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中国の歴史は何年?

もう25年ほど前でしょうか… 静岡へ兵馬俑の展示を見学に行った頃は 中国3000年の歴史とよく耳にしました。 10年ほど前から、 中国4000年の歴史という言葉も耳にするようになりました。 最近では、二十歳位の中国人実習生から 中国5000年の歴史というのが、中国での常識だと聞きました。 中国は10年ごとに1000年歴史が伸びるのですか? 何の根拠があって1000年ずつ歴史が伸びているのですか? 3500年や4500年はいつ通り過ぎたのですか? 5000年前の中国にはどんな文化があったのですか? 2019年頃には中国6000年の歴史になるのですか? そもそも中華人民共和国は建国60年程度ではないのですか? もう疑問だらけで訳が分かりません。 詳しい方の意見をお聞かせください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • moritan2
  • ベストアンサー率25% (168/670)
回答No.7

No.6です。補足です。 一般的には中国の歴史と言えば統一王朝ができてからということになると思います。夏王朝以前は伝説としても統一王朝は無かったと思います。 中国の歴史で新石器の遺跡まで歴史に入れるのなら日本も縄文時代から歴史に入れなくてはならなくなり、そうなると日本の歴史も6000年(あるいはもっと古い?)と言える事になります。

toya_k
質問者

お礼

ありがとうございます。 今の自分の疑問に一番ニュアンスが近い表現のご意見でした。 やはり5000年という表現は、 夏王朝が定かでなかった頃の4000~5000年という誇張気味な言い回しから、中国人の主張に浸透したのではないかと思うようになってきました。

その他の回答 (11)

  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.12

何やら勘違いしているようなので、追記です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F_(%E4%B8%89%E4%BB%A3) 王朝の記録があり、それ相応の遺跡があるから真実を追求しているのです。 >遺跡の発見でよいなら 本当に迷惑になりますよ。

toya_k
質問者

お礼

その未だ伝説上の王朝である夏王朝(BC2070~BC1600頃)があるから、 中国4000年の歴史という表現がされるようになったのではないか… という事はNo.1~No.2の方のご回答ですでに踏襲しています。 isa-98さんの考察等は何もなく、wikiへのリンクだけが 「歴史や学問の意義を見出した方」の意見であるという事なら残念です…。 問題は、「中国の歴史」の定義であって、 国家なのか民族なのか思想なのか遺跡なのか伝説なのか伝統的に伝わる個別のものなのか、 「どこを起点にするか」なのです。 過去に同じ土地に文化があれば、 それが今の中国人とは別の異民族だとしても、中国の歴史としてカウントするのかどうか、 また、5000年という表現の根拠はどこからきているのかも未だ疑問が残ります。 しかし多くの方のご意見ご回答により、 自分の中である程度の咀嚼ができました。 この場を借りて皆様にお礼申し上げます。 また、多くの方に「ありがとうポイント」をつけたいのですが、 数に限りがあるためご容赦ください。 ご意見ご回答を下さった皆様、本当にありがとうございました。

  • moritan2
  • ベストアンサー率25% (168/670)
回答No.11

遺跡が歴史学的な遺跡なのか考古学的な遺跡なのかを考える場合、歴史学は人間が残した文字による資料を基にして研究するものだと思います。文字による研究ができないのならそれは歴史ではなく考古学的な遺跡です。

toya_k
質問者

お礼

ありがとうございます。 このような学術的な区分の説明は 多くの意見が入り混じる中では大変参考になり、 考えをまとめやすくなりました。

回答No.10

 訂正とお詫び 皇紀2600年が正しいものです。訂正してお詫びいたします。 ちなみに、2万6000年というのは、「鐘紡」のある人が妄言していたネタですw知っている人は知ってるネタですが ついでに、日本人ならばなぜ中国人に教えてあげて下さい。 「紀元前3175億年」から日本の天皇家はありますと!(竹内文書) 竹内文章や義経=チンギスハン仮説が未だに生きている日本に中国を批判する権利があるとは私は思えませんが・・・それはキチガイさんの暴挙ということでw  (竹内文章を)これを本気で叫んでいた日本人が瀋陽にいたのですから    ところで一部誤解している人がいますが、 私の指摘した文化遺跡は、遺跡だから・ではありません。 その遺跡の発掘物が明らかに当時の世界の標準技術とは別水準であることから、文化と呼ばれるだけであって、特異性があることが重要なのです。  日本の遺跡は文化と呼ばれないから別の話です。(三内丸山は別格なので、それを最古文化とする主張はアリだと思います) ちなみに、日本を「ニッポン」「ニホン」のどちらが正しいの? と聞かれたたら 政府見解は、どっちでもいい、と決まったと回答してください。 中国という用語は、通俗化した言葉で何ら正当性はありませんので、あしからず。 「中華」というケースが歴史では多いのは、文献学の影響でしょう。

toya_k
質問者

お礼

ありがとうございます。 「ニッポン」「ニホン」の言い方がどちらでもいいのはニュースで知っています。 それ以外も一通り読ませて頂いた上での感想ですが、 日本人の中でも極めて限定的な底辺の発言と、 中国の最大限の主張を無理やり比較して、 故意に日本を卑下しようとしているような印象を受けます。 多くの在日の方に主張に似ていると思いました。 とはいえ、以前の発言で参考にさせて頂いた部分もありましたので 改めてお礼申し上げます。 ありがとうございました。

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (678/1421)
回答No.9

 漢民族の歴史だと、中華人民共和国とその前に、孫文が立てた中華民国が狭義の上での中国の歴史(97年)でしょうね…。  その前の「清」王朝は、漢民族とは別の民族ですし、それも中国の皇帝でなく、モンゴルの元の皇帝位を継承した物ですし…。 >皇紀2万6000年年という日本の発想よりは、物証があるだけマシという批判を考えれば、あんまり批判できないのも事実です。  一応指摘しておくと、今年は皇紀で2669年ですよ…。  (2600年は過大かもしれませんが、少なくとも千数百年は特定の血族[天皇家]を仰いできた歴史は周辺国の正史が保障しています。)  ちなみに遺跡の発見でよいなら、日本最古の遺跡「金取遺跡」は、9~8万年前です。    http://www14.plala.or.jp/bunarinn/dairyA/encarta/kodaisi/kanatoriiseki/kanatori.html

toya_k
質問者

お礼

ありがとうございます。 国家としての歴史をいえば、100年にも満たないようなものですよね。 そこで、よく数千年の歴史という表現を使う場面を考えたのですが、 料理やお茶やお酒であったり整体や漢方薬などの東方医学であったりと、 現在でも伝統的に受け継がれているような限定的な事柄が多いので、 学問的な歴史の意味合いとは全くの別物の、 俗語、或いは誇張的な宣伝文句と思うようになりました。

  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.8

本当に学ぶつもりがある方に迷惑になり、 史実の錯誤を生みます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%98%9F%E5%A0%86%E9%81%BA%E8%B7%A1 歴史や学問の意義を見出したら、ちゃんと教えます。

toya_k
質問者

補足

世間にこのような表現が浸透しているので 詳しい方の意見を伺いたかったのです。 歴史や学問の意義を見出していない人は、 矛盾や疑問を問うてはいけないのですか? >本当に学ぶつもりがある方に迷惑になり、 >史実の錯誤を生みます。 本当にこう考えているのでしたら、 世間に蔓延している曖昧な表現を野放しにせず、 あなたの知識による明確な回答を1つでも提示して、 史実の錯誤を退けて頂きたいものです。

  • moritan2
  • ベストアンサー率25% (168/670)
回答No.6

夏王朝を実在と考えても4000年です。5000年というのは中国人得意の水増しだと思います。中国5000年の歴史と号す。

回答No.5

 中国の歴史は、中国の定義次第で変わります。 日本の歴史は何年か?という質問の回答で考えればその難しさが分かると思います。 ちなみに、日本という国家概念ができるのは、明治維新ですから国家としての日本の歴史は、200年はありません。  日本という名前を起源として、遣隋使国書を採用する考えもありますが、太陽信仰にすぎないと言える部分もあるので、難しいでしょう。  逆に1776年にはアメリカという国家概念が生まれている米国よりは、 「国家としての歴史」は浅いと言えるでしょう。 しかし、これは「国家」概念であって、民族・地域とは別世界の話です。    中国という概念は地域概念と捉えれば、殷周王朝にはすでに中華思想が見られますので、5000年はオーバーでもありません。(殷はBC18世紀なので4900年くらい)  中国という民族概念を認めれば、その起源はまったく意味不明です。    さて、では中国という概念を「中華」という概念の起源として考えれば、5000年近くあると考えることはできます。  ただし、中国という国名は正式国名ではありませんし、「中国」という用語そのものは、「世界の中心」という意味を認めることになる、という配慮も必要でしょう。  中華も同じく「世界の中心」という意味が含まれますので、取扱りが難しいでしょう。 さて、5000年前の中国文化は、調べればすぐ分かるはずです。 現在考古学的文化という認識が古いものでは http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%B6%E5%8F%A3%E6%96%87%E5%8C%96 BC4000年ですから、中国の歴史は6000年になってしまいます。 問題は、中国とは何か?という命題にありますから、それを考えるのが優先でしょう。 ちなみに、最古の中国文化としてさらに古い遺跡が見つかっています。華南地区の考古学的調査は今後の楽しみですが、ヘタすれば中国の歴史は2万年と伸びることもあるでしょう・・・・  もっとも、皇紀2万6000年年という日本の発想よりは、物証があるだけマシという批判を考えれば、あんまり批判できないのも事実です。

toya_k
質問者

お礼

ありがとうございます。 中国の歴史と呼べる、中国の定義の難しさの説明は大変参考になりました。 少し疑問に思った点を挙げますと、 >中国という概念は地域概念と捉えれば、殷周王朝にはすでに中華思想が見られますので、5000年はオーバーでもありません。(殷はBC18世紀なので4900年くらい) BC18世紀とは、3700~3900年前頃ではないのでしょうか? また新石器時代まで歴史にカウントするのなら、中国以外の国もかなりの歴史を主張できてしまうんじゃないでしょうか…。 >問題は、中国とは何か?という命題 やはりコレに尽きますね。

noname#111034
noname#111034
回答No.4

中国文化の基盤である農耕が始まったころを起点とみなすなら,6,000BCころまでさかのぼれるでしょうから,最大値で8,000年くらいでしょうかね。

toya_k
質問者

お礼

ありがとうございます。 その起点がどこなのかイマイチ不明なのが理解の難しいところなんですよね。

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2313/7949)
回答No.3

四千年を決めたのは、1982年のインスタントラーメンのキャッチコピーで糸井重里がつけました。 当時は三千年が一般的で、中国だけ五千年を主張していたので、あえて偶数の四千年にする意外性で、みんな記憶の残っているのです。 誰も知らないので、言ったもん勝ちなんでしょう。

toya_k
質問者

お礼

ありがとうございます。 歴史の表現の区切りが千年単位だから胡散臭く感じるんですよね。 そうしたCM等での表現が記憶に残りやすく、元々アバウトな話なのでそんなものなのかもしれませんね。

  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.2

調べればすぐにわかると思いますが、 夏王朝が紀元前2070年頃から始まったとされています、 これは伝説の王朝といわれていますが、現代の中国史学会ではほぼ実在したものと見なされています。 二里頭文化は夏の時代に相当する年代だそうです。 こちらご参考に http://www.allchinainfo.com/history/

toya_k
質問者

お礼

ありがとうございます。 サイトも解りやすくまとめてあって参考になりました。 1996年からの「第九期5ヵ年計画」の研究で夏王朝の始まりが紀元前2070~1600頃と確定されたから、 10年ほど前から中国4000年の歴史という表現が浸透してきたというのも頷けました。

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