>「烏羽玉(うばたま)のわが黒髪は白川の、みつはくむまで老いにけるかな」(大和物語)という檜垣(ひがき)ノ嫗(おうな)の歌物語
というのがあるそうですが、この「烏羽玉(うばたま)のわが黒髪は白川の、みつはくむまで老いにけるかな」はどのように解釈すればいいでしょうか。
檜垣の御の歌については大和物語と後撰集の二つに載っていますが、一部内容が違っています。(大和物語の原本の違いがあるかもしれませんが、私のもっている大和物語は以下のような和歌です)
大和物語の歌は、
ぬばたまのわが黒髪はしらかはのみつはくむまでなりにけるかな
後撰集は、
年経ればわが黒髪も白川のみづはくむまで老いにけるかな
です。見た目は多少の違いですが、大和物語は後程説明しますが、趣旨は昔に変わって落ちぶれた姿(を見せたくないので会えない)を描き、後撰集は老いを嘆げいているが趣旨です。
大和物語の歌を解釈する上のポイントは、
枕詞の「ぬばたまの」=「黒」にかかる枕詞。原則的に意味を持たない。
掛詞(1)「しらかはの」=「白川」=川の名前
=「白」=白髪・髪が白くなった
(2)「みつはくむ」=「水は汲む」=水を汲む。
=非常に年をとる・長生きする・年取って腰がかがむの意味の「みつ(づ)はくむ」
*「みつはくむ」の表記は「みづはくむ」となっているものがあります。
「なり」の前の省略 =この和歌の数行前に、「いといみじうなりにけり。」とあり、省略部分は「いといみじう(たいそうひどい・意訳で、たいそうおちぶれている)」と考えられます。その理由は、この「いといみじうなりにけり。」は前の「いとらうありをかしくて、世を経けるものになむありける。」に対応し、以前は知識が深く、風流に世の中を過ごしてきたが、(純友の乱で家を焼け出され)たいそうおちぶれているという話の筋からです。また、そのため小野好古が会いたいと言うのに対し、断りを和歌でしたという話からです。
この文章の読み所は以前と現在の対比、落ちぶれた姿を見せたくない気持ちを和歌に託し、その和歌が縁語などの技巧を使ったものである事などです。
文法の「にける」=過去の助動詞「ぬ」の連用形の「に」に、過去の助動詞「けり」の連体形の「ける」。
終助詞「かな」=感動・詠嘆を表す。~だなあ。~ものだなあ。
さて、掛詞の訳し方を除けば訳はそれほど難しいものではありません。下手な訳ですが。
私の黒髪は白くなり、白川の水を「みずはくむ」(老いかがまって)汲むまでに(落ちぶれた姿に)なってしまったことだな。(だから貴方にお会いする事はできません。)