- 締切済み
【至急】歌物語作成について
【至急】 百人一首56番 あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな を使って歌物語を作るという課題が出たのですが、どのような物語の流れにしたら良いでしょうか。詳しく書いていただけるとありがたいです。 よろしくお願いします!
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- fujic-1990
- ベストアンサー率55% (4505/8062)
> 歌物語を作るという課題 歌物語を作れ、というのであれば和泉式部の生涯から離れてもいいのでしょ?だったら、いかようにも展開できるのではないでしょうか。 例えば「昔、一人の女ありけり」とかで始めて、さまざまな男から言い寄られて妻となったが、初恋の男が忘れられず(ジュディオングの歌じゃないですが、女は海)夫に抱かれていても初恋の男を想ってすごした。 その女が病に倒れ、明日をも知れぬ状態になって初めて1首の歌を詠んだのだった、それが 「あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」 だった・・・ とか。
- gunsin
- ベストアンサー率32% (417/1292)
「あらざらむ」現代語で訳すると「生きていないでしょう」です。 恋多き女・和泉式部が死期を悟って、詠んで、男に送った和歌と 言われてます。 娘の小式部に先立たれた後の和泉式部の動静は仏教に帰依していた らしい、位しかは解ってません。 こんな、和歌を貰ったら大概の男は、すっ飛んで行くのでは。 最初の夫とは、正式には離婚していない中で、天皇の二人の皇子と 逢瀬を交わし、二度目の夫は単身赴任中です。 誰を想って詠んだのかは、今となっては和泉式部にしか解らない。 ---------------------------------------------------------------------------- 「いかれ女」と称したと「大鏡」に藤原道長の言葉が記されてます。 その、道長が娘の中宮・彰子の家庭教師に付けてます、道長も、 一目置く和歌詠み、なのですね。 今、現在、解っているだけでも1200首有ります。 大伴家持、紀貫之は200首以下です、飛び出た和歌詠みだったのです。 選者の藤原定家が57番目に、ライバルの紫式部の和歌を並べたのは、 100年後に於いて、バチバチのライバル関係に合った事を知ってて の事なのか興味深い処です。