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白洲次郎の新日鉄広畑売却
ドラマ「白洲次郎」の中で役人の白洲次郎が外貨獲得のため新日鉄・広畑製鉄所を英国資本に売却しようとするくだりがありました。 1)なぜ政治家の白洲が民間企業の設備を売却云々を画策できたのか? 2)売却予定額はいくらくらいを予定していたのでしょうか(一説に一億円=現在の価値で一千億ほどということですがあまりに少なすぎるのでは?)。 3)売却の目的(貿易立国のための原資(外貨)調達だとか食料事情改善だということですが基幹産業軽視ではそもそも輸出するものを創れませんね?それくらいわからない白洲ではないと思うのですが) よろしくお願いします。
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1948年12月 貿易庁に出仕 1949年12月 日本に返還 1950年6月 朝鮮戦争勃発 広畑の返還 http://www.nsc.co.jp/hirohata/about/history.html 白洲が動いたのは、たぶん1949年の間の話のようです。(ドラマ中では、返還が予定みたいなニュアンスでしたので) 当時のGHQの方針は日本は「軽工業立国」で、戦艦を造るための元になる重工業は禁じ手。 GHQの意図が分かりすぎる位置にいた白洲なので、日本が持っていても逆に「痛くない腹を探られる」と考えてもおかしくないようと思います。 朝鮮戦争後の状況の変化で、重化学工業立国になったという、後日の知識を持って、軽工業重視政策(とでも言うのかな?)の白洲を断罪しても可哀想な気がする。
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- tanuki4u
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1 広畑は特殊会社日本製鉄の所有 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A3%BD%E9%90%B5 たぶん、役所の管轄では商工省で、白洲は貿易庁長官なので、商工省の高級官僚としてそれなりの権限があったのでしょう。 3 鉄は過剰だと思われていたんじゃないかな? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%B8%87%E7%94%B0%E5%B0%9A%E7%99%BB 千葉製鋼所のぺんぺん草の話は有名だが、1951年に開設だから同時代。 鉄なんて、戦艦を造るために必要なものであり、戦艦を造る必要が無い以上、無用の長物。 だいたい、イギリス資本に売っても、装置を持って行くわけでないから、イギリス資本広畑製作所が、広畑で鉄を作り続けるって事じゃないかな?
お礼
回答ありがとうございます。なるほど完全な民間会社ではなかったのですね。 もちろん外資に売りとばしても短期的には工場も従業員も影響ないでしょうが・・・白洲は日本経済(重工業)の復興をあまり予想(期待)してなかったんでしょうかね?それ相応の金額で売却できたのなら話もわかるのですが。
お礼
なるほど、GHQのメッセンジャーでもあった白洲としてはそれなりに売却の理由もあったのですね。有名なマッカーサーを叱りつけたエピソードが史実ではない可能性がある、とのことで白洲を胡散臭く思えてきたのですが彼なりに日本のために働いていたのかも。