島国日本・フィリピンなぜ歴史的に差が付いたのか?
なぜ同じ島国である日本とフィリピンは歴史的に異なる運命を辿ったのでしょうか
もともと日本人っていうのは、氷河期大陸と地続きだった頃に
北はシベリア・樺太、西は中国・朝鮮から移り住んできた人々の子孫で
南からの移民の影響も受けているって言われています
そのため、とかく日中関係においては卑弥呼の「漢委奴國王」印に端を発して
遣隋使・遣唐使・朱印船貿易と再三にわたり大陸の刺激を受け、
また、百済の聖明王を仲介して仏教が伝わったし、今使ってる漢字なんて言わずもがな
統一国家を作る足掛かりとなった律令体制も、あの国のおかげだとか
その後、鉄砲伝来・ペリー来航・アヘン戦争による清の敗北と、
東洋/西洋の狭間でジレンマを抱えながらも
いくつもの障害を乗り越え一等国に登り詰めました
じゃあ、フィリピンは?
香港広州から南東に1000kmほど、台湾から南に500kmほど
何らかの形で当時の先進国、中国文明の影響があってもよさそうなものなのに
フィリピンの歴史を紐解いてみると、紀元前500年~紀元13世紀の間に
マレー系民族が移住してきたことに始まり、
中国(明)や東南アジアとの交易で栄えたけれども、
統一国家はできず、古代ギリシャ宜しく都市国家どまり
そのうち植民地時代にはスペインの餌食に、そのうちアメリカに乗っ取られて
ようやく独立できたのは戦後になってから
それも英語にキリスト教にと、アメリカの影響を強く感じさせるかたちで
ブリテン諸島もローマ帝国の影響を色濃く受けています
では何故、フィリピンは当時の超大国のそばにありながら、
その恩恵を受けられなかったのか?そんなことを疑問に感じ、質問しました