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石田三成の正義は正しかったのでしょうか?
関ヶ原での敗戦後、石田三成が罪人として家康に捕らえられてからも尚確信をもって言っていた「正義は我にあり」という言葉は果たして正しかったのでしょうか? 徳川に支配されては日本は乱れ、滅ぶという三成の思いとは裏腹に、江戸幕府は安泰のまま200年以上も続きました。家康も戦国大名としては長寿を全うし、満たされたまま死んでいます。 三成が義の人間であればある程不憫に思えてくるのは私だけでしょうか?昨日大河ドラマ「天地人」を見ていて思わずそう考えてしまいました。
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福島正則の晩年は寂しいものでした。江戸城の普請では加藤清正に愚痴を言っているという逸話もありますし、自分の城を無断改築したとして(届出はしていた)一気に五十万石を没収され四万五千石にまで減らされます。加藤清正も豊臣の恩顧と徳川との関係に悩んでいたとされます。三成を誤解していたと悟ったかどうかはわかりませんが、徳川についたことを後悔したことはあったかもしれません。 徳川家康はかなりの苦労人です。幼い頃に今川家に人質に出される途中に家臣の裏切りにあい織田家で人質生活をおくり、さらに今川家へ送られ人質生活をおくります。桶狭間の戦いで今川義元が討たれると混乱に乗じて独立、信長と同盟を結びます。信長により長男信康が武田と通じたという嫌疑をかけられ切腹を命じられます。家康は信長との同盟関係を守るため信康を切腹させます。野戦の名人の家康でも三方ヶ原の戦いや本能寺の変で命を落としかねない状況を経験しています。 秀吉の死後、家康に対抗できるほどの格を持った人間は前田利家だけでした。利家の死後は家康に対抗できる人間はいません。政治、軍事、領地、経験で家康より優れた武将は居らず、数多くの修羅場をくぐった家康からしたらどんな手を使っても天下を狙いにいく覚悟があったと思われます。関が原の戦いで西軍についた豊臣恩顧の立花宗茂は大阪城での交戦を主張します。立花宗茂は戦後領地を没収されますが、その後大名として復活させています。家康は大坂夏の陣で大坂方の木村重成の首実検で重成の頭髪に香が焚き込んである事に、死んでも醜い姿をさらさないとする重成の心意気を賞賛したという逸話もあります。武将としての器も大きいと思います。 歴史上の人物、陣営を正義という概念で判断するのは無理があると思います。戦国時代の話はいろいろな話があり、全く内容が逆の話もあるので特にそう思います。ドラマにいたっては正義と悪に分類しなくては成り立ちにくいので、そのことを差し引いて見たほうが良いと思います。 昔、兄と信長、秀吉、家康のうち誰が最もすごいか(政治やらなんやら)という事を話し合った時、家康が最もすごいと言う結果になりました。ではなぜ家康は人気が無いのかという事に関しては私たち兄弟のなかでは苦労人で地味だからということになりました(ひどい話だ)。
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- tanuki4u
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ドラマとしては 「三成の義は正しい」 としか解釈のしようがありません。 なぜなら、主人公、直江=正しい、直江の正しさは、同盟者・友人の選び方でも発揮される、よって、三成は正しい。 という簡単な論理でドラマは出来ていますから。 これ以上は、歴史のカテゴリーではなく、文学のカテゴリーかと。
お礼
そうですね。質問も歴史というより、三成が正義として、果たして正義は報われるかどうか?という少し哲学的な観点から問わせていただきました。 今度DVDで徳川家康側の視点で描かれたドラマを観てみようと思います。
- kimari14
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原作は忠義、それが視聴率というものに化ければ正義というものになりました。では当時は、ひとり躍起になっての権力闘争でしょう。(正義)という、そんな観念が桃山のどこにあったのでしょうか。戦国の風情はまだ家康には色濃く残ってたということでしょうし。油断と隙を見せた者が滅びる、その原理は、わずかばかりの豊臣統治の平穏に頼りない若者?のなかに三成だけがダブーを押して、トップ官僚たる権益の保持に、横領へまったをかけたということでしょう。この大河に出てくる、 愛も義も正義も、そのつたない脚本がさらに笑いを生んで、家こそ大事 、その存続のために、幾多の裏切りをも本音では許される空間を、歴史大河なんですから、今と違生んだというところを見せないと、大河史上最低になるんではないかとしんぱいしています。ツマブキ君やオグリ君だけに頼っちゃあんまりなさけないね。
- Roman0
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「正義が正しい」って、意味不明なんですが。 「義」の観点からして正しい主張なり方針だから、「正義」なんです。 石田光成にとっては正しいに決まっています。 日本が乱れ、滅ぶ、というのは社会秩序や文化・国体に対する未来予測であって、正義とは別の話。
- no009
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>「正義は我にあり」という言葉は果たして正しかったのでしょうか? 石田三成の意思をついで、家康を討つ人物が現れていたら、正しかったでしょう。しかし、現われませんでしたので、正しくは無いでしょう。 豊臣秀吉も、主君であった織田信長の子供達に行った仕打ちを考えたら、自分の死後、同様の仕打ちをされるとの認識があたのでしょうね。 因果応報です。秀吉がやったことを、家康がやったまでです。 対処の仕方が悪かったので、最後の最後は異なりますが。 三成がいたからこそ、家康は天下が取れた、と思います。家康も三成に感謝していたかもしれません。
お礼
なるほど。ご回答ありがとうございます。 しかし因果応報であれば家康も同じ目にあわなければアンフェアなのでは? ドラマでも家康が三成に別れの挨拶をする場面がありましたが、確かにいろんな意味が含まれているようでしたね。
- aefgtgh000
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昨日の「天地人」を見逃している(最近見ていない)ので石田三成の正義についてはわかりませんが、石田三成についての思うことを書きます。 石田三成が五奉行筆頭で豊臣政権の数多くの施策に関与していることを考えて優秀な能吏であった事は間違いありません。彼自身は大将になれるような器はありませんが、行政官僚としては良きにしろ悪きにしろふさわしい性格かつ特徴を備えていると思います。この時代、優秀な能吏でのし上がっただけでは尊敬されません。戦国時代に合戦を生き抜いてきた人から見れば合戦で目立った功績の無い三成が権力を振るう事に反感を持つのも不思議ではありません。そこら辺が秀吉子飼いの武断派と対立することにつながるのかもしれません。三成の人格を否定する話は多くありますが彼が処理した仕事の関係上、やっかみを食らわざるを得ない状況であった事が原因であったと思います。島左近や大谷吉継との話を見れば三成が人望が全く無かったというわけではなさそうです。 秀吉死後、家康が天下を奪う野心を持っていたのは明白です。秀吉子飼いの武将、加藤清正や福島正則は家康と縁戚関係を結びます。本来、豊臣氏を守るべき立場であるはずが家康と手を結ぶことを考えると三成に比べ加藤や福島のほうが奸臣に見えます。この頃、三成の味方にはまだ前田利家がいましたが、利家死後、前田家は家康の圧力に屈し切り崩されます。前田家の次は上杉であり、豊臣方の大名が切り崩されていけばそのうち徳川が天下を取るのは明白です。三成が自己保身を図るならそのままおとなしくしていればいいだけですが、彼は挙兵しました。 三成が起こした関が原の戦いで豊臣家は力を落とし、その後の大坂の役で豊臣方につく大名がいなかったことを考えると豊臣家の滅亡を早めたと言えるかもしれません。しかし、関が原の戦いで小早川秀秋が裏切るまではかなりの接戦であったことを見ればあながち挙兵が間違いであったとも思えません。加藤清正や福島正則が「三成憎し」で東軍についた事は彼らの考えがどうであれ結果的に豊臣の勢力を落としたともいえます。 関が原の後、加藤清正や福島正則が家康と秀頼の対面を調えたといっても豊臣家を救ったわけではなく、豊臣家が滅亡するのを尻目に助けもせず徳川に従った結果加藤、福島両家が後に改易されているところを見ると、三成のほうが豊臣家のために良く尽くしているし、行動も一貫性があります。豊臣家のためという点では三成自身の行動は全く正しいと思えます。江戸時代の支配の道具として教え込まれた朱子学の忠義ではなく自分自身の中から出た忠義であるという事も評価してよいのではないでしょうか。
お礼
非常にご丁寧なご回答ありがとうございました。 とても参考になりました。ドラマの中では福島正則は三成の死後、三成のことを誤解していたことを悟り、かなり後悔していましたが、果たしてこれは事実なのでしょうかねえ? 三成が忠義を重んじる人間であったということが多くの人の見方であるようですが、そうすると尚更家康には天罰が下っても良かったのでは?と思います。やはり現実はドライなものなのでしょうか?
- Kiriyama-taicho
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「義」「正義」の言葉の解釈によるのではないですか? 三成は主君から与えられた恩恵に対する忠義を全うしたというつもりで 「正義」だと言っているのだとしたらそれは正しいでしょう。是か否かは 別問題としても秀吉の遺言は秀頼を関白に据えるまで奉仕してくれという ことでしたから。ただこの時代はまだ朱子学の教えは普及していなくて 下克上のさなかですから、亡き主君に尽くして身を滅ぼすのは愚の行い だったかもしれませんね。その辺の時代考証をした上での台詞かなぁ。
お礼
三成も是非を問わないとは言っています。ただドラマを見た限りでは、三成の「義」が世に言う「正義」と同義であると思いましたが、単純過ぎますかね? なんとなく「徳川家の繁栄」=「悪が栄えた」ように感じて切なくなりました、、、。
- PENPENMAKKY
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> 三成が義の人間であればある程不憫に思えてくる 何を以ってそう解釈できるのでしょうか? 石田三成は、自己の保身と出世の為には讒言もすれば成果の横取りもやっています。権力欲も強い典型的な天下り好き小役人です。それらに対する怒りに火を吹いたのが関ヶ原です。何故、小早川・福島・黒田・細川が徳川に味方をしたのか考え直してください。 現代の日本は石田や直江のような小役人官僚が増えすぎたため、国が機能不全となりました。歴史は繰り返すのです。石田にとって自己の行動は正義でしょう。腐った現代の公務員も正義と思ってます。ですが、社会は彼らの正義通りではありません。
お礼
徳川派と石田派で意見は別れるところだとは思いますが、少なくともドラマの中での石田三成の描かれ方は独善的な小役人ではありませんでした。大谷吉継との酒の席での逸話など、実際にも人情溢れる人間であったという見方が強いようです。 もしドラマの様に三成が「善」、徳川が「悪」であったなら(単純なものさしで申し訳ないですが)、歴史はなんと残酷なのでしょうか、、、?
- hurasuke
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義というなら話はわかりますが、正義というのはとても難しい言葉だと思いますよ。関が原の戦いに限らず、世界中のどんな戦争も正義と正義が戦っているんです。正義と悪の戦いというのは存在しません。 三成のような人物が現代の日本にも必要と私は思います。少なくとも彼は、官僚として小汚い部分がなく、下の人間にはとても厚い人だったことが知られていますし、尊敬もしています。 ただ同時に、正しくても人望がなければ、やりたいことは実行させてもらえないという負の教訓も私にくれました。 最初から理想論や建前を馬鹿にするような人間は私は嫌いですから、理想にこだわった三成の生き方に共感できるところもたくさんあります。ただ、そう生きられない人間に対して、理想をただぶつけるだけでは、人は付いてこないのも事実です。あくまで理想にはこだわり、しかし人の心にも気遣いのできるような、そんな人間になりたいと思います。これは三成のおかげでもあります。 徳川に支配されては日本は滅ぶ・・・滅んだではないですか?徳川幕府は200年安泰と言いますが、日本の平和の為の幕府ではなく、徳川が天下を収める為の幕府だったと思いますよ。だからこそ、徳川にとっての脅威になる外国との接触を避ける為にも鎖国を徹底し、その結果外国に恫喝されて開国するような無様な明治を迎えたんです。そういう土壌があればこそ、大日本帝国のような愚かな戦争をして敗北するんですから・・・私はどう考えても徳川家を賞賛できませんね。
お礼
確かに戦争に善悪は無いのかもしれません。 しかし三成が家康を倒していたら日本はどうなっていたのでしょうね? もっと良い国になっていたのでしょうか?それともやっぱり家康が勝って正解だったのでしょうか? いずれにしても家康は戦国武将の中で人生を一人だけ謳歌したという印象を持ってしまいましたが、ひねくれ過ぎでしょうか?
結果としては豊臣家の滅亡を招くきっかけを作ったわけですから、 家臣としては間違っていたということになるのでしょう。 道理は正しくても負ければ賊軍ということです。
お礼
回答ありがとうございます。 でもそれって世の中「力」が全てってことになりませんか? 現代にも通ずると思いますが、必ずしも勝てば官軍という訳でもないような気がしますが、、、どうでしょう?
お礼
再びご丁寧なご回答まことにありがとうございます。 aefgtgh000さんは本当に歴史のお好きな方なんですね。感服いたします。確かにドラマは史実とは離して考えなくてはならないのかも知れませんね。政治的結果からみれば、信長、秀吉、家康の中では一番家康が成功したということになるのでしょう。だからといって家康が一番偉大な武将であったとは限らないと思いますが、、、。 三成や兼継がその後の歴史を見て何とつぶやいているか聞いてみたいです。