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三四郎について
三四郎に登場する美禰子の真意はどんなものであったのか自己の推測でも良いんでわかる方がいたら教えてください。
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美禰子の真意・・・・それは当の美禰子にとっても分らなかったのではないでしょうか。 たしか「三四郎」は明治34年に書かれた作品だったと思います。その当時の大方の日本女性の生き方を考えた時、美禰子はとても西欧的で先進的な、いわば「飛んでいる」女性だったはずです。 家柄も良く、裕福な家庭の娘であり、美貌に加えて知性も豊か、そして性格も闊達な美禰子・・・・これだけの資質を備えた女性であれば、自然、自分と言うものを外にアピールしたいでしょう。 事実、彼女は文中で廣田や野々宮、原口といった当時にあっては大変知的な層の男性たちといささかも劣ることなく伍し、三四郎や与次郎などには一段上から自分の魅力をあますところなく見せつけています。 そうした女性であれば、悪く言えば八方美人的ですが、自分のコケットと知性でもって男性たちの賛美を求めるのも無理ないことでしょう。 こんな女性像は、とりもなおさず漱石が自分の目で見たヨーロッパの女性の姿、これこそ新しい時代の新しい女性像としてまぶしい思いで感じたのでしょう。そして、そんな女性像を筆で表したかったのではないでしょうか。 しかし、その一方で、美禰子は旧弊な日本女性の性質もそのまま持ち合わせています。単に驕慢でドライな八方美人ではなく、そこにはもっと古めかしい感情が垣間見えます。こんなところに、美禰子自身とて割り切ることができない何かが生じているように思います。 そうした、一方で西欧的な女性の魅力を持ちながらも、古来の因習から逃れられることも出来ない典型的な日本女性でもある美禰子、だからこそ、ある面では若い三四郎に幾分かの心を残しながらも、「われは我が愆を知る。わが罪は常にわが前にあり」と言い残してごく平凡な結婚を受け入れてしまいます。そんな美禰子、彼女こそストレイシープ(迷える仔羊)だったのではないでしょうか。 これはわたくしの勝手で浅薄な感想です。前に「三四郎」についてのご質問にお答えしたことがありますので、合わせてご覧頂きたいです。