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どうすれば心の声が聞こえるのか?

私はずっと感情こそが自分自身である。 そう思ってきました。 しかし、人間関係がうまくいかなかったり、病気になったりと いろいろなことがあり、 感情は感情であり、自分自身ではない。 そう思うようになりました。 そうはいっても、時々は感情優先になり、自分を見失いそうになります。 今、自分を見失いそうになる、と書きましたが、 実際には、自分がどんなものか全く見えてはいません。 感情優先になるときは、その感情が自分自身ではないと心のどこかで無意識に判断しているのです。 しかし、自分の心の中の声を聞くことができません。 自分がどの方向へ進めばいいのかわからないのです。 そこで質問です。 例えばマザーテレサは、心の声を聞いて、スラムで奉仕するようになったそうです。 そこまで高尚でなくても、 心の声ってどうやって聞くのでしょうか? どうすれば自分の姿を見ることができるのでしょうか? また、この心の声というのは、超自我になるのでしょうか?

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  • youchan37
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回答No.1

膝を擦りむいた。消毒等適切な処置をすれば、後は放置するだけです。 やがてかさぶたになり、かさぶたも取れ、治る。 放置した。放置したのだから、プラマイゼロのままではないか? 違いますよね。プラマイゼロではなく、プラスに向かっていくのです。 …自然治癒力と言ってしまえばそれまでですが。 誰の心にも仏がいると云います。 例えば、悪いことをした。隠しごとをした。 誰かを傷つけたのに、自分は悪くないと、フタをした。 すると、心の奥底に痛みを感じるはずです。ソワソワしたような落ち着かない何かがうごめく。 何かが、帳尻を合わせようとしている。自動修正しようとしている。 …性善説的と言ってしまえばそれまでですが。 でもそういうものがきっと、「心の声」なんじゃないでしょうか。

noname#128382
質問者

お礼

仰ることはなんとなくですが、理解できます。 ただ、この場合はなんというのでしょうか。 人は何のために生まれてきたのか? それがわかるようになるためには、どんな心理状態になればいいのか? ということなのです。 心の声について、参考になりました。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (8)

  • youchan37
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回答No.9

レスありがとうございます。 なるほど。私はマザー・テレサの心の声を想像したのです。 きっとそれは性善説に基づくものではなかったか、と。 しかし貴方の悩みは、違う質のもののようです。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5082752.html http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5165628.html これらが役に立つかも知れません。 「悟りを求めなくなった時、悟ることができる」のです。 きっと「人は何のために生まれてきたのか?」という答えを探すのを止め、 ただひたすら今と一体となって一生懸命生きれば、 その答えを実感することができるのだと思います。 或いは又、貴方はきっと、ニヒリズムに陥っているのだと。 そう捉えるのも良いかも知れません。 ニヒリズムはニーチェで終わったらしいですよ(笑)。 貴方もなるべく早く、終わりになさった方が宜しいと思います。 もしかしたらですが、ニヒリズムについては、 加藤 諦三 著 "行動してみることで人生は開ける" という本が役に立つかも知れません。 又、「人は何のために生まれてきたのか」について論理的な回答があるとすれば、 加藤 諦三 著 "運命のうけいれ方" にそれが書いてあると。 私などは今そう思って生きています。 これ以上はきっと禅問答になってしまいそうです。 もうこれ以上説明する知恵は私には無いようです。

noname#128382
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かにそう捉えるのもいいのかもしれません。 生まれてきた意味を瞬間に捉えるとして、 その瞬間瞬間がなんのために存在するかは、現在の自分にしか判断できないのかもしれません。 現実を見ると、声は確かに聞こえるようです。

  • gungnir7
  • ベストアンサー率43% (1124/2579)
回答No.8

>心の声を聞くことは超常現象の部類に入ってしまうのでしょうか? これははっきりと超常現象の部類に入ります。 俗にいうESP能力の一つですが、予知能力より難しいものになります。 ただ、時として心の声が聞こえるときはあります。 多分、どなたも一度や二度は経験していると思います。 訓練していない人がそんな幸運に遭う確率は一生に数回でしょう。 潜在意識について知りたいのならこちらがお奨めです。 私の知っている書籍の中では一番いいできだと思います。 http://www.papy.co.jp/act/books/1-6851/ >毎日よく笑っていますよ。 それは良かったですね。マイナスの思考は消していくのが良い結果を生みます。

noname#128382
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 マイナスだなと思ったら、消していくことにします。

  • OKWaveGT5
  • ベストアンサー率35% (93/262)
回答No.7

感情的な自分も、冷静な自分も、悔やむ自分、悩む自分 全部本当の自分です。 心の声は遠くにはありません。 いつも聞いてるはずです。

noname#128382
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私も昔はそう思っていました。 たぶん私の捉え方と回答者様の捉え方が違うのだと思います。 昔の私は、感情的に怒る自分が主体だったので、自分は殺人鬼のように凶暴なだと思っていました。 けれど回答者様の言いたいことは、むしろ全体的で、 殺人鬼のように凶暴な心があることを冷静に認め、 それを癒す自分と共存させることのように思います。 今は私もこちら側からみることが出来ています。

noname#100496
noname#100496
回答No.6

人の心は、脳の自我と、神の心の無我が、合体して出来ています。しかし現代人は、脳の思考である自我が、自分だと錯覚しています。しかし本当の自分は、脳の思考が休んだ時、出現する無我の神の心です。人は脳では無く、神の子だからです。この世界は、不調和世界の脳と、調和世界の神、自然が、出会うために作られた、シュミレーションの、仮の世界です。だから本当の世界、宇宙の大元、完全調和の世界は、高次元の別のところにあります。脳が思考してる時は、脳が人と自然、神との交流を、遮断するので、ストレスになります。脳が休むと、人と自然の情緒、神の心が、交流するので、心が癒されます。神、自然の心との交流、ヒラメキを良くするためには、脳の思考を休む事が必要です。幸い日本には、脳を休める方法が、たくさんあります。仏教の座禅があります。また日本の伝統文化は、脳を休めて、自然の情緒、心の癒しを目的にしています。雅楽、文楽、能、狂言、歌舞伎、日舞、演歌、民謡、茶道、短歌、俳句、浮世絵、落語など、その他、編み物、職人芸など手先を使うと、脳が休みます。工夫してみるといいです。

noname#128382
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 回答者様は脳を使うとその周辺が刺激されて、潜在意識が働き心の声が聞こえるという考え方ではなく、 脳を休めることによって、ヒラメキが出てくるというのですね。 私は神という存在は実はそんなに信じていないのです。 だって神様がいるのなら、人間をパーフェクトな存在に変身させるのも一瞬でできるだろうし、 なにも何億年もかけて人間なんていうややこしい存在を作らなくてもいいと思うんです。 私は、神様は最初はいたけど、もうとっくに滅びちゃってて、 あとは生きているものの力だけでなんとかしなきゃいけない世界になっちゃたって、そう思う方がより自然な気がしています。 だからこそ自分が生まれてきた意味が知りたいし、心の声が聞きたいって思うんです。

回答No.5

>心の声ってどうやって聞くのでしょうか? >どうすれば自分の姿を見ることができるのでしょうか? 何にもこだわらない状態で、覚醒していて、 静かな場所で目を閉じると、心の声を聞き、 心の風景をリアルに観ることができます。 自分の姿を見ることはありません。 >また、この心の声というのは、超自我になるのでしょうか? いわゆる超自我ではなく、遥かに個性的です。

noname#128382
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 最初、自分の心を想像したとき、 緑色の深い穴をのぞき込む自分の子供と自分しか思い浮かびませんでした。周囲は真っ暗で何も見えませんでした。 周りを想像することがとても怖かったのです。 最近、全く知らない人と話し込む機会がありました。 他人と話をすることは、少し恐怖でした。 その恐怖感は自分の心を想像する恐怖感と全く同じでした。 今では、自分の心の周辺をイメージすることも怖くなくなりました。 ちなみに雑草が生えているようなイメージですね。 しかし、面白い経験をすることが出来ました。

noname#194289
noname#194289
回答No.4

すこしずれるかもしれませんが、自分というもののイメージとして私はバランスシートの繰越金のようなものを考えます。つまり帳尻を合わせるために必要なもので承認された予算案のように決まっているものではないということです。ですから御質問をこのたとえに合わせてみるとわれわれにとって自分というものはどんぶり勘定で手元に残ったお金のようなもので、繰越金まで年度初めに決めてしまう予算案のようなものではないということだろうと思います。自分というものはその程度にに変転極まりないものだろうと思います。唯どんぶり勘定というのはそれほどいい加減では成り立たないことも確かなことです。むしろ無責任な予算案を作ることなどよりよほど難しいものだろうと思います。、

noname#128382
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 昔、とても尊敬する人にこんなことを言われました。 「土俵にこそ金が落ちている。この言葉は、今の自分の置かれた分野でする仕事でこそ稼ぐことが出来ることだと思っている。」と その言葉を思い出しました。 その言葉を胸に、がんばってきました。 けれどもなんというのでしょうか。 少し、わがままな気持ちが出てきてしまったのかもしれませんね。

  • gungnir7
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回答No.3

世界史を勉強していればフロイトとかユングという人物を習ったことでしょう。 フロイトは人間の思考は脳内で生産される産物だとしました。 いわゆる幽霊とかの超常現象を脳内に押し込めてしまったのです。 対してユングは人類が太古から積み上げてきた集合的無意識があると説きました。 勿論、ユングのこの仮説はオカルトであり、現在科学では否定されています。 超心理学では集合無意識はあまり使わず、マイヤースの提唱した潜在意識を使います。 あなたの質問はユング的な発想であり、超自我はフロイトのフレームになるので違います。 この解説をする前に是非ともこちらを知って頂きたいと思います。 http://x51.org/x/05/02/1633.php これは早い話が世界中の科学者がオカルト分野に挑戦をしているということです。 30年程前では嘲笑された集合無意識ですが、結局現代科学で研究対象になってしまったという事例です。 あなたの心の声とかいうのも実在すると考えて差し支えありません。 では本題に入りますが、今のあなたでは、まず聞くことができません。 あなたの脳内意識の下には、あなた自身の潜在意識(無意識)がありますが、 ここにサイキック・マッスとよばれるマイナスの潜在意識が多数存在しているからです。 会社で嫌なことがあったとか、そういった些細なもの全てが蓄積されます。 明るい方は大声で笑うとかでうまく発散していきますが、 感情優先の方はそういうものの制御がだいたい下手ですから溜まる一方です。 まずはくよくよしないなど性格改善を心がけることです。 まあ、よければヨーガとか気功の本でも目を通してみて下さい。 どの本にも瞑想の重要性について書かれています。これが秘訣です。 あなたが忙しければなかなか瞑想の時間は得られないでしょう。 しかし、あなたの心が葛藤している以上、遅かれ早かれ瞑想は開始することになると思います。 心の声を聞くといった超常現象を体得したいのならば、ある程度時間をかけねばなりません。 それは取り敢えず置いて、まずは心の平安を磨かれると良いでしょう。

noname#128382
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私が最初に心理学の本を読んだのは、ユングについての本でしたので、ユング的な発想になってしまったのだと思います。 申し訳ないのですが、URLはフィルタがかかっていて見れそうもありません。また、解除したときにゆっくり拝見します。 心の声を聞くことは超常現象の部類に入ってしまうのでしょうか? 一番身近であるはずの自分の本心を知ることが、どうしてこんなに難しいのでしょう? とても不思議です。 ちなみに最近、笑顔についてのセミナーに行ってきました。 毎日よく笑っていますよ。

  • hastack
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回答No.2

こんばんは 一般論として、感情優先は別に悪いことではないと思います。 ただ、それが過剰になって、自分の本当の気持ちさえ見失いそうになるのですね。 これも一般論ですが、信仰を別とすれば、身体の違和感にヒントがあるように思います。 (マザーテレサは心を通して神の声を聞いたのではないでしょうか) 超自我は心の声とは呼ばないと思います。幼い頃からの親の言動や関係から身についてしまった倫理的な態度のことと思います。 あなたの心は超自我とは別のところにあるはずです。 拍子抜けのような回答かもしれませんが、誰と話した後、下痢をした、とか、友達何人かと楽しく話した後でひどく疲れたとか、ありませんか? そういうものが身体を借りて「心」をあなたに伝えているように思います。それが味覚かもしれないし、嗅覚かもしれないし、全身的な違和感かもしれません。そういうことが起きたとき、落ち着いて「心の声」かすかな声を聞くことができるかもしれません。 誰しもストレスで病気になりますが、そのストレスに悲鳴をあげている「あなたの心」を愛しむ気持ちは持ちにくいですか?あなたの代わりに、あなたの能力の限界を知って、警鐘をならしてくれていると考えられませんか。 自分の心に逆らって無理をすると、どこかで破綻します。 逆に、これまでの失敗から学ぶことも可能だと思いますよ。

noname#128382
質問者

お礼

超自我については、どうやら勘違いをしていたようです。 >誰と話した後、下痢をした、とか、友達何人かと楽しく話した後でひどく疲れたとか、ありませんか? これは、子供のころよくありました。 最近は無理をしないのでないのですが。 心に逆らって無理をするということがあるならば、 心に逆らわず無理をする(これは無理ではない?)ということもあるのでしょうか? 非常に参考になりました。 回答ありがとうございました。

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