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江戸時代以前の金品の保管
江戸っ子は宵越しの銭は持たないといいますが、銀行や貸金庫がなかった江戸時代以前は金品をどこに隠したのですか? 地主クラスは蔵でしょうが長屋に住んでいた層は携帯できない分は全部使ってしまったのでしょうか?
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質問の意図がつかみづらいです。 えーとまず江戸時代以前、長屋は少ないです。 江戸時代のように大きな城下町が形成されて町民身分がたくさんいるという構図はあまりありません。 貧しいもの・農民くらいのイメージなのかな? 戦国後期になると足軽長屋等登場しますし、長屋はわずかにあります。ただ基本は大家族なので、主人が携帯できなくても家の軒下あたりにため込んだでしょう。武家奉公人等の独り者の場合、そもそも長屋ではなく主君の屋敷住まいという形になるかと思います。持ち運べないほどの金品は金に変えるしかないですね。 天正八年(1580)米28石5斗が金(小判)1枚との記録があります。1石は約150kg、金に変えれば持ち運べない財産などありません。 一方農村の場合、これは村単位でまとまった米俵に変えて近隣の寺社に預けます。寺社が大きな力を持った時代ですが、その理由は安全な市の開催、避難所、金貸しなどとともに財産を預かることで庶民の暮らしに機能していました。
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- oska2
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>江戸っ子は宵越しの銭は持たないといいます その通りですね。 当時は、日給の日払いでした。 >銀行や貸金庫がなかった江戸時代以前は金品をどこに隠したのですか? 江戸っ子の75%は、長屋に住んでいた様です。 先に書いた通り、日払いですから「貯蓄という概念は低い」のです。 手元にあるのは、数十文でした。 かけ蕎麦が、16文の時代です。 お金が無くても、今の日本人よりも優雅な生活でした。 時々、時代考証を行った真面目な時代劇があります。 地主・大店(老舗)では、質問者さまが考えている通り「蔵」です。 その他の庶民は、床の下若しくは神棚の中でした。 当時は、神仏に対する畏敬の念は強かったのです。 「天地神明にかけて云々」は、嘘をついたら地獄に落ちる!とマジで信じていた時代です。 泥棒も、神棚か盗む事は控えていました。 と言うよりも、(泥棒も)長屋の住人は「金が無い」事を知っています。
- y0702797
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現在ではタンス預金という言葉がありますが、江戸時代以前はタンスのような箱や水瓶のような器にお金を貯め床下などに保管していた人もいましたが、畳は当時長屋には高価な床材で、火事になれば畳を持って逃げるほどでした。 お金が無くなれば畳を質草に入れて工面することもあったように、その日暮らしの住民は質屋を利用していたという文献を読んだことがあります。
- Reynella
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小地主程度では蔵はありません。蔵があるのは江戸では雲切り仁左衛門クラスの(これはフィクションですが)盗賊団に狙われるくらいのお金持ちだけでした。 一般的な商家や地主が使っていたのは「車箪笥」です。そのなの通り、箪笥に車がついているもの。引出しに金や大福帳などがしまわれていました。火事になったら縄をつけて転がして引っ張りだします。「帳場箪笥」と呼ばれるカラクリ付きの引出があって小判だけはここに隠すタイプの物もありました。今でも幾つかの博物館に実物が展示されています。 長屋暮らしの人達は床下収納です。耐火性の強い陶器にお金を入れておきます。持ち出して逃げなくても、大抵は無事に残っていたようですね。
- chie65536(@chie65535)
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畳を上げて床板を外し、地面に掘った穴に埋めてある甕や壺の中にチャリンチャリンと溜め込んでいました。 穴の開いた小銭は穴に紐を通して1本にまとめて、同じように床下に。