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人の死について
人が死んだら魂ってあるんでしょうか?死んだら火葬されますが魂があったら熱さは感じないのでしょうか?色々考えるとまだそんな年齢ではありませんが死ぬのが怖いです。教えて下さい。補足に答えて頂ける方のみの回答とします。
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- mintarou1
- ベストアンサー率30% (22/73)
. 本当に難しい問題だと思います。 一般的には、死んだ後は無になると言う答えが多いです。 この答えは、回答する人の意識によって、回答の裏に隠された意味がまったく異なると思います。 例えば、養老孟司さんは、次のように言っています。 死について、まったく恐れる必要はない。 何故なら、生きているときは意識があるが、死んだら意識がなくなる。 つまり、死を認識することが出来ない。 (つまり、死は、認識できないから存在しないことと同じだ。) と言っています。 これは、理屈的にはとても正しい解答と言えるでしょう。 しかし、養老さんが、本当にそう考えているかというと、養老さんの他の著書を読むと別の事も言っているので、先の答えは、一般の人向けの無難な回答をしたと読めるのです。 他の著書の内容とは、高名なお坊さんとの対談で霊の話をしているのです。養老さんは、霊の存在の可能性も考えているのです。 以下、私見ですが、(養老さん様な方を別として)死の先を無とか、分からないと断定していることには、軽率であるといういう感じを持っています。 死後を真剣に考えて、色々調べると、死の先を考える重要な材料があることが分かります。 それは、「臨死体験」というものです。 臨死体験とは、一度死を宣告された人が、何らかの理由で息を吹き返しし、死の宣告の後から、息を吹き返すまでの体験を言います。 死んだ人が、息を吹き返すなんて事があるのか?と考える人は、情報不足で、これは世界中に証言例があり、科学的にも研究されています。 以下のwikiの臨死体験を参照ください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E6%AD%BB%E4%BD%93%E9%A8%93 詳細に、知りたければ、知の巨人といわれる立花隆さんが、「臨死体験」の著書を出されています。目を通してはいかがでしょうか? 今まで、類書は翻訳本がほとんどでしたが、これは、日本で始めて、日本人の臨死体験者から聞き取り調査、検証を行いまとめた、本格的な「臨死体験」に対する書です。 これは、今後の日本での臨死体験の研究の、重要な資料となり得る本だと思います。 100の想像より、1つの事実の方が重要だと思います。 それから、火葬されたら熱さを感じるか?というのは、感じないと断定していいと思います。熱さは、皮膚などにある神経が熱さを感じ脳に信号を伝え、脳が熱さを認識するから熱さが存在するのです。 脳が死んでしまえば、熱さは認識できません。 例えば、全身麻酔をかけて手術をしても、痛みを感じないようなものです。安心してください。 .
- ratesu
- ベストアンサー率13% (16/122)
ない。あったらその辺魂だらけになる。
お礼
ない。あったらその辺魂だらけになる。断言できるとは凄いですね。ありがとうございます。
魂=脳・心臓から構築 だから、火葬場で処理されている時は、感覚が無いで、痛いも熱いも無し。 言わば「無」かな。 死体という物体が、焼けるだけだもん。 宗教的によっては、色々な見解が有るでしょ。 議論展開、爆発。 私は宗教観を持っているが、死に関しては、現実的な物質問題としか考えない。 疑問に思うのは、病院の霊安室のドアの前が、何故あんなに空気が暗く、重いのかが不思議ですね。空気が冷たいのは、空調設備の関係だから。 ついでに、怖い感じは無い。 病院の他の場所は、普通なのに。 こちらに、不思議さを抱いた方が、面白いと思う、個人的には。 死は、怖くない。それに至るまでが、嫌だな。 病気 事故 事件 に関して。 安楽死的な老衰が出来る人間は、どのくらいなのかな。 専門的な話でなく、失礼しました。
お礼
ありがとうございます。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
頭に電極がついたものをつけて、そこに微弱の電気を流すと、流した箇所により、いろんな感覚が起こります。 例えばある箇所を刺激すると、「冷たい。手に氷が乗っている」という認識になります。 本人は氷を持っていません。 快適な温度の部屋にいます。 でも、脳の箇所によって、そう感じてしまうんです。 幸福も苦痛も脳内物質によって起る。 ですので、麻薬などで一時的に幸福感を高めることができる。 戦争で科学兵器を使うようになり、急速に脳科学が進歩してきた。 科学薬品によりどの脳の部分にダメージを受けると、精神病患者と同じように認識がズレるのか、解ってき出したわけです。 皮肉なことに、科学兵器を使ったことで、精神障害もわかりだしてきた。 私は以前睡眠麻痺に毎日なっていた。 癖になっていて、寝しなに必ず起る。 全身にビリビリ電気が流れている感覚で、非常~に痛い。 ぜーぜーと金縛りをひっぺがそうともがき苦しんだのに、覚醒したら、息切れも何もしてない。 手がしびれて痛いと感じていたのに、覚醒した直後は、どっこも痛くないんです。 悪夢を見ると、起きたとき ぜーぜー言うでしょうけど、私の麻痺後は、どこもなんともない。 脳が見せる幻。 しかし、その世界にいるときは、痛みはリアルだとしか思えないわけです。 脳が起きている率80%、体が寝ている率100%の時に起る。 そういうわけで、この世の全ては脳が作り出す幻覚です。 しかし、我々はそれを現実だと思うしかないんです。 で、そのこの世を作り出している脳が完全停止した場合、この世は消滅します。 脳の消滅と同時に、この世が消えるんです。 あなたの脳が作り出すこの世が消えたとしても、他の人の作り出すこの世は存在し続けます。 でも、あなたの全ては消えるので、もう「死んだらどうなるのだろう」という恐怖も起りえません。 だって起こす源が機能を停止したので、製造をもはやできないから。 で、人によっては、死んだ後も冷凍保存してもらい、何千年後かに科学の発達の時に、脳を再起動してもらおうとしているわけです。 で、ある人は脳の障害により、40年前から記憶することができなくなったんですね。 脳障害が起る前までの記憶はちゃんとある。 でも、それ以降の記憶は無いので、どんなに日にちがたとうと、今は40年前なんです。 で、病院から帰って家をみて「あの緑のカーテンはどうしたのだ。気に入っていたのに」って言うわけです。 緑のカーテンは40年前にかけられていたもの。 「昨日まではあったのに」って。 脳の一部が壊れると、記憶できなくなり、毎日が今日で、寝て明日になっても今日なんです。 でもほとんどの機能が停止すると、本能だけになってしまう。 ブードゥー教ってありますよね。 一度麻痺させて、脳停止状態にさせて、その後蘇らせる。 脳停止させられたので、かなり脳にダメージが起っているわけです。 その後に再生されても、ダメージを受けた部分はもう機能しないので、動物のような吼えたり、食べ物を口をつけて食べたり、生肉を食べたりするわけです。 本人には脳停止する前の記憶は無いので、麻薬をもられて仮死状態にさせられ、その後再生されて、家畜や奴隷として人に利用されているって認識をもてないんです。 で、医療ではこの麻薬を研究して、人間の脳を一旦仮死状態にしたあと、手術をしてダメージなく再生できないかって取り組みが行われているんです。 そういうわけで、脳に大きなダメージをおっていない状態の人を、手術をするため仮死状態にできないか とブードゥ教の祭司が使う麻薬を研究したがっているのですが、手に入らない。 祭司も商売上がったりなので、研究者には絶対に教えないわけです。 というわけで、、、脳にダメージが無い状態が今のあなたで、脳にダメージが起って見える世界も、あなたにとっての唯一の現実。 その世界を作る脳がメルトダウンしたら、世界は消えるってことは確かですので、ある意味 ご安心を。 私は脳が半端に壊れる方が怖いです。 言語がわからなくなり、目の前にあるもののほとんどが一体なんなのかわからなくなり、家族もわからなくなり、食べ物すらわからなくなる。 ホームレスの人に多いですよね。 でも 本人にとってはそのわからないだらけの世界が唯一の世界なんですよね。
お礼
ありがとうございます。難しいですね。
- kanakendo
- ベストアンサー率0% (0/0)
それは、簡単なことです。 魂があるか、ないかなんて、本当は誰にもわからない。 だって、死んでみなきゃわかりませんもん^^ 霊とかお化けとか、宇宙人とかいないという否定はしません。 だって、私たちが生まれていますし、現在も進化中ですしね^^ 霊とかのことを伝えているのは、もちろん人間です>実際本人<霊など>と話しをしているかたはいませんもん^^ 世の中には、霊能力者などたくさんいますが、実際彼らがみている世界と私たちが見ている世界とは ぜんぜん別空間ではないでしょうか?霊能力をもっている人は、ただ私たちにそのことを伝えているだけです^^ お化けなんどは、全部怖がられていますよね、そんなのはお化けたちにとって迷惑かもしれませんんし^^ 時代はどんどん進んでいます。だから、死んでからどうとかなど、生きているものにとっては、未知の世界ですよ^^ このことを、あなたがどうとっているかは、あなたしだいです^^人は考えながら動く動物です! だから、今は、生きている者として誠意いっぱい生きてください。 死んだあとなんて、いくらでも考えられますよ^^
お礼
ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
最新の量子論的世界像において、有限な存在性は観測される事によって生じています。 ゆえに、あなたが死ねば宇宙も消滅します。 全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限につめ込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限のゼリーの中に、仮想的な認識体の断面を切ると、その認識体にとって、相補的不確定性を伴う存在による宇宙が見えます。 無の不確定性無限の潜在たる「認識可能性(=自我仮説性)」に対する、相補的対発生としての「時空仮説性」。 全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)補完なのです。 宇宙(認識)とは、無の潜在としての認識可能性の“断面”の移動=自我仮説に対する、相補的な時空仮説として生じています。 そこにおいて、宇宙の膨張=不確定性(h)の収束という、異なる本質=異なる認識可能性を一つの軸(時系列化)にするところに時間性は依拠しており、過去の自分も、空間的広がりにおける他人も同じです。 宇宙は、別の認識可能性を自己同一視するという、ある種の精神異常として発生し、実は他人も共通であるという愛に向かって進むと言えます。 宇宙が認識に於いて生じるならば、生きるのは楽しむためです。 その「楽しみ」の原因をつくる欲求は、遺伝子によって発生し、また我々の生きた結果が、淘汰として遺伝子に刻まれていきます。 もし、楽しくなくてイヤイヤ生きるならば、その個体は活性が落ちて淘汰され、その状況でもイヤじゃない個体が増殖するだけです。 それは短絡的な快楽主義を意味するのではなく、生きるのに反したり、認識を低下させる欲求は、人生を通算した充足量の総和の最大化に反します。 人の「生き方」には、認識性の発達(より深い認識的な目標の達成による充実感)や社会生命性の発達(社会的行動=助け合いによる喜びor社会的価値(お金や出世)の取得による喜び)といった、二次的な要因があり、人生を通算した“喜びの最大化”には、工夫が必要になります(短絡的な快楽主義には帰結しない)。 宇宙の発生に、異なる認識可能性(h)の時系列化が必要であったように、その補完(時空仮説に対する無の射影)としての存在性に於ける認識可能性の他我化=愛こそが、生理的な認識性の最大化とその充足の最大化を両立させるのです。 生物は、遺伝子において細胞分裂の回数を制限し、自ら寿命を限定しています。 世代交代しなければ、進化しないからです。 死ぬことは、世代交代を意味し、その有性生殖において、愛は生じ、親や子供は存在するのです。 人は往々にして不死に幻想を抱きますが、人も愛さず、子供もいない、そんな社会が魅力的には思えません。 逆に、愛があれば、自己の肉体の限界を超えて、意志(=精神的充足)は広がり、生きる目的である“精神的充足量の最大化”は、生きること自体によって、最大限に充たされます。
お礼
ありがとうございます。ですがごめんなさい専門家の言葉は難しすぎて理解できません・・・簡単に理解できるように答えて頂けたらよかったのですが・・・
お礼
ありがとうございます。