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俳句を作る宿題が出たのですが…

秋の俳句を作るということで、 路地の間を 涼風の行く 九月かな というのを作りました。 自分では、「涼風の行く」と「行く九月(九月の終わり)」のように、 「行く」に二つの意味を付けたつもりなのですが、 これは俳句的に考えて如何なものなのでしょうか。 あと、この他にも俳句を作る上でアドバイスなどありますでしょうか。

みんなの回答

  • east-with
  • ベストアンサー率41% (85/207)
回答No.4

 私の下手俳句を語ってみたいと思うます。 路地裏に 秋風吹けば 落ち葉散る 銀杏の 臭き路地を 歩く我 紅葉散り 夕焼け見るや 空の色 焚き火をし 焼き芋焼くや 食べまくり  そんなの、下手ですよね。  そういう素人の私のアドバイス。  まず、五七五が基本です。しかし、字余りや字不足でも構いません。典型的な事を考えるべきではない。型破りしろ。  季語を入れる。季語としては季節の言葉を入れる。月を入れるのもいいですね。  後は、高度だけど(切れと続き)という考えがある。一句ごとの切れと、次の句は前の切れ目から連想する。つまり、起承転結に考える。

  • petertalk
  • ベストアンサー率69% (156/225)
回答No.3

「路地の間を 涼風の行く 九月かな」 最初にこの句を拝見しての感想ですが、 「かな」が切れ字なので、九月に感動の中心が感じられます。 また、「涼風」は晩夏、初秋の季語なので、 陽射しのさえぎられる路地には、もう涼しい風が混じっている もう九月になったのだなあ、と解釈した上で、いい句だと思いました。 それならば、「を」を「は」に代えて、 「路地裏」にしたほうがいいように思いましたが。 「路地裏は 涼風の行く 九月かな」 しかし、その後の説明にあるように、 「行く」が九月にもかかっているとは読めないし、 九月が去った今を詠むのなら、次に訪れるのは、 長雨のあとの澄んだ空、水、空気であって、 九月が去って涼風というのもまた違う気がします。 「人の澄む 路地を涼風 行く九月」 「澄む」は秋の季語なのですが、その知識抜きにそう感じたのなら、 素晴らしい感性をお持ちだと思います。 とはいえ、技巧に縛られて、感動の中心が散らばってしまったようです。 雨に洗い流された澄んだ空気と人の心、生活感のある路地、 爽やかな涼しい風、去りゆく九月、と、個々の題材の主張が強く、 一枚の絵に収まりきれない印象があります。 何に感動し、何を詠いたいのでしょうか。 それをもう少し素直に伝えればいいと思うのですが。 私の感覚ですが、雨があがって澄むことと、 夏が終わって涼しいことが特にケンカしているようなので、「涼」を抜いて 「人の澄む 路地裏の風 行く九月」 または、雨が空気を洗い流して澄んでいるのだから、 その名残として、水滴を置けば更にまとまると思います。 二句に切れ字を置いたので、三句の体言止めをやめて、 「人の澄む 路地の雫や 九月 去く」

回答No.2

  くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る(子規) の、針と春雨がともに「やはらか」だというのと同じテクニックですね。 たしか結構有名な俳句にもあったと思うのですが、今、思い出せません。  なかなか味のある表現技巧で、よろしいのではないでしょうか。  ただし、俳句(に限りませんが)は感動や発見を詠むものですから、一般的にですが、涼風は秋の終わりよりは初めの方がふさわしいと存じます。   秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(古今集・169 藤原敏行) という感じですね。……暑い日が続くが、気がつくと、もう秋はひそかにやってきている。  御句だと、九月の終わりとは感じてもらえない可能性があります。となると、せっかくの表現技巧も気づかれないままになってしまいます。  まあ、温暖化の進む昨今ですから、分かってくれる人もいるかもしれませんが。  結句を「行く九月」とするのも1つの手かなと思います。  路地は元々狭いものですから「の間を」も冗長に感じます。 「○○○○○路地を涼風行く九月」 「路地を○○××(×)涼風(の)行く九月」 というような形で、○○とかの箇所に九月の終わりを感じさせるような言葉を(季重なりになる可能性大ですが)入れてみるとか。  

sikiso
質問者

お礼

アドバイスをありがとうございます。本当に助かりました。 俳句とは奥が深いものだと改めて感じました。

sikiso
質問者

補足

人の澄む(誤変換ではありません) 路地を涼風 行く九月 というのはどうでしょうか…若干無理があるし、文章的にもめちゃくちゃかもしれませんが…

回答No.1

いいんでないですか^^ ひとつポイントをいうと、俳句の技術の要諦の一つは、季語の扱いです。 九月という季語以外に季節を指定する語を使用するのはダサイ^^。しかし、それをする場合は、九月以外の春、夏、冬の季語を入れる。これによって、九月という語句を入れる必然性が生まれ、ダサくなくなります。 しかし、結局は感性と想像力が俳句の命ですからねえ^^ そういう意味では、少しテクに走ろうという気持が見えるものの、感性の良い句だと関心いたしました。また新作をみせてください^^

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