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三四郎の?な文
三四郎の一にこういう文章があります。 ―――――――――――――― すると男が、こう言った。 「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。 「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓(ひいき)の引き倒しになるばかりだ」 この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯(ひきょう)であったと悟った。 ―――――――――――――――――――― でお尋ねしたいのが (1)なぜ 日本のためを思ったって贔屓(ひいき)の引き倒しになるばかりだ なのですか? (2)なぜ 三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした のか? (3)なぜ 自分は非常に卑怯(ひきょう)であったと悟った のか? ぜんぜん判りません。 40年間考えつづけていますが未だに?です。 どなたか,考えをお聞かせください。
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こんにちは。 全くの私見ですが、 > (1)なぜ日本のためを思ったって贔屓(ひいき)の引き倒しになるばかりだなのですか? 日清、日露と勝ち進んでいる日本を、三四郎は 「今後益々発展する」と言っていますが、男は 「亡びるね」と言っています。 男は、富士山以外に自慢するもののないこの国を 愛国心にかられて弁護しても(贔屓しても) この先、発展するとは限らない、冷静に将来を見据えなければならない と、当時、がむしゃらに軍国主義へと突き進んでいく日本を 憂いての発言だと思います。そしてそれは先見の明があったと 言えましょう。 > (2)なぜ三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがしたのか? 熊本には、このような大胆な発言をする者はいなかった。 こんな事を言ったら、なぐられるか、国賊扱いさえされかねない、 三四郎は、まさに、狭い田舎を出て、思いも寄らないこうした意見の聞ける、 広い世界に出てきてことを実感したのではないでしょうか。 > 3)なぜ自分は非常に卑怯(ひきょう)であったと悟ったのか? 三四郎は、熊本においては、おそらく非常に卓越した頭脳の持ち主で、 自信もあり、それ故、大志を抱いて、東京に勉学に来る訳ですが、 すでにその途上で、このように熊本では得られない、 想定外の思想と出会い、見聞を深める体験をする。 いかに自分は、熊本では少ない知識と狭い了見で世渡りしてきたものか、 それではフェアじゃない(卑怯な態度)だったと、 自ら悟った、ということではないでしょうか。 参考までに書いてみました。
お礼
ありがとうございます。 (1)ですが,そうすると「日本より頭の中のほうが広いでしょう」は 日本を弁護しているわけですか。つまり,日本より広いのは頭の中 だけだと,あわよくば日本は地上でもっとも広いとまで云っている わけですね。 →納得です。 (2)つまり,男の言うことをある程度理屈があるなと三四郎は 思ったのですね。成る程。 (3)ちょっと,この点が解りかねます。そういう時,私なら自己卑下 などしませんから。だって,「古里の連中もそうだったもん」 でケリ。でも潔癖な学生ならそうかもしれませんね。まあ,私が 卑しいのでしょう。反省! 40年来の疑問に光明が差してきました。