《オタク》は 他者性を避けているか
次の文章の説く実態について 解説やら批判やらをおしえてください。具体的な感覚や実態が分からないのです。
▲ (大澤真幸:不可能性の時代) ~~~~~~~~~~~~~~~
オタクに関する相反するイメージに遭遇する。一方で われわれは オタクは 対人関係が苦手で 他者との接触を回避する傾向がある ということを知っている。だが 他方で オタクには 明らかに他者を求める欲求がある。オタクの多くがインターネットの熱心なユーザーである。彼らは しばしば同人誌を作り さらにはコミケのような同人誌の即売会を組織したり それに参加したりする。・・・
このような二重性を どのように統一的に解釈すればよいのか? だが この点に関しては 解釈は容易であるように思える。・・・
オタクが交際を求める他者は 一般に 同じ《趣味》を共有するオタク仲間である。つまり それは 類似性――それぞれのオタクを他の人々から分かつ弁別的な特性に関する類似性――を 本質とする他者である。ところで 他者の他者たる所以は 差異性にこそある。他者についての経験は 何であれ 差異をめぐる経験である。そうであるとすれば オタクが欲求している他者とは 他者性を抜き取った他者である。
(III オタクという謎 pp.109-110)
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☆ 一点 論点のようなものも示します。
▲ 他者の他者たる所以は 差異性にこそある。
☆ のは まったく真実だと考えますが そもそも ひとは 他者の内に 自分とのその差異を捉えることが出来るでしょうか? 捉えられるのは 自分の中にも かすかにでもある性格などに限られませんか?
差異としての他者を捉えることが出来れば このような《オタク》の交際における片寄りは 批判すべきだということになりますが 出来なければ オタクでなくても そのような交際における片寄りは ひとにとって 一般的だとも考えられます。
この点についても よかったら ご回答の筆を伸ばしてみてください。
お礼
時間を費やすことをいとわない暇人の成せる業という事で。