4番の方が、かなり誤った事を言っていますので、修正します。
教会建築ですが、正教会は基本的にビザンツ様式ですが、カトリックの場合ロマネスク式とゴシック式があります。
これは、教会のできた地域や時代の流行であり、教義内容とは根本的に異なります。
教会としてそれを規定したわけではありませんから、カトリックと正教会の違いとはなりません。
5大総主教座(5大教会)のけんですが、ローマ教会の権威が増すのは、教皇レオ1世の時代です。
西ローマ帝国の滅亡寸前の時に、フン族がイタリアに押し寄せた時、皇帝が逃げ出してしまい、教皇がフン族と交渉しローマを守った事によります。
しかしこれは、他の4つの大教会には全く影響を与えませんでした。
ちなみに、アンティオキア教会の信徒が後にヤコブ派、アレキサンドリア教会の信徒がコプト教徒となりますが、とちらもカトリックと正教会から異端とされて排斥されます。(単性派教会)
後に十字軍時代に、ヤコブ派をカトリックに改宗させて組み入れたのが、レバノンのマロン派教会(単意志派)です。
ちなみに西ローマ帝国の首都は、ローマではなく、ミラノ(395年~410年)とラベンナ(410年以降)です。
それ以前は、コンスタンティノープル(東ローマでは分裂後も)です。
東西教会の分裂は、教義内容と偶像崇拝問題です。
正教会がわが離脱したのではなく、相互に破門しあったのです。
>イコンを認めないのがギリシア正教でした。
イコン(聖画)を崇め、像を否定したのが正教会です。
偶像崇拝問題が、ビザンツ帝国で持ち上がり、国を大混乱に巻き込んだ結果として、「聖像は認めないが聖画は認める」という結論に至ったのです。
お礼
ありがとうございます! レオ1世の時代から深まるのですね。レオ1世は世界史で結構重要人物だったので覚えています。 東西分裂は相互の破門によるものだったのですか・・・意外です。