横尾山砲連隊とは、1937年(昭12)9月9日動員第6号下令により、第13師団砲兵として高田の独立山砲兵第1連隊において応急動員された山砲兵第19連隊(補充担任は仙台の野砲兵第2連隊補充隊)で、動員完結後直ちに上海派遣軍戦闘序列に編入され上海呉淞に上陸後、同市郊外の羅店鎮攻略支援に参加し、泥濘とクリークの天然要害に妨げられながら敵を制圧しつつ追撃戦となるや歩兵連隊に協同し12月初旬に江蔭(陰)、鎮江を経て南京攻略戦に参加したのち警備と補充にあたったのち38年2月から徐州作戦に参加、同地から鳳陽、宿県をへて徐州に入城、作戦終了にともない盧州にて警備並びに補充にあたり漢口攻略作戦の準備にあたる。同年8月中旬から作戦行動を発起し、9月1日富金山攻撃支援、同月12日高城追撃戦、18日新店迎撃戦などに於いて師団各歩兵連隊の戦闘を支援し武漢平原に進出した。その後39年4月の襄東作戦ならびに昭和十四年冬季作戦、40年5月宜昌作戦に従事後宜昌地区にて警備にあたり、のち当陽に移駐。43年江北殲滅作戦、江南殲滅作戦、常徳殲滅作戦に参加し同作戦中に米軍機の攻撃を受け苦戦に陥った。その後湘桂作戦に参加し蒲折、劉陽、茶陵、来陽、全県、柳州、石敬魚、を経て都安作戦に参加。反転して柳城、義寧、桂林などをへて衡陽まで後退し、終戦後さらに長沙にいたった。
同連隊第1大隊第1中隊の行動ということですが、厚生省援護局史料「中支那方面部隊略歴 其の1」には山砲兵第19連隊の部隊略歴が記録として残っています。最寄の県庁あるいは市役所の援護課にお問い合わせされたならば、資料の閲覧が出来るかも知れません。
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了解しました。 ありがとうございました。