため、ヨーロッパ人は自分たちの文明のルーツをギリシャに絞り、ギリシャ以前の歴史は断片的に かつギリシャの原始文明という理解をされていたようです。 ひとつの文明がある日突然生まれることはありえません。必ず先住民の文化を吸収し、周辺の部族を侵略する中で大きく発達していくのが普通です。中南米で有名なマヤ、アステカ、インカ文明は、歴史の中では白人の到着時にたまたま栄えていた文明に過ぎず(マヤは既に衰えていた)、彼らの前にもっと長く栄えた文明があったことが明らかになっています。

参考URL:
http://www.rui.jp/message/04/79/28_c5c1.html
shoko37564
質問者

お礼

maetinbuhoさん、ご解答ありがとうございました。丁寧に答えてくださり、感激です。また何かありましたらよろしくお願いいたします。