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香港における大東亜戦争の戦闘の歴史
- 香港における大東亜戦争の戦闘について興味があります。東海林俊成率いる230連隊が1941年12月18日に香港島に上陸し、激戦が繰り広げられました。
- 黄泥涌峽という場所での戦闘も激しかったです。特にある隊が頂上で英軍の対空砲火に苦戦し、戦死者・負傷者も出ました。
- 戦闘での細かい情報や戦死した日本兵の火葬状況にも興味があります。詳しい情報を知っている方がいれば教えてください。
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私は公刊戦史を参考にしていますが、地図が年代物の複写で判り難いのとあとは参加者の回想に拠る略図しかないのです。 どうもこの時期の戦闘詳報は存在しないようで公刊戦史も回想から纏められている様です。 偕行社(陸軍将校の親睦/共済組織)から靖国神社に奉納された偕行文庫にも関係戦史は有りませんでした。 >ヘルメットに将校のマークを持ち 90式鉄帽は将校/兵の区別は無いと思います。 米軍は区別マークが有った様ですが、日本軍には無かったと思います。 偕行文庫の旧将校に聞いてみましたが「無いでしょう」との事でした。 >弟9中隊小隊のmortar manの名前が分かれば、これらの遺品の所持者を特定できるのですが。 擲弾筒手は1小隊3名です。又弾薬手も弾帯(4発入の奴ですね)を持っていますので記名が無いと難しいのではないかと思います。 靖国で戦友会の情報を戴きました。 (情報は古いかもしれません....戦後60年戦友会も少なくなっています) 一度連絡されては如何でしょうか。 230連隊会(香港/ジャワ関係) 421-1131 静岡県志太郡岡部町内谷633-44 代表 渋谷 新一
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- k762
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国は違えど同じ研究をするものですからご遠慮なくどうぞ。 朝雲新聞社 防衛庁防衛研修所著 戦史叢書 「香港.長沙作戦」です。 残念ながら現在絶版になっています。 古書はhttp://www.kosho.or.jp/ こちらで戦史叢書で検索すると出ます。
お礼
大変ご無沙汰しております。教えて頂いたサイトから、先日やっと本を入手することができました。詳細情報を色々と確認することができ、日々楽しみながら読んでいます。また不明なことがあれば質問させて頂くかもしれません。その時はまた、どうぞ宜しくお願い致します。今まで色々と助けて頂き、本当に有難うございました。
- k762
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1)Jardine's lookoutにおいて、競馬場からのその榴弾を受けたのは230の具体的にどの中隊でしょうか? 付近一帯が弾巣となった様ですが第3大隊(9.11.12中隊)が主として被害を受けた様です。 2)黄泥涌峽の峡谷(小川)で英軍機関銃要地からの攻撃を受け身動きが取れなくなった部隊について詳細をご存知ですか? 上記15榴弾を受けた部隊と同じでしょうか? この小川が私の資料では確認できません。 五差路の左側ニコルソン山の中腹の流水溝付近では第9中隊の2ヶ小隊が全滅しています。 3)Lt.Umino(海野大尉?中尉?)の戦死状況について詳細をご存知ですか? 第3大隊第12中隊長 海野?(金ヘンに生)吾中尉は尖兵中隊長として前進、19日0230頃 Jardine'slookout 北端で英軍装甲車両と遭遇し中尉は胸部に敵弾を受け戦死したほか数名の死傷者を出しました。 4)1972年に「戦争の歩み」という本を出版した、静岡の230連隊戦友会の存在を耳にしたのですが、 この戦友会とどうしたら連絡が取れるでしょうか? 戦友会も会員の高齢化で解散する所が多くなっている様です。 靖国神社にお訊ねになっては如何でしょうか? http://www.yasukuni.or.jp/index2.html 5)230が7.92Mauser仕様の中国製軽機を奪取して使用した記録があるでしょうか? 中国軍が主用していたチェコ製のブルーノZB26軽機関銃の優秀性から鹵獲した 部隊は員数外として使用する事が多く有った様です。 陸軍は黙認していた様で作戦前に野戦兵器廠から「チ」式銃実包15000発を補給しています。
補足
大変有意義な情報を有難うございます。何度もお手間を取らせて申し訳ありません。私はアメリカ人で、趣味で考古学をやっている者なのですが、日本在住ではない為、このような情報を取ることは極めて困難なのです。。 更に質問させてください。 1)問題の小川の場所は25 15 33.10N 及び114 11 40.33Eです。私は、こここそが正に大激戦があった場所であり、弟9中隊の2ケ小隊が全滅した所だと考えています。香港義勇軍は、機関銃ピットをここに構えており、弟9中隊はこれを攻撃しましたが小川土手で釘付けとなり、最終的に弟11、12中隊に救われました。彼らはその後前進し、最終目的地である英軍高射砲台(22 15 29.5N 及び 114 11 51.50E)を攻撃します。高射砲台占領後、小川付近で休息を取っていた所を榴弾に襲われました。 2)私は、海野中尉及び5人は 流水溝沿い前方のコンクリート製のトーチカ(小川の北方)を攻撃した時に戦死したものと考えていました。しかしながら、英軍装甲車両から撃たれたというあなたの情報を鑑みて、私の考えは大幅修正されました。実はこの情報を頂く前までは、海野中尉のヘルメットと彼を火葬した場所を発見したつもりでいたのです。ヘルメットに将校のマークを持ち、この小川近辺で12/19に戦死した同格(以上)の別の方はいないですか?ヘルメットは榴散弾により穴が開き、将校の印があり、小川横の火葬穴脇に添えられていました。私の推測では、海野中尉よりも 12/19にそこで戦死した9、11,12中隊の内の将校ではないか、という気がしてきました。 海野中尉に関してもう一つポイントとなるのは、そのヘルメットの榴散弾跡です。小武器による胸部銃撃では辻褄が合いません。あなたの鑑定と共に、その人物を特定できるかもしれません。 3)その小川のすぐ脇で、榴弾を受けた歩兵隊の迫撃砲(89式)を発見しました。更に榴散弾によって無数に穴の開いた水筒(昭和14製)と同様に穴の開いた飯ごうの蓋、unfused89式HEの弾薬帯もありました。榴弾によって戦死したように見受けられます。(榴弾の破片も発見。) もし弟9中隊小隊のmortar manの名前が分かれば、これらの遺品の所持者を特定できるのですが。。 この小川土手の辺りが、二つの戦闘、即ち弟9中隊が2ケ小隊を失った戦闘と、弟9,11,12中隊が休息中に競馬場からの榴弾に襲われた戦闘の場であると、99%の自信を持っています。 4)私はこれらの遺品を静岡又は230戦友会にお渡ししたいと心から願っています。それによって無くなれた兵士の方々の魂が安まると思うからです。しかしながら私がアメリカ人である為に、実際にその方々の軌跡を追うのは困難を極めています。。どうにか助けて頂けないでしょうか?無理をお願いして申し訳ありません。 色々とどうも有難うございました。 PS:上記座標軸の使用はGoogle Earthが便利です。
- k762
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38師団は歩兵重火器の段列(弾薬補給)を持たない警備用師団です。 香港戦の為、急遽輜重兵4ヶ中隊と師団輜重兵連隊3ヶ中隊の内の 2ヶ中隊で各部隊の弾薬班と段列を編成しました。 師団は新型の3ヶ歩兵連隊編成でしたが、内実は大隊は歩兵4ヶ中隊、 中隊は軽機分隊2ヶと小銃、擲弾筒分隊各1ヶの支那事変開始頃の 編成/装備のままであり、歩兵中隊の定員は172名ですが各種の理由に より140名を確保するのがやっとの様でした。 12月18日歩兵230連隊第一大隊の2ヶ中隊と第2大隊と第3大隊(各1ヶ中隊欠)は香港島に上陸、 黄泥涌峽に至り所在の英軍と激戦を展開し英軍西旅団長を倒したが競馬場からの15榴の為に 多数の死傷者を出すに至った。 歩兵228連隊(第3大隊欠)は大沽造船所付近に上陸、赤柱砲台と黄泥涌 東側の重砲、高射砲の砲撃を受けて苦戦したが、激戦の後Jardine'slookoutを占領した。 砲兵の渡航が20日夕刻迄終わらなかった為、歩兵のみの戦闘となり苦闘したのです。 20日迄に歩兵230連隊は250名の死傷者を生じたが衛生隊は未だ到着していなかった。 結局第38師団は香港攻略に於いて歩兵230連隊 戦死232 戦傷436 歩兵228連隊 戦死85 戦傷240を含み戦死548 戦傷1189を出しました。
補足
こんなにも詳細情報を頂き、有難うございました!大変感謝しております。軍の歴史に大変お詳しい方とお見受けします。更に何点かお伺いしたいのですが、、 1)Jardine's lookoutにおいて、競馬場からのその榴弾を受けたのは230の具体的にどの中隊でしょうか? 2)黄泥涌峽の峡谷(小川)で英軍機関銃要地からの攻撃を受け身動きが取れなくなった部隊について詳細をご存知ですか?上記15榴弾を受けた部隊と同じでしょうか? 3)Lt.Umino(海野大尉?中尉?)の戦死状況について詳細をご存知ですか?海野氏はJardine's lookout攻撃における第一線の指揮官で、12/18に戦死、東海林連隊長により12/27か28に慰霊の儀式と共に火葬された方です。又、海野氏以外でも12/19のこの攻撃で亡くなった将校等のお名前をご存知ですか? 4)1972年に「戦争の歩み」という本を出版した、静岡の230連隊戦友会の存在を耳にしたのですが、この戦友会とどうしたら連絡が取れるでしょうか?戦死された方の遺品をお渡ししたいので、是非とも知りたいのですが、生憎 現在日本在住ではない為、手間取っています。。 5)230が7.92Mauser仕様の中国製軽機を奪取して使用した記録があるでしょうか?もしくは230が 7.92Mauserを発射できる武器を持っていたのでしょうか?実はこの230連隊の要地で7.92Mauserの薬きょうを発見したのですが、どうしてこれらがそこにあるのか理解に苦しんでいます。可能性としては、230が広東の兵器庫から中国製軽機を奪ったか、7.92を発射できる軽機が存在したかどちらかだと思うのですが・・ 以上、何かご存知でしたら宜しくご回答願います。
補足
度重なる質問にご丁寧に回答いただき、本当に有難うございました。お蔭様で大変助かりました。 もし差し支えなければ、公刊戦史の内、香港での戦いに関する巻のタイトルとナンバーを教えていただけないでしょうか?また、どこで入手可能かアドバイス頂ければ幸いです。 又、230連隊の戦友会の情報を入手してくださったこと、心より感謝しております。早速手紙を送りたいと考えています。 戦後65年を経た今、アメリカ人と日本人の間でこのように敬意と友好をもってやり取りができることは、世界がどれだけ改善されたかの表れであり、本当に素晴らしいことだと思います。 心より、再度深くお礼申し上げます。