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自分が死ねば、宇宙が消滅するのか?
. 私に、哲学に造詣の深い知人がいます。 彼が、時折 「世界は、あなたが観測するから存在する。あなたが死ねば宇宙は消滅する」と言います。 その考えが存在することは、哲学の書籍で知っていました。 (独我論という考えらしいです。他の名称であれば、すみません。) しかし、自分はその論には、どうしても府に落ちなかったのです。 それである時、その知人に 「じゃ、俺が死ねば、お前も消滅するのか?」と聞いたところ、沈黙してしまい、それ以後その論は話さなくなりました。 自分は、不思議で仕方がありません。 先の論は、哲学書にも記載されているから、認知されている考えなのでしょう。 それに、時代の批判にも耐えてきたのでしょう。 それなら、どうして僕の素朴な疑問にも答えられないのでしょう。 皆さんの意見を聞かせてください。 .
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一般人ですが、独我論…wikiでざっとみました。 だから本当には理解できていないかもしれませんが、知人はこのようなことが言いたかったのではないかと…(付け焼き刃で回答しては、知人に怒られてしまいますかね…?)。 それって、つまり世界は自分が認識した上で存在するということですよね。 自分という体と意識があってこそ、世界を体感、認識できるということとすると、 >「世界は、あなたが観測するから存在する。あなたが死ねば宇宙は消滅する」と言います。 自分の認識を頼るとそういうことになりますね。 自分自身が死ぬと、自分は世界を観測できなくなるから、認識が出来なくなります。自力で認識できる世界が宇宙の全てだという考えの基では、その説は成り立ちます。指示しているわけではないけれど、言わんとすることは分かる気がします。 >「じゃ、俺が死ねば、お前も消滅するのか?」と聞いたところ、沈黙してしまい、それ以後その論は話さなくなりました。 知人が仰る、「自力で認識できる世界が宇宙の全てだ」という考えの基では、質問者さんは死を迎えることによって自分の存在も、知人の存在も認識できなくなります。 死ぬことによって、「認識できるもの=世界」が消滅します。 その論の基では、質問者さんにとっては死でもって宇宙の全てが消滅します。 自分の認識によってのみ存在証明が出来るのだという立場を取ると、そういう結果になります。 乱暴ですが、証明(認識)できないものは存在しないということでしょう。 知人は質問者さんではないから、仮に質問者さんが先に亡くなっても、自力で認識できる世界を生きて存在し続けます。 そのときの知人を認識できるのは、知人とその関係者です。 でも、知人が亡くなるとき知人が認識してきた世界はそこで終わります。 知人の関係者は知人の死を認識し、その後の世界を生きるのだけれど、知人が属した世界と同じものだとは証明できません。 何故なら、知人の関係者を知人は観測できないからです。 だから、同じ宇宙だとは証明できません。 知人とその関係者は同じ時代を生きている間は、同じ宇宙で存在していると証明し合うことが出来るけれど、その後の宇宙も同一の宇宙で延長上にあるものなのかどうかは、知人もその場に居合わせないかぎり証明できないからです。…自分の認識が全てだから。 なので、知人と質問者さんが感じ取ってきた宇宙が存在していても、お二人が存在することが叶わなくなったら、その後の世界が二人が属してきた宇宙そのものであるかどうかは、お二人には証明が叶いません。 個人による存在の証明の限界を、端的に「自分が死ねば、宇宙が消滅する」と言い表しているように聞こえますね。 私が存在して認識をしなければ、記録も記憶も写真も録音も、存在の証明にはならない。 本当にこれが通れば、裁判は無意味なものになってしまうし、映画も音楽も遺跡も無意味になってしまいます。 実際には制作者や当事者が亡くなっても、それらの事実は世界の中に存在し続けるのにね。 「人間の世界は、人間が観測するから存在する。人間が滅びれば、人間が作り出した世界は存在価値を失う」ということであれば、とても良く分かります。 「世界は、あなたが観測するから存在する。あなたが死ねば宇宙は消滅する」とは、これを一個人に当てはめて言い表した言葉のようにも思えます。 「ものがあっても、それを理解出来る人が誰もいなければ、存在していないのと同じ」なら分かるんですけれどね。 自分の存在だけが確かだという大前提で成り立つ説で、現実にはそぐわない感があります。
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- nishikasai
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あなたの質問を読んで北朝鮮のスポークスマンの言葉を思い出してしまいました。 「北朝鮮の存在しない世界は存在する価値がない。よって地球を破壊する」だそうです。
お礼
. 北朝鮮か。いいなぁ~「喜び組」 .
- mmky
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>>「世界は、あなたが観測するから存在する。あなたが死ねば宇宙は消滅する」と言います。 それである時、その知人に >>「じゃ、俺が死ねば、お前も消滅するのか?」と聞いたところ、沈黙してしまい、それ以後その論は話さなくなりました。 自分は、不思議で仕方がありません。 そうですね。質問者さんの感覚・考えが正しいから不思議に思えるのでしょうね。自称哲学者がおかしいだけですね。 正しくは、「世界は、あなたが観測するから存在する。しかし、あなたが死んでも宇宙は存在する」が正しいのですね。 自身の観測による存在の認識と、宇宙の存在とは無関係な事柄ですからね。観測者と宇宙は独立な事象ということですね。 だから、あなたの問いで言えば、あなたの存在と他社の存在は独立事象なんですね。あなたが死んでも他者は存在しますし、他者が死んでもあなたは生きてますからね。 これであなたの疑問は解消されると思いますが、言葉や文章は美名の下に矛盾したものがたくさんあるのですね。不思議に思うことはその矛盾を突き正しい見方を得るものですから良い質問ですね。 かなり前ですが、普賢岳に火砕流が発生したころ、ニュースキャスターが意を得たりのごとく「人の命は地球より重い」と言っていたのですが火砕流に巻き込まれて多くの人がなくなられた現実を見て、「やはり人間は自然には勝てない」などと言っていました。「人の命は地球より重い」は生命を大切にするための方便の言葉で、実際はそんなこと無いんですよね。方便の言葉を本質と受け取っている人も多いんですよね。 いつも不思議・おかしいなと思ってほしいよね。 ただ、「世界は、あなたが観測するから存在する。あなたが死ねば宇宙は消滅する」は明らかな間違いですけどね。
お礼
. ありがとうございます。 心強い、声援に感じました。 .
宇宙やこの世、ありとあらゆる目に触れ耳に触れ考えに触れられる存在諸々、あるいは一切、更にその他の種子などが、存在したり、またはしなかったりすることについて、いずれかの答えを採択することが、しあわせな人生にとってどうなのかということと、結びつけばそれでいいし、そうならないなら、それはそれで無駄ではなったとなることが、善い考察であると思います。 たとえば、こういう風に問うことは如何でしょう。 「じゃあこの宇宙が存在していると、言うけれど、どうしてそういう風に言えるのでしょうか?」 そのようなことは、どっちでもいいのだと私はおもいます。50パーセントはあって、50ッパーセントは無いんだぜって言っても、いいんじゃないか? この世があるかないかはそれ自体が問題ではなくて、ハッピーかどうかだと思うんだ、けれども、人は真実を知りたくて問うわけだから、その問い、あるいは考えたことが無駄になるわけではないとも思います。 人は、死ぬ前にしあわせになれたか、あるいはしあわせであれたか、満足でけたか、そこらへんが、存在したことの『意義』にかかわって来るんだと思います。 誰でも、その意義にはこころが向いているはず(と思う)。誰でも、身近な人のこと、遠くの人のこと、思いやれる。 誰であっても、(極限的に)自分が辛いとき、どうしても誰か助けてくれと思うと思う。あるいは、思わなくても(思えなくても)、極限的にそのような苦悩をみんなが抱えているかもしれない。 そんなときに、どうしてやれるのか?そこらへんが、自分の存在意義を考察する上では大切な観点なのではないかと思います。
- asunasi
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他者の存在が証明できるかという問題でしょう。 私は哲学の知識はありませんが、片っ端から疑っていって、最後に残ったのが『考えている自分』だったと言ったのがデカルトだったように思います。 自分の知覚だってアテにならない訳で、味のある夢や触覚のある夢を見ることがある以上は、食べたり触れたりする目の前の現実も、実は夢かもしれない。「現実は本当にあるのか」という人間の持つ漠然とした不安感をエンタメにしたのが映画の『マトリックス』だったのでしょう。 でも、少なくとも「そんな事を考えている自分」という存在があるのは証明できるわけだ。 「じゃ、俺が死ねば、お前も消滅するのか?」という問い掛けですが、”質問者様の宇宙”においては当然、相手は消滅する訳です。だって、貴方が死んだ後に相手が存在している事を、死んでしまった貴方自身は証明できない訳ですから。 だが、相手の宇宙においては、貴方は証明できない存在でしかない。御友人の宇宙において貴方の死は認識されるでしょうが、それは実存を証明できない死であり、個人的に受け入れる死でしかない。ましてや”幻影”の死によって自分の宇宙が崩壊するなどとは有り得ない訳です。 縁起でもない例でごめんなさいね(笑) 相手の方が沈黙したのは、うまく言い表せなかったのか、あるいは貴方と前提自体がかけ離れすぎているので、わかってもらえないと思ったのかも。 だが、”理解し難い他者”という幻影を個人の妄想だけで創り上げることが出来るのか? という疑問が残る。 『万物理論』(グレッグ・イーガン著、山岸真訳、創元SF文庫) ↑SFエンタメですが、個人的にオススメ。
お礼
. 回答ありがとうございます。 『万物理論』(グレッグ・イーガン著、山岸真訳、創元SF文庫) は、参考にさせていただきます。 .
- sheep67
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雑な話ですが、 宇宙=世界、でいいでしょうか? また、観測=客観的、ということにします。 そうなると、客観的世界は残りますが、その人だけの主観的というか、その人独自の世界は消えると思います。 例えば友達がいるとしても、死んでいく人が感じてたその友達の人格は、死によって消えると思いますが、 その友達を見る知り合いの数だけその友達の人格は存在するので、その死んでいく人が見ていた友達以外の友達?は残ります。 (って、こんな話もう誰か書いてるか・・) 世界も同じで、その人のオリジナリティーは消えますね。 木や水に対する感性も、その人オンリーだし。 それは、そういう主観的世界は、なかなか客観のみの世界と切り離せないですが、 そもそも純然たる客観の存在もあやしいので、それでいいのじゃないでしょうか? 客観とは、一つの極論的概念であり、実在ではない、という立場もあると思うんですが。 この議論においては、客観的私、観測の対象、など、前提とするにはあやしすぎる概念じゃないでしょうか? それは科学など客観性を軽視する、という意味じゃありません。 ただ、客観は観測認識の対象だけど、絶対じゃないですし、こういう議論に耐えられる物と思わないです。
お礼
. 回答ありがとうございます。 それから、独我論ですが、 wikiによると、 >独我論は、哲学的な考え方の一つである。 >独我論は認識論や形而上学での立場の一つで、自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神だけであり、 >それ以外のあらゆるものの存在やそれに関する知識・認識は信用できない、とする と言うことで、世界に存在するのは自分だけと言う考えらしいです。 説明が不足してすみません。 .
- tamioogata
- ベストアンサー率50% (336/661)
「世界は、あなたが観測するから存在する。あなたが死ねば宇宙は消滅する」と言います。 それである時、その知人に 「じゃ、俺が死ねば、お前も消滅するのか?」と聞いたところ、沈黙してしまい、それ以後その論は話さなくなりました。 その場合は、彼方から見た宇宙は消滅するので、同時に彼方から見た「お前」は消滅しますが、その他の人から見た「お前」が残っていますので、「お前」は消滅しません。 繰り返しですが、「世界は、あなたが観測するから存在する。あなたが死ねば宇宙は消滅する」と言います。 私はそうは考えません。 彼方は彼方と言う一つの宇宙、私は私と言う一つの宇宙なのではないかと考えます。 一人一人の人間が、全て独立した宇宙で有ると考えれば説明が付くと言うか、「納得が行く」のではないかと思いますが。
お礼
. 回答ありがとうございます。 >彼方は彼方と言う一つの宇宙、私は私と言う一つの宇宙なのではないかと考えます。 一人一人の人間が、全て独立した宇宙で有ると考えれば説明が付くと言うか、「納得が行く」のではないかと思いますが。 この考えには、腑に落ちません。 一人一人の人間が、独立した宇宙と考えると、他人とのコミュニケーションを、社会生活の成立をどう説明するのでしょうか? 一つの宇宙の中に、人間の集団が存在すると考えた方が、現実をうまく 説明できる気がします。 この考えは、どうなのでしょうか? .
- gigamax2
- ベストアンサー率27% (170/628)
こんばんは。面白いテーマなので自論ですが少々・・・。 多次元宇宙論をご存知でしょうか?今の貴方の在り様でバージョンが無数に 展開されると言う意味です。当然貴方に関わる第三者にも多様性が生まれま す。量子力学で言う不確定性はこんな所にも当てはめる事が出来るのだと思 っています。 貴方が死んだら死んだ貴方の宇宙が消滅するとの解釈も間違いじゃないと 思います。そして死んで居ないあなたの宇宙も同時に存在しているわけです よ!考え方としては観察している自分は一様ではないって事です。マトリック スでの光の部屋での出来事が真意を物語っているような気がします。 今と言う瞬間しか認知できない我々は、多次元宇宙の複雑さを認知するのに はまだまだ波動が低いのでしょう。ただその瞬間こそが三次元で生きる我々 の原動力だと思いますよ。
お礼
. 回答ありがとうございます。 多次元宇宙論は知りませんでした。 早速wikiで検索しました。 部分引用は、誤解を招きかねないのすが、あえて、部分引用します。 多元宇宙論(たげんうちゅうろん)とは、何らかの意味で宇宙は単一のものではないとする考えである。我々が住む宇宙以外の宇宙が存在するはずである/してもおかしくはない、とする物理理論 と記載がありました。 とすると、これは、仮説と見なしていいのではないでしょうか? ならば、知人の発言 「世界は、あなたが観測するから存在する。あなたが死ねば宇宙は消滅する」 を、「とする、解釈もある。」 と言うべきだったのではないでしょうか? 知人の発言が、正確さを欠いていたという理解でいいのでしょうか? 先端物理学に詳しくないので、根本的な誤解があるかもしれません。 又の、回答お願いします。 .
- kdsakjgj
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自分以外の人間は操り人形ということを前提にしているからでは?
お礼
. 回答ありがとうございます。 鋭いですね。 そういう風に、問題点を指摘している書籍もあります。 それならば、どうして、こんな考え方が、時代の批判に耐えて、生き残っているのか、認知されているのか不思議で仕方ないのです。 kdsakjgjさんは、不思議に思いませんか? .
お礼
. すばらしい! 初めてで、そこまで解釈できるものでしょうか! 大型新人の登場!ってやつですかね。 解釈に特に、異論はありません。 ただ、僕が問題にしているのは、最初に質問に書いてあるように「腑に落ちない」と言う点でもあります。 これは、mist_greenが、文末で書いている。「現実にはそぐわない感があります。」って言う事と同じだと思いますが、こんなに、現実から乖離感を感じる論が、そんなに、認知されているという、違和感なんですよ。 これは、できれば、後のほうで、突き詰めていければと思っているんですが、相手(回答者)のあることですからね。 どう、話が展開するか・・・・ .