- ベストアンサー
世界史の黄巣の乱と唐の滅亡なんですが・・・。
世界史の課題で黄巣の乱と唐の滅亡についてレポートを書かなければいけません。本などを調べてみたのですが、いい情報を見つけられません。インターネットなどで探してみたのですが難しい情報ばかりでまったく作業を開始できません。 締め切りがもうすぐなので本当に困っています。 どのようなことを書けばいいのか教えてもらえないでしょうか?あとできれば世界史が苦手な人でも分かりやすく説明してあるサイトとかレポートに使えそうなサイトを教えてください。お願いします。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
唐は、租庸調という決して軽くない税を導入したために農民から反感を買って滅亡したのでしょうか?しかし最終的な滅亡理由である黄巣の乱は塩の密売員が、氾濫を起こしたと書いてあります。 ↓ 初期唐の制度は、人民の直接支配で成立しています。 税制では租庸調、軍事では府兵制。 直接支配というのは大変でして、中央政府のやる気がなくなると、すぐグダグダ2なる。だもんで、本来国境警備隊であった節度使に権限委譲しました。地方は適当にやってねということ。 その結果、強大になった節度使の一人安禄山が反乱を起こす。 その反乱を押さえるのも、やはり節度使。 乱は治まったが、結果として唐は、全国が節度使という建前上唐の皇帝から任命されますが、実際は地方の独立政権の連合体になります。 直接税金が集められないわけです。 ここまでが、前振りというか、理解の前提。戦国時代の各戦国大名と、足利将軍家を想定すると分かり易い。 で、どうしたかというと、塩と鉄の専売。 ※ 日野富子が、土倉への課税で金を集めたとか、関所が通行税を取る手段って方法と似ています。 生産地が決まっている場所を中央政府がピンポイントで押さえて取れるところから取るというもの。 取りやすいところからとると、脱税でもうけが大きくなる。 で、密売が大もうけできるようになったという構造です。 中央政府としての唐は、安禄山の乱が終結した段階で、なくなっていたというのも、応仁の乱が終結した段階で、足利将軍家が京都の一地方勢力になっていたというのと似ている。
その他の回答 (3)
- cobamax
- ベストアンサー率41% (157/381)
私でしたら、唐の滅亡を下記のようにまとめます 1 玄宗皇帝と楊貴妃 2 安禄山と安史の乱 3 黄巣の乱と朱全忠 (参考サイト) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90 http://www.geocities.jp/timeway/kougi-35.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E5%B7%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1 あなた自身の考えでまとめてください
- notnot
- ベストアンサー率47% (4900/10358)
世界の歴史〈6〉隋唐帝国と古代朝鮮 (中公文庫) とか、 世界帝国の形成 (講談社現代新書 452 新書東洋史 2 中国の歴史 2) あたりが、読みやすいと思います。
- buchi-dog
- ベストアンサー率42% (757/1772)
「インターネット」でコピペするためのサイトを探す努力をするのでなく、図書館で参考文献を探す努力をすれば「黄巣の乱と唐の滅亡」についてレポートを書くのは容易でしょう。
補足
本は図書館で探してきたのですが、内容が難しくて困っているのです。 専門家の方ということでお尋ねしたいのですが、唐は、租庸調という決して軽くない税を導入したために農民から反感を買って滅亡したのでしょうか?しかし最終的な滅亡理由である黄巣の乱は塩の密売員が、氾濫を起こしたと書いてあります。なぜ唐は滅亡しなければならなかったのでしょうか?その理由を詳しく教えていただけませんか?