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自分が死ねば、宇宙が消滅するのか?

. 私に、哲学に造詣の深い知人がいます。 彼が、時折 「世界は、あなたが観測するから存在する。あなたが死ねば宇宙は消滅する」と言います。 その考えが存在することは、哲学の書籍で知っていました。 (独我論という考えらしいです。他の名称であれば、すみません。) しかし、自分はその論には、どうしても府に落ちなかったのです。 それである時、その知人に 「じゃ、俺が死ねば、お前も消滅するのか?」と聞いたところ、沈黙してしまい、それ以後その論は話さなくなりました。 自分は、不思議で仕方がありません。 先の論は、哲学書にも記載されているから、認知されている考えなのでしょう。 それに、時代の批判にも耐えてきたのでしょう。 それなら、どうして僕の素朴な疑問にも答えられないのでしょう。 皆さんの意見を聞かせてください。 .

質問者が選んだベストアンサー

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noname#163132
noname#163132
回答No.11

一般人ですが、独我論…wikiでざっとみました。 だから本当には理解できていないかもしれませんが、知人はこのようなことが言いたかったのではないかと…(付け焼き刃で回答しては、知人に怒られてしまいますかね…?)。 それって、つまり世界は自分が認識した上で存在するということですよね。 自分という体と意識があってこそ、世界を体感、認識できるということとすると、 >「世界は、あなたが観測するから存在する。あなたが死ねば宇宙は消滅する」と言います。   自分の認識を頼るとそういうことになりますね。 自分自身が死ぬと、自分は世界を観測できなくなるから、認識が出来なくなります。自力で認識できる世界が宇宙の全てだという考えの基では、その説は成り立ちます。指示しているわけではないけれど、言わんとすることは分かる気がします。 >「じゃ、俺が死ねば、お前も消滅するのか?」と聞いたところ、沈黙してしまい、それ以後その論は話さなくなりました。 知人が仰る、「自力で認識できる世界が宇宙の全てだ」という考えの基では、質問者さんは死を迎えることによって自分の存在も、知人の存在も認識できなくなります。 死ぬことによって、「認識できるもの=世界」が消滅します。 その論の基では、質問者さんにとっては死でもって宇宙の全てが消滅します。 自分の認識によってのみ存在証明が出来るのだという立場を取ると、そういう結果になります。 乱暴ですが、証明(認識)できないものは存在しないということでしょう。 知人は質問者さんではないから、仮に質問者さんが先に亡くなっても、自力で認識できる世界を生きて存在し続けます。 そのときの知人を認識できるのは、知人とその関係者です。 でも、知人が亡くなるとき知人が認識してきた世界はそこで終わります。 知人の関係者は知人の死を認識し、その後の世界を生きるのだけれど、知人が属した世界と同じものだとは証明できません。 何故なら、知人の関係者を知人は観測できないからです。 だから、同じ宇宙だとは証明できません。 知人とその関係者は同じ時代を生きている間は、同じ宇宙で存在していると証明し合うことが出来るけれど、その後の宇宙も同一の宇宙で延長上にあるものなのかどうかは、知人もその場に居合わせないかぎり証明できないからです。…自分の認識が全てだから。 なので、知人と質問者さんが感じ取ってきた宇宙が存在していても、お二人が存在することが叶わなくなったら、その後の世界が二人が属してきた宇宙そのものであるかどうかは、お二人には証明が叶いません。 個人による存在の証明の限界を、端的に「自分が死ねば、宇宙が消滅する」と言い表しているように聞こえますね。 私が存在して認識をしなければ、記録も記憶も写真も録音も、存在の証明にはならない。 本当にこれが通れば、裁判は無意味なものになってしまうし、映画も音楽も遺跡も無意味になってしまいます。 実際には制作者や当事者が亡くなっても、それらの事実は世界の中に存在し続けるのにね。 「人間の世界は、人間が観測するから存在する。人間が滅びれば、人間が作り出した世界は存在価値を失う」ということであれば、とても良く分かります。 「世界は、あなたが観測するから存在する。あなたが死ねば宇宙は消滅する」とは、これを一個人に当てはめて言い表した言葉のようにも思えます。 「ものがあっても、それを理解出来る人が誰もいなければ、存在していないのと同じ」なら分かるんですけれどね。 自分の存在だけが確かだという大前提で成り立つ説で、現実にはそぐわない感があります。

mintarou1
質問者

お礼

. すばらしい! 初めてで、そこまで解釈できるものでしょうか! 大型新人の登場!ってやつですかね。 解釈に特に、異論はありません。 ただ、僕が問題にしているのは、最初に質問に書いてあるように「腑に落ちない」と言う点でもあります。 これは、mist_greenが、文末で書いている。「現実にはそぐわない感があります。」って言う事と同じだと思いますが、こんなに、現実から乖離感を感じる論が、そんなに、認知されているという、違和感なんですよ。 これは、できれば、後のほうで、突き詰めていければと思っているんですが、相手(回答者)のあることですからね。 どう、話が展開するか・・・・ .

その他の回答 (38)

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.19

#12 世界とは何かという事が問題になるのでは。 認識できないものは存在しているとは言えないとするなら、 世界の存在は認識によって保障されていると言えます。 すると、お友達が見ている世界と質問者さんが見ている世界は同じではない可能性があります。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 僕は、基本的に自分の感性を元にシンプルに考えていくタイプなんですよ。 だから、友達と自分の物を見るのも立ち位置が違うから、違って見えるって考えるだけなんですよね。 それで、矛盾が発生しないなら(感性が違和感を感じないなら)その解釈を採用するんですよ。 (矛盾が発生したら、当然、他の解釈を考えますけどね。それから、見るた物は、心象だから、その意味での別の世界なので、そういう内容を言っているなら納得しますけど。) shift-2007さんが、そう考えるなら、その根拠も示してもらえたら参考にします。 .

  • ga111
  • ベストアンサー率26% (247/916)
回答No.18

あの、、、あまりにも単純ながっかりするような話なのかもしれません。 「世界は、あなたが観測するから存在する。あなたが死ねば宇宙は消滅する」は 「あなたの」世界は、あなたが観測するから存在する。あなたが死ねば「あなたの」宇宙は消滅する ということでは? 言葉を補って考えれば、自然なことです。誰にとっての世界か?ということが文(=命題)としてあいまいになっているために、混乱を招くわけです。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 実は、自分もそういう風に考え、そこに納得を持ち込んだ事があります。しかし、色々調べると、事はそう単純ではない様です。 そう書けば、納得できるですが、「独我論」では、徹底して「あなたの」を省いているのです。 「あなたの」を入れれば、単純に納得できるのに、それを一切行わない。 これは、どうしてか??? これを、考える所に「独我論」の理解への道があると思います。 幸い、回答番号:11で、mist_green さんが、wikiで「独我論」を調べて、その解釈を述べています。 参考に、再度考えてみてください。 .

回答No.17

 http://okwave.jp/qa5460190.htmlにおいて、  自分が死ねば、宇宙が消滅するのか?(2)の質問を出しました。  どうかご参考にされ、なおご回答くださいますようお願いします。

mintarou1
質問者

お礼

. ありがとうございます。 この問いに、様々な意見が出ると言うのは、色々な方向から光が与えられ、問題の輪郭が浮き彫りになる効果があると思います。 暫くは、見守らせていただき、必要に応じて意見を述べたいと思います。 .

回答No.16

 mintarou1さん、やはり貴兄様でしたか。  通り過ぎのできないフレーズですね。多くの方がご質問を一生懸命解釈して、ご回答されていますね。  類似のフレースに出遭った事もないではありませんが、丸裸でこれだけを抜き出してご質問されると、自分の中にこのフレースを取り込んで、自分の質問として回答を考えてしまう。  ご回答の多くのみなさんがそうなさっておられるのかも知れませんね。  お友達の会話としての挿話がどうも貴兄様の枕や前提的の、つまり導入の素晴らしい説明の代用になっているかのように見えます。  ご回答はほぼ出ていると存じますが、ちゃんと理解するためのメカニズム(仕組み)の説明として、回答番号:No.9のpsytexさんのご投稿がこれからの探求の対象として有意義だと存じます。  psytexさんが仰せの事は細部については、mintarou1さんも仰せのように理解できていないのですが、私たちのインド思想での精進の理論に矛盾しないのではないかと存じます。  問題はmintarou1さんが言われる、死んでしまう主格をどう考えるかの事にも関連しないでしょうか?  いつも経験し行為し、知覚して、考え認識しているのはあなたでしょうか、私でしょうか?誰でしょうか?  そういう問題に突き当たる、ご質問であり、psytexさんのご回答ではないかと存じます。  日常の用具としての自分を自分の存在としてしまうと、ご質問には答えられませんね。  私たちはこの何かをしている自分と、それをさせている自分の区別をすることができるように為りなさいと教えられています。  そういう観点からだと、ご質問のことはなるほどとおもうのですが、そうでないと、正に経験事実とは齟齬するフレーズですね。  psytexさんのご質問をもっと理解したいので、私も質問を起こしたく存じます。

mintarou1
質問者

お礼

. おぅ!弟か!元気そうだな! その視点は、問題の本質に迫るアプローチとして、いいと思います。 期待しています。 .

noname#98767
noname#98767
回答No.15

観方によって如何様にも言えるです。

mintarou1
質問者

お礼

. やっと、コーヒータイムか・・・・・ .

  • hosiboshi
  • ベストアンサー率9% (15/158)
回答No.14

死を自らの消滅と考えた場合そうなります。 自分が死ねば宇宙そのものもなくなります。 ここに別の見方を加えます。 輪廻転生を真理だとすると、その人の徳。 つまり宇宙に良い影響を与えたかどうかによって、その人の死後ある程度が決まります。 つまり宇宙の終わりではありません。 また他者から見た場合、その人が死んでも宇宙は続くので宇宙は無くなってはいません。 この考え方は、間違ってはいません。 ある意味自分が死ねば自分の宇宙は無くなったのと同じだからです。 様々な視点から物事を見ることができ、その人の見方、考え方のレベルすら様々なので、人は多様なのです。 世界は、あなたが観測するから存在する。あなたが死ねば宇宙は消滅する は哲学の最初のほうににたどり着く答えの一つでもあるのです。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 輪廻転生ですか・・・・ 哲学では、「死とはなにか」「神とはなにか」「魂とは・・・・・ と、死に関わる事を問うているのですが、「輪廻転生」について、言及しているのを知りません。 「輪廻転生」って、哲学になじまないんですかね・・・ それは、自分も考察中なんですよ。 という事で、これについては、コメントする知識をまだ、持ち合わせていません。 すみません。参考とさせていただきます。 .

  • gigamax2
  • ベストアンサー率27% (170/628)
回答No.13

NO.2です。お返事有難うございました。 色んな意見が出ておりますが、良いことですね。ただ、宇宙観や量子力学、 哲学論や神に対する考え諸々・・・全てが真意を表現出来ているわけではあ りません。一つの解釈のツールでしかない事を覚えておいた方が良いでしょ う。何しろ宇宙の存在意義、人間とは?生きるとは等、何も解決できていない のですからね。 一番頼りになるのが自分の感性です。それを踏まえてまた私の自論に入りま すが、これとて他者には異論となる事も承知ですので悪しからず。 >知人の発言が、正確さを欠いていたという理解でいいのでしょうか? 貴方の質問に対する回答としては知人が理解に及んでいなかったと言う事で しょう。 私も含め、真理を理解する事はとても困難ですし容易ではありませんね。た だ各々が自分の経験値や見聞から色々な事に対して判断をするわけですの で、それ自体否定する事は無意味ですしプロセスとしては大事な事だと思い ます。当然私自身も理解に及んでるわけではないのですから・・・。 多次元宇宙に関する例えを一つ。 我々はX・Y・Z軸の三次元に生きていますが、そこに時間軸と言う一つの流れ が加わります。時間軸とはマクロに見れば宇宙の営みであり、ミクロに見れば 素粒子のスピンとなります。スピン、すなわち回転によって時間の概念が生ま れます。 今貴方がりんごを見ているならば、そこは貴方が存在する座標で言う0ポイン トから見るりんごとなります。隣に居る知人は同じりんごを見ているはずですが、X・Y・Z軸の0ポイントは絶対に同じにはなりません。簡単に言えば観察する”目”が0ポイントと同意義になる訳で、それは重複し得ないって事です。 結局は同じ時空に居ながらお互いは別の次元を共有していると言えば分かり やすいのではないでしょうか?そしてお互いが共有する項目が多くなればそれをシンクロにシティ(共時性)と言い換えることも出来ます。 要は自分の現実は自分自身の観点からしか体験できず、他人は別次元に居 るなれど、それは共時性で成り立ってるとすれば面白くありませんか?それを 多次元宇宙、各々の体験のワールド、現実、と色んな表現が出来ると思いま す。 そしてその現実のバージョンは今という在り様で千差万別に変化し、それを我 々はチョイスしているだけだと言えるのではないでしょうか?そのチョイスは各 自が決める事であり、結果はまたまた千差万別。言い換えれば自分というバージョンは全てに存在し、体験し認知できるのは一つだという事です。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 >一番頼りになるのが自分の感性です。 そうだとすると、「自分が死んでも宇宙は存在する。」に軍配が上がると思いませんか? その方が、感覚的に受け入れやすいでしょう。   個人的には、その主張は賛成なのですが、そうとは言えない所に「独我論」の問題の本質があると思うんですけどね。・・・・・ それについて、どう思いますか? .

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.12

ならば、質問者さんが死んだあとお友達が存在していることをどうやって質問者さんは確認するのでしょう。 確認するすべがないものが存在していると言えるでしょうか。

mintarou1
質問者

お礼

. 確認することは出来ません・・・・と言えるかどうか分かりません。 死んだことがないので・・ 100歩譲って、確認できないとしましょう。 しかし、僕が生きている間に、何人の人が死んだか分かりませんが 僕は、存在しています。 帰納的に考えるならば、僕の死んだ後にも宇宙は存在すると、考えるのが自然な考えだと思います。 .

noname#99059
noname#99059
回答No.10

ええっと、ここは物理学カテ?じゃなかったですね(笑) 私の幼なじみの話なんですけど、こういう御質問を拝見すると、すぐ思い出します。 その子は小さい頃、親に叱られたり、いやなことに遭遇すると反射的に眼を閉じるくせがあったそうです。 どうやら、眼を閉じて、見えなくなれば、すなわち、まわりが消滅するものと思ってたらしいです。 >「じゃ、俺が死ねば、お前も消滅するのか?」と聞いたところ、沈黙してしまい、それ以後その論は話さなくなりました。 >自分は、不思議で仕方がありません。 >どうして僕の素朴な疑問にも答えられないのでしょう。 それはですねえー、その知人の方の知識は、「その論」しか知らないという、偏ったものであるのか、もしくは、「その論」が大のお気に入りなのでしょう(笑) でも、お気に入りを貶されたら、大概は怒りだすのが人情ですから、多分、やはり、「その論」しか知らないのかも~(笑) 哲学のことしか知らないうえに、なおかつ、「その論」しか知らないという、ダブルの専門バカなのとか? 知人の方に失礼ですかねゴメンナサイ(笑) あるいはですね、質問者さまの反問が、哲学に造詣の深い方ならでは、その知人さまにとって、哲学に疎いゆえに単純素朴に過ぎる疑問を呈することしかできない者に答える気も起きないとか、なおかつ、さすが哲学に造詣の深い方だけあって、お気に入りの論に反問されてもスルーできるだけクールでいらっしゃるとか。 ま、早い話、角度や視点の問題なのでしょう。 知人さまの「その論」も、ある一面での真実なのであって、単なるウソっこ、というわけではないと思います。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 すごい幼なじみですね。 幼くして「独我論」を体得していたんですね。 今は、どんな論まで、マスターしていることやら・・・ .

回答No.9

まず大切なのは、あなたの言う「宇宙」とは何かを、よく把握することです。 日常的な感覚(素朴唯物論)を先入化したまま議論することを、最近の物理学は許容しません。 まるで自分の座っている座布団を持ち上げて飛び上がろうとするような、 常識の自己否定をくり返しながら、本質的概念を形成します。 実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対によってしか存在は無い、 という帰結を潜在的に持っています。 客観的時空や絶対的存在というのはない、というものです。 認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になります。 全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限につめこむと 存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限のゼリーの中に、 仮想的な認識体の断面を切ると、その認識体にとって、相補的不確定性を伴う 存在による宇宙が見えます。 その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの収束の時系列化)を 想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光の向うに、 自我仮説の補完としての時空仮説=宇宙を認識するのです。 しかしその「存在」は、認識される階層的現象の表面的に生じるもの(自我仮説に対する相補)で、 根源的に絶対化しようとすると、元の無限不確定性に発散します。 これが物理の根源をなす不確定性原理(プランク定数hは超弦理論において全ての実体の起源とされます)です。 「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補として生じた時空仮説に対して、 「本当はないんだけどね」という無の射影として、存在は生じていると言えます。 自我仮説に対する相補的な時空仮説こそが宇宙(無の無限の闇に対する自我の射影)。 全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)補完なのです。

mintarou1
質問者

お礼

. 助けてくれ・・・・・ .

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