- ベストアンサー
何ができて、何ができて、何ができたら、何ができるのか。という簡潔な説明が少ない理由について
抽象的な質問で申し訳ありません。 答えがでないところかもしれませんが、 それでもご意見としてお伺いできればと思い質問させてください。 「何ができて、何ができて、何ができたら、何ができるのか。という簡潔な説明が少ない理由について」 教えていただきたいです。 よく挙がる質問でもあるのですが 例えばPC関係の ほにゃららの設定をするには 「○○を設定してくだださい。 次に ○○を設定してください」 といった風な、何だか「イメージがわかない指示だけのようなもの」が多いのは一体何故でしょうか? 「まず、何ができて、何ができて、何ができたら、何ができるのか。」という「専門知識が無い人でも流れをイメージできる説明」が無い(少ない)のですが、これは何故ゆえに起こるものなのでしょうか? (そういうことがあるから「噛み砕いた教科書やサイトの類が必要になってくる」)のだと予想されますし・・・ 個人的ではあるのですが 「何ができて、何ができて、何ができたら、何ができるのか。」的な前提の話があるだけで、相手の理解度も変わってくると想うのですが。 ふと想ったのですが、私も含め、人って「簡潔に説明するのが苦手」なのではないでしょうか?(苦手なところがある?) 国会会議なんかでも 「第三者が聞いても、ちょっと何いってるのかわけのわからない言葉」が多いですし「説明しているような感じはするものの、言っていることがさっぱりだったりと・・・」 またそうしてしまうべくあるのは 「人の精神の性質上」なのでしょうか? それとも「単に土地の風習によるもの」なのでしょうか? 「普段の生活から、別に特別、誰かに分かってもらわなくてもいい」的なメンタルが反映された結果、そういう状態が起こっているのかな?ということをふと思った訳です。 もとより「相手に分かってもらおうとすることを前提としていないからこそ、相手もまた分らないものができてしまう(相手がわからない説明ができてしまう)」のではないのだろうかと。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
>何ができて、何ができて、何ができたら、何ができるのか。という簡潔な説明 >「○○を設定してくだださい。 次に ○○を設定してください 両方の対立させておられる文章を何度も読み比べて、質問者様の仰る論点を推理しているのですが、お手上げです。それで論点らしい一般的にわかりにくいといわれるコンピューターソフトのマニュアルの問題について私見を述べてみようと思います。 確かに、私もワードとかいくつかのキャドなどの市販のぶあつい説明書を何冊も買って利用しようとし、結局投げてしまった経験があります。 今では、そういったマニュアルは買わないことにしています。 多くの回答者様が述べておられるように、それらはかなり基本のわかった人間向けの特殊な専門書として考えればいいのだろうと今は思っています。コンピュータの基礎がわかった一握りの人間向けということなのでしょう。もちろん作成者がそう意識していたかどうかわかりませんが、初歩のひとに理解させるようなマニュアルを書く力量が彼らにはないのだろうと思えるふしがあります。 われわれがパソコンをなんとか操作できるようになったのは、文書を読んで習得したのではなく、わかった人間について、具体的に最初の操作から教わった結果だと認識しています。言葉を介してではなく、具体的なものの動きを視覚で理解したのだと思います。 言葉の効力は話したり書いたりする立場の人が文章を作り、読んで理解する立場の人がその文章を読んでそれを自分なりに理解することで成り立ちます。そういったお互いのコミュニケーションが成り立つためにはある程度の共通の言葉の知識と文章構成力と文章理解力が必要ですが、現状ではこのお互いの力量が弱ってきているということが仰る問題点の原因のひとつになっているのだろうと思います。そのために街のパソコン塾が繁盛するのでしょう。 根本的な原因のひとつとして、日本人特有の言葉の軽視、腹芸の重視ということがあげられます。もともと日本人はきちっとことばでものごとをしっかり説明し、受け止める習慣がなかったのではないかと思えるふしがあります。 国会での無意味な言葉のやりとりは上の原因もあるでしょうが、また別の問題かもしれません。ここでは論じません。 >ふと想ったのですが、私も含め、人って「簡潔に説明するのが苦手」なのではないでしょうか?(苦手なところがある?) 簡潔でなくとも、わかりやすく説明できればいいのです。これはあたっていると思います。 >人の精神の性質上」なのでしょうか? そういうことはないと思います。 >「単に土地の風習によるもの」なのでしょうか? 日本ではある程度そういうことが言えると思います。 >普段の生活から、別に特別、誰かに分かってもらわなくてもいい」的なメンタルが反映された結果、そういう状態が起こっているのかな? そんあことはないでしょう。 最近私はどこもの携帯電話を買いましたが、これについてきた大部の取り扱い説明書は、結構わかりやすいですよ。例外のないものはないという例の一つだと思います。 ご参考まで。
その他の回答 (5)
- ttnnkkyy
- ベストアンサー率26% (255/979)
「相手に分かってもらおうとする」と、どうしても専門用語を多用することになります。 その方が誤解されにくいですし、簡潔に表現できます。 わからないのは自覚できますが、誤解だと発覚せずに問題になり得ます。 表現を簡潔に出来れば、その分本題に注力できます。説明に掛けられる時間は有限です。 >>「イメージがわかない指示だけのようなもの」 猫を知らない人が「猫の様な」と説明されて理解できると思いますか? そして、あなたは猫とは何かを説明できますか? 猫の説明だけでも困難なのに、PC関係を全く知らない人には10も20も未知の概念を説明する事になります。 そんな手間と誤解のリスクを避けて猫を使わずに説明しようとすると、あなたの言う「イメージがわかない」説明になります。 >>国会会議なんかでも あれはそもそも「相手に分かってもらおうとすることを前提としていない」物です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 すると、全体像を掴むか。詳細を掴むかというところですよね。 専門用語で「Aイメージをパッケージ化したもの」であれば、後はその言葉を繋げていくだけで、簡潔に状況が説明できる。 噛み砕いた用語で「Bイメージを相手に少しずつ付与していくもの」であれば、その分時間がかかるというわけですね。 その点を考えると、共通的な理解の近道としては、 適切に「B」を起こして、適切に「A」を発生できたらいいのかもしれませんね。 >国会について 雑談ではあるのですが。 断片的に「こういうのをしているっぽい」という感じはするのですが、 「国会の動きによって、国がどう動いているのかの簡潔伝達」がなされていないためなのか、いまいち何やってるんだかわからない状態です。 国会が実際に実施していることを、 アニメ風でも何でもいいので、もっと簡潔に周知してもらえるなにかがそのうちあればなと思います。
- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
例えばPC関係の場合などでは分かっている人が説明しているためと思います。簡単にいえば、分からない人が分かるように説明できるようには書いてないからと思います。分かる人が分かるようにしか説明していない気がします。 そばに分からない人を置いて説明してみて、何処が分からないのかを聞きながら説明書を仕上げればよいと思います。私の場合もさっぱり分かりません。一つ躓くと一歩も先には行けなくて困ってしまいます。分かる人にやってもらう以外に手がないと思っています。ただ頭が悪いのかも知れませんが、分からない人のための説明書ではないと感じています。
お礼
「分かる人が分かるようにしか説明していない気がします。」 たしかにここはその通り、な気がしますね。 >そばに分からない人を置いて説明してみて、何処が分からないのかを聞きながら説明書を仕上げればよいと思います。 そうですね。 そういえば昔知人が全然関係の無い第三者の分野の人の視点からみてもらうとまた別の問題が出ていたりする。と聞いたのを思い出しました。 「分からない人のための説明書ではないと感じています。」 ここの部分もそう感じるところがありますね。 どうもありがとうございます。
- Nahnom
- ベストアンサー率7% (49/632)
・回答者がきちんと理解していないと説明するのは難しい。 ・最初から理解させることが目的ではなく困っていることが解決されさえすれば良いと思っている。 ・原因療法ではなく対症療法 ・最初から理解させることが目的ではなく自分の意見を言いたいだけである。 ・きちんと回答するのは面倒だが回答したい気もある。 要するに能力の有無と思いやりの有無だと思います。 簡潔に説明するのが苦手な人は多いと思います。訓練が足りないのだと思います。 理解してもらう工夫が足りないのは説明しなくても理解してくれる人が他にいるからです。 例)時間と労力をかけて親になんか理解してもらわなくても分かってくれる友達がいればわざわざそんなことはしない。 国会の場合は自分が言っていることが間違っていなければ相手の理解は関係ないからでしょう。 最後の一文はそのとおりだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 質問者さんはこの点について纏められた事があられるのでしょうか? 思い返してみるところ、そういった点が実際にところどころありました。 とても参考になります。 >国会の場合は自分が言っていることが間違っていなければ相手の理解は関係ないからでしょう。 この点、責任レベルの問題でしょうか。 どっちに責任が来るか、どっちに負担がかかるか、どうあれば自分の居心地がよくあれるかといった。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
>>「普段の生活から、別に特別、誰かに分かってもらわなくてもいい」的なメンタルが反映された結果、そういう状態が起こっているのかな?ということをふと思った訳です。 そうじゃあないと思いますよ。むしろ私が知っているのだから相手も同じように知っているだろうという誤解から来ているのだと思いますよ。 人はみんな外見が似てますから、ついそう信じてしまうのですね。でも内面、心に焦点を当てると、観ているものも考えていることもまったく違うということに割りと気がつかないんですね。このことに気がつくと質問の仕方も、答え方も違ってくるのですね。 企業のマニュアルつくりも、割とわかる人が書いてますので専門家集団的文章になってるのですね。このあたりに気づかないと一般ユーザからは不評ですね。でも素人ではマニュアル作れないし、兼ね合いが難しいですね。そこで絵をつかってわかりづらい言葉を避ける努力はしてるのですね。教えてでは絵などが使えないから回答は割りと難しくなりますね。
お礼
ありがとうございます。 >むしろ私が知っているのだから相手も同じように知っているだろうという誤解から来ているのだと思いますよ。 たしかに思い返してみると・・・ 「そういった状況があった」とことに気づきました。 >専門家集団的文章になってるのですね。このあたりに気づかないと一般ユーザからは不評ですね。 専門家集団的文章はそうですね、どう表現したらよかったのかと想っていましたが、まさにおっしゃってくださっているような事です。 >そこで絵をつかってわかりづらい言葉を避ける努力はしてるのですね。 ああ。なんとなく繋がってきました。 だから、Web研修的なものでも(よくセキュリティ講習などでは絵で意味が記されているものが多い)というのも、そういった事が関連していたのですね。 だからこそ、回答に「絵」や「動画」が導入されてきたのですね。 言葉だけより、絵で、絵だけよりも動画で、と。 要、視覚的に入ってくる情報の方が 人は吸収しやすいのかもしれないということですね。
補足
>回答に「絵」や「動画」が導入されてきたのですね。× 質問に「画像」や「動画」が導入されてきたのですね。
>例えばPC関係の ほにゃららの設定をするには 長い付き合いになるのならば深い理解をしてもらった方が期間全体としては効率的になるのですが、瞬間的にしか関われない、相手のレベルも分からない状況ではマニュアル的に教えるのが最適と判断するのでしょう。 >国会会議なんかでも 定義済みの専門用語を使って話すと短い表現ですむし誤解も少ないです。 反面、定義を知らない者にとっては意味不明でしょう。 まあ、それを悪用する方もいるでしょうが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >定義済みの専門用語を使って話すと短い表現ですむし誤解も少ないです。 たしかに・・・ そうですね。 短すぎる故の「それを知らない人には非イメージ言語」となってしまうのかもしれませんが。 その言葉を言われただけで することがわかっていたら便利ですよね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 書籍について >それらはかなり基本のわかった人間向けの特殊な専門書として考えればいいのだろうと今は思っています。コンピュータの基礎がわかった一握りの人間向けということなのでしょう。 ありがとうございます。 あれから考えてみたものの、本にも色々なタイプがありますよね。 タイプA ・・・ 基本が分った人向け(専門記述) タイプB ・・・ 基本が分った人向け(噛み砕き版記述) タイプC ・・・ 応用ができるようになった人向け(専門記述) タイプD ・・・ 応用ができるようになった人向け(噛み砕き版記述) 本の種類ごとでも、 専門的なのもあれば、噛み砕かれたものもあったりと。 基本的には基礎とはいえ、専門チックにかかれたものが多い気がしますが、そういう本で理解できない人向けに、噛み砕かれた本、が出ている訳みたいですね。 物事を覚える点について >われわれがパソコンをなんとか操作できるようになったのは、文書を読んで習得したのではなく、わかった人間について、具体的に最初の操作から教わった結果だと認識しています。言葉を介してではなく、具体的なものの動きを視覚で理解したのだと思います。 確かに、ここのところで私も同じ経験があります。 最初に文書を読むだけでは理解できなかったため、誰かに「+αの知識」を頂いてから初めて知識が理解できる。といったような。 分りやすい説明書があることについて 携帯電話の取り扱い説明書は分り易いものなのですね。 (恥ずかしながら余り、携帯の説明書はみたことがありませんでした。参考になります)