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日本の教育
日本の親、教師における教育は崩壊していますか? ここが良い。 ここは素晴らしいと言える点はありますか?
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そもそも学校教育は、「読み・書き・そろばん」と言われたような、 家庭教育や地域コミュニティでの世代間伝承による人格形成の上の、 トッピングに過ぎなかった。 ところが高度経済成長による核家族化や共働き、地域コミュニティの希薄化で、 過度に学校教育に依存してしまった事が、問題の源泉である。 元々の日本文化の長所である、稲作農耕&島国文化の集団主義が、 詰め込み教育&点取り競争によって自己チュー化した。 それでもまだ集団主義は残っており、悪い面としては“甘え”につながっているが、 まだまだ遊牧&大陸的な個人主義に比べれば、協調性において優れている。
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体罰はもうやめよう、とする機運が20年くらい前から強くあって、それも定着しました。 しばらくは試行錯誤だったようですが先生方も一通りのノウハウは身につけたようです。 体罰をしないと言う事は、大人が無理やり子供を従わせたりしないと言う事です。 親の方は相変わらずで、まちまちですが先生方の方は子供に主体性を持たせて生活全般がのびのびとできるように工夫しています。 したがって教育現場は崩壊の危機なり不安から立ち直りつつあります。 今の子供たちは厳しいしつけを知らないで豊かな時代にのびのびと生活しています。学習面では強制する感じが無いので劣ったところもあるかもしれませんが、人格形成全般のプラス面が大きいので大したことではありません。
- heartmind
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子供は社会をうつす鏡だと言いますから。今の社会のいい面と悪い面を見るとその答えがあると思います。しかし逆に子供の教育はそういう社会風潮に流されずに、ある意味、先陣を切った方がいいのではと思います。今の社会に合わせるのではなく、未来の希望する社会をめざす子供です。未来の社会を作るのは子供なのですから。
- y-shomei
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家庭教育という意味では、かつては小学校に入学する前に100まで数を数えることができたり、自分の名前を漢字で書いたりすることができるように親が教育するのが当たり前だったのが、今はそれができずに入学する子が多くなっています。 また幼稚園の先生と話をしたときに、その幼稚園ではお昼寝の時間があってベッドを使っているそうなんですが、そのベッドへ上がれない子が数名いる。掃き出しの入り口から教室へ上がれない子どももいる。と話を聞きました。学力面と体力面の双方から就学前の家庭教育の現状が変化してきているのは間違いありません。 個人的な意見ですが、ニュースや新聞で「警邏」を「警ら」と表記するなど難しい漢字をひらがなに置き換えたり、裁判員制度で法廷用語を平易な語に置き換えることを検討しているとよく見聞きしますが、これだけワープロなどの技術が発達してきているのですから、ルビを振ったり括弧書きで説明を加えることで構わないのではないでしょうか?江戸時代以前の子どもや中国人の子どもは小さい頃から漢字を読み書きしていたはずなので今の日本人が小学校で習う漢字を削減したり、ひらがなに置き換える必要な無いと思いますが。 つい先日(11月12日)に都教委が小1問題(都では小1プロブレムと言っています)で都内小学校の4校に1校で、授業中に子どもが集団生活になじめず、教室で騒いだり席を立って歩き回るなどして授業が成立しない状況となる小1プロブレムがあったと報告しています。 外食店や電車内でふざけて騒いだり、靴のまま座席の上に立ち上がったりしても注意しない親や保護者、周りの大人たちの責任を感じざるを得ません。 素晴らしいと言える点は、就学率でしょうか。 参考urlの先の記事で、小1プロブレムについてと教員の資質について書かれてあります。
- v12-000
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崩壊しているでしょうね。 「教育」の本来の意義が見失われているように感じます。 現在の日本の社会風潮に照らし合わせると、教育というものはすぐに結果が表れてこないものであり、実際に目で見て確認することもできないため、敬遠されているのでしょう。 「昔の日本の親はしっかりしていた・・・」などとよく聞きますが、確かに昔の日本の親は教育に対して熱心だったと思います。そしてその教育に対する取り組みの背景には、「知識を身につければ必ず幸せに生きていける」という思想哲学が備わっていたと思います。だからこそ、親も教師も子供たちに対して一生懸命に勉強させ、そして人間性も育てていたのだと思います。 それに対して現在の時代を生きる日本の親や教師たちは、子供たちの将来というよりも目先に見える利益をいかに獲得するかに没頭していると感じられます。中には素晴らしい教育哲学を持った親や教師がいることも事実ですが、限られていると感じられます。確かに現代社会はいかに利益が得られる何かを行うかで評価されますから、今すぐに成果がはっきりしない教育というあいまいな概念に熱心に取り組むのはあまり気が進まないのでしょう。そして、社会風潮的に「いかにしたたかに生きるか」ということが強調されるため、さらにもまして利益追求型の考えから抜けられなくなるのでしょう。ですから、ですから現在の日本の教育というものは言葉上での建前であって、なおかつ教育というものの本来の意義が忘れられているのだと思います。 あえて、現在の日本の親、教師の教育で良いと思える点は、「協調性」を学べるということでしょう。目立たず、自己主張せず、いかに争いを避け便宜を図り物事を解決するかという周りとの上手な協調の仕方というものを学ぶことができると思います。そして、人間性という面においては、自分がどう思うかではなく、周りが自分のことをどう思うかを第一に考え、利益にならないことはするべきではないということを学ぶことができると思います。 参考になればと思います。
- ucok
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すべての国々と比較したわけではありませんが、古くから言われている日本の教育の利点は「均一化」です。厳密に言うと、これは良くもあり悪くもあるのですが、一応、すべての児童生徒に、ある一定水準までは等しく教育を施している傾向にあります。読み書き算数以外の、体育、音楽、美術、理科、技術家庭などの授業が充実しているのも、世界の中では、ある程度珍しく、外国人保護者の中にはこれを羨む人もいます。たしかに落ちこぼれは多いですが、諸外国と比べて極端に多いかというと決してそうではないでしょう。で、その均一化が崩壊していると言う人もいますが、現役高校生の保護者としては、そうは必ずしも感じません。 もうひとつ良いと感じるのは、子供が乳幼児の頃から、行政を通じて子育て指導が保護者に施されているという点です。具体的には、母子手帳に始まり、乳幼児健診、保健所や学校を通じて配布される、子育てや栄養に関する印刷物、相談先の一覧、子供会などの地域活動などがあります。こうしたことも、ある種の均一化のあらわれと言えるかもしれません。これを無視する親が増えたと言う人もいますが、私は必ずしもそうは感じません。 ただ、近年の日本は、かつてに比べて価値観が多様になりました。また、その多様な価値観を、教育機関自ら「認めていこう」と宣言しながら、その受け皿が整っていません。そこが学級崩壊の根本にある問題点だと思います。とはいえ、個人レベルや学校単位では、独自の受け皿を整えてそれなりに成功している素晴らしい例がいくつもあります。