• 締切済み

美しさの向こうへ

某TVCMで、 この文句を聞いて以来ずっと気にかかっていました。 「美しさの向こうへ」 美しさの向こうには、一体何があるのか。 考えてみると、どうも”死”しか浮かびません。 美しさの向こうへ(行く、のでしょうか。それもまた疑問ですが)、という文句で、私は三島由紀夫を思い起こさずにはいられません。 『金閣寺』だとか、『奔馬』だとか、『春の雪』だとか・・・。 美しさの、その先にいってしまえば そこには一体何があるというのでしょうか。 思いつめて、そのCMを流している会社に問い合わせてみようかしらとも思ったのですが、なんだか悪戯と勘違いされるのではないかと思い、また勇気もなく思いとどまっております。 皆様は、美しさの向こう、には何があるとお考えですか?

みんなの回答

回答No.15

 kumatarouuさん。mmkyさんの回答を勘違いしてました。早合点です。  mmkyさんの意見はもしかしたらこの世の美と言うものを、見方によってはうそっぽく(醜悪)なるのではというものでした。  あの世の事を醜悪とはいっていないですね。  ごめんなさい(汗)。

回答No.14

 コマーシャルの狙いは意外性で人目を引こうとしたもの。‘何か’は読み手にお任せ、と言ったところのようですが。  その意外性に引かれて、こんなにたくさん回答が出されました。コマーシャルの製作者は、かげでほくそ笑んでいるかもしれません。  現実として捉えるだけなら、「美しさの向こう」と言うとその物の後ろ、なんて単純に思ってしまいますが、「美」そのものは現実の物を通して在ると実感できます。  でもその美を堪能しても、なんとはなしに残る満たされない心を感じる事があります。  そんな時、本当は自分は何を求めているんだろうと、思うのです。  人は心で「想う」ことができます。  「美しさの向こう」・・・まさに心象風景ですね。    美しさを死と結びつけたり、三島由紀夫が出てきたり、あの世の世界を想ったり、そこから美を感じるかと思えば、醜悪と言う見方もあって、人それぞれ。  思わずポチポチしちゃいました。  文学好きの人には「死」のイメージが説得力があるかも。  でも私は楽天家なので明るいほうをイメージしたい。                   独り言(不景気だなぁ)      

  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.13

こんにちは~kumatarouuさん おもしろい質問ですねぇ 美しさの向こう、と聞いて、 連想したのは、彼岸、彼方、この世のものならぬ美しさ でした。 美しさの向こう、の美しさを、 あくまでこの世の美しさ、物理的な、見た目的な美しさだと解釈しました。 向こう、というのは、別のレベル、別の世界、と解釈しました。 なので、この世のものではない美しさ。 死後の、幽界の美しさ。 幽界にも太陽や月があり、オーロラのような光を放っていると、 本で読んだことがあります。 目には見えない、精神的な美しさも、入るかもしれません。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.12

皆様は、美しさの向こう、には何があるとお考えですか? 美しさの向こうには更なる美しさがあるのですね。さらにその先にはえにも言えない美しさがあり、その先には永遠の美の根源そのものがある。ということですね。 美の先に醜悪や死があると考えるのは、最初の美がうその美というこでしょうね。美という名の醜悪かな。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.11

美しさの向こうへ、とかけて、派閥解消と解く。 その心は、空っぽの内容で人の気持ちを引きつけるとが出来る。 あるいは、 その心は、一つは金儲けのキャッチフレーズ、もう一つは選挙のキャッチフレーズ。 こんな類いの、言葉に雰囲気はあるんだけど内容の空っぽなCMは銀行のCMに多いですね。

回答No.10

もともと「美しさ」という言葉(記号)自体、ないし「美しさ」を含むモノに触れた(見た)途端に、(知らず知らずのうちに)「向こう側」といった感覚が生み出されています。 たとえば、「花」を見た途端、その「花」の方向へ「美しさ」という思い(意識)が向けられますが、その「思い」は、その「花」が一瞬のうちに消え去ったとしても、心象として残り続けるものです。「美しさ」という思い・想いは、実物を通り越して、すでに向こう側へと伸びています。 その「向こう」には、実際には「なにもない」としてもです。 「思い・想い」が先にあって、対象・相手・モノ・記号が、たまたまその間に割り込んできているのかも知れません。

noname#98440
noname#98440
回答No.9

死の美学 それは 武士道に有る「殉死」 精神の死を伴う死 普通の一般の死は、美学とは言わない。 「死体という物体」だけだから。

  • ota58
  • ベストアンサー率27% (219/796)
回答No.8

美しさの向こうへ → 虹の架け橋 → 透明(ダイヤモンド)な世界 → 膨らむ希望 → 生 パンドラの函を想像します。 死へは結びつきません。

  • mintarou1
  • ベストアンサー率30% (22/73)
回答No.7

. そんなに真剣に考える問題ではないですよ! CMは、視聴者の記憶に残るように、哲学的な装いで、意味ありげな言葉を言っているだけだから、回答なんかありませんよ。 (哲学的に考えても、意味が不明) ここでの、回答者の答えがバラバラなのが、その証拠ですよ。 .

kumatarouu
質問者

お礼

貴重なご指摘ありがとうございました。 私も、意味深なフレーズに眉目美麗な方を起用し企業の一、商品販売促進にしかないとはわかってはいるのですが どうにも、どうでも良いようなことが酷く昔から気になる質でして今回もそれにあたります。 美しさに向こうなんてあるのか? から出発して、あるとすればそれは何か、を考えはじめ結構たちます。それしか、考えられなくなるようでどこにでもその問題がつきまとうので大変困り果て、質問させていただいたのです。 皆様の種々のご意見は、私にとって大変有り難いもので、勿論あなた様のご指摘にも全くその通りだと肯んずるほかありません。 どうか、愚見だと思い目を瞑ってやってください。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.6

美しさの向こうに? やすらぎ 幸福がある ってCMではいいたいんじゃないか と。 三島由紀夫は死を美しいと感じた人だったと思えます。 活動をする生が苦痛なら、不活動の死は憧れの世界 ってことじゃないかと。 三島由紀夫は生の向こうに死があると思っていた。 死は既にあるのに、自分の中にあるとは気づかなかった。 青い鳥と同じで、三島由紀夫にとって死は外にあるもの、生の後にしかないもの だった。 芥川龍之介の作品に地獄変ってあるんですね。 狂気の美しさを描いた作品。 で、地獄の黙示録って映画があり、確か三島由紀夫の思想に影響を受けて作られた映画だったと思う。 金枝篇を題材にした作品で、逃亡奴隷は金の枝を得ることと、森の祭司を殺すことで、奴隷ではなく王になる みたいな言い伝えがイタリア地方にあるそうなんですね。 で、地獄の黙示録では、戦争でバンバン打ち合いをしている中、その隊の指揮官みたいな人が、「いい涙 サーフィンをしよう」って言うんです。 すぐそこにタマが飛んできているさなか、サーフィンをしたいってやっちゃうんです。 しかも本気で。 森の王を倒すところも、映像美で描かれている。 もともとアメリカの優秀な指揮官だったが、現地の王になった人がいて、この人を倒すとかそういう指令を受けた人が、ミイラ取りがミイラになり、新しい森の王になっちゃうんです。 狂気。 戦場のメリークリスマスも狂気を題材にしていると思う。 智恵抄、狂ってしまった智恵子が美しく描かれています。 限度を超えると狂気という場所に逃亡するのか。 そこはやすらぎの場なのか? どうなんでしょうね。 私が思う限り、混乱の世界で無秩序で、わからないことが理性があったときよりうんと多く、苦しい世界だと思えます。 ただ、「君 3回まわってワンといいたまえ」とか会議中に言ったりする本人は、自分が狂気に犯されているとは気づくはずもなく、「今なんて言いました?」って聞かれても、なにかおかしなことでもいったのかなぁ?としか思わないんじゃないか と。 あっちの世界に行ってしまった人の中には、そこにやすらぎを感じる人もいるかもしれない。 限度ってものがあり、過剰も不足も苦しいものだと個人的には思います。 例えば、おいしいケーキがあっても、食べ過ぎたら苦しいでしょ? で、満腹中枢が壊れてしまった人は、どこまでも食べちゃうわけです。 食べたって認識が無い人も「俺に飯を食わせない気か」って食後の後に言う。 食べたばかりなので、出しても食べれないかというと、食べちゃう。 で、食べ過ぎてうえーーとゲロしちゃう。 その出したものすら食べようとする。 過剰は美しいとは言えない。 が、あっちの世界に生きながら行ってしまった人は、なんてことないわけです。 例えばスリムなことはいいが、やせすぎって気持ち悪いですよね。 骸骨みたいで。 でも 本人は痩せている=いいことって思っていて、やせすぎるってのは よりいいことだと思って、がりがりの体で、半そで短パンで外を出歩くわけです。 (これ 実際テレビで見たんですけどね) で、その彼女を見た人は「げげ」って顔をするんです。 彼女は人にうらやましがられると思って やせすぎの自分の体を誇示しようと、肌を露出させて外出するのですが、反応は自分が期待したものではなくて、「どうして?????」と理解できない様子だった。 狂気 あっちの世界に行ってしまった人。 本人にとってはやせすぎは 太るのは罪という観点から、やせている状態を幸福だと思っているわけですが、何事もほどほどってことが美しい状態なので、逆に醜いんですが、本人は自分が醜いとはわからない。 だって壊れているから。 というわけで、何事も超越したら醜くなるんです。 イザナミもそうだったでしょ?

kumatarouu
質問者

お礼

貴重なご意見ありがとうございました。 狂気、という言葉、大変考えさせられました。 芥川の『地獄変』は読んだことがなく、手に取ろうかとおもいます。 私も、ストレスから過食嘔吐のような状態になったことがあり大変自分でも困っていました。その時の精神状態は、果たしてこちら側だったかあちら側であったかはわかりません。 すでにあちら側にいたのかも・・・ 美しさ、というのはともすれば絶妙な絶対的均衡の上に成り立っているのかもしれませんね。

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