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「階級意識」というのはいつまであったのか
日本で、階級意識というのはいつまであったのでしょうか。特に上流階級意識です。 昔の翻訳童話などで、上流階級的に訳されているのがあるので、ああいう上流階級お嬢さん意識はいつごろまであったのでしょうね。
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日本は世界的に見れば、階級の無い社会です。 士農工商という階級があったとされますが、世界の制度(たとえばカーストなど)に比べればとてもゆるく、階級制度と呼べない部分もありました。 まず第一に、太閤検地・刀狩りまで武士と農民という区別はほとんどありませんでした。実力がなく、また争いは嫌いだからと武士のようにならずに営農を中心としている農家も多かったようです。木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)自体が、武士と呼べない農民の子に生まれ、太閤に上り詰めています。この時代に厳然とした階級があったら、こんなことはできません。 下って江戸時代になると、やや武士と農民(とそれ以外)の階級がはっきりしてきて、階級と呼べるものが出てきます。 ただし、昔からある村落にいくと、 「おらっちは農民だけど、従兄弟は先祖に武功があったから武士だよ」とか 「おらは水のみ百姓だけど、おらの先祖は武士だ。次男坊の子孫だとババひくねーー」など ざらにあり養子に入れるとか、商家がお金を積んで跡取りのいない武士の家柄を買う(買って誰かが養子に入る)ということも簡単にできたようです。 もちろん武士階級には、切捨て御免の特権があったり、領地換えで地元の階級の上に、支配階級が乗っかった 場合などは苛烈に階級差を強調したこともあったようですが、一般的にはそれほど厳しいものではなかったようです。 諸外国の階級は「血筋」から逃れることで着なかったので、日本の階級制度はとても弱かったのです。 そのため明治になって四民平等が発布されると、一気に階級が崩れました。 同じように市民が平等なはずのヨーロッパは、デビュッタントなど元々貴族の血筋を引く上流階級しか参加できない集まりが未だにありますし、インドのカースト制度などは「国民平等」をうたっているのにまったくなくなりません。 このような階級制度を基準にすれば、日本はいつの時代も階級が無かったといえるぐらい、ゆるい階級制度だったのです。 それでも武士には特権がありましたので、江戸時代には階級制度があり、明治に入って一応爵位が設けられましたので、戦前は階級差があったといえるでしょう。もちろん成り上がった金持ちが爵位を買うことが出来ました。
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- bismarks05
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階級意識は、精神・意識の問題ですから、消えることはほぼありえません。 経済格差を自覚できない時代において、”一億総中流階級”という独特の社会階層の支店が生まれるように、階級は消えることもないものでしょう。 というよりも、階級という意識によって同属化・同族意識を必要とする部分もあるので、消えるべきではないかもしれません。 上流意識という問題ですが、経済格差は消滅しようとも、門地・学力などでの選民意識が生まれるものですから、不滅に近いでしょう。 同時に確信的な話ですが、世界的宗教は、聖職者の階級を設けていますから、上流意識は死滅できないものです。 もっとも、日本は貴族階級がノビレスとしての公責を追わない歴史が長いので、階級という意識は存在しても、その意味が薄かった部分があるでしょう。
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根本心理的な問題として、つねに階級、同族意識、異属排除意識というのは存在しますね。日本の宗教的な状況というものが、絶対的階級差というものを作らせなかったということはいえますね。おっしゃるように、貴族性というものが権力とは距離を置いているという状況で、階級意識が定着しにくという状況ですね。
- porepore47
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制度としての階級は無くなったかもしれませんが、階級意識がなくなったかどうか。 意識は個人の問題ですから、本人がそう思っていれば、あるということですね。 我々一般人は無くなったと思っていますが、異なる意識を持った階層は、まだあると思います。 表に出ない差別意識も残っていますし。
お礼
根本心理的にはやはり常に存在する問題ですね。一億層中硫化などという標語が逆説的にそれを物語っていますね。
上流階級意識を有することを、その階級に必要な文化的素養をもち、その階級に必要な義務を果たすことと考えると、やはり江戸時代まででしょう。 士族が廃止された時点で、上流階級意識は薄れていったと考えるべきでしょう。具体的にいえば、和歌を詠む、茶を楽しめる、源氏物語、百人一首、新古今和歌集を諳んじるくらい知っているなどです。 そういう共通する基盤を共有できることで、対話などが高度化するのです。いちいちむずかしい言葉に説明的言語を加えなければならないようではいけません。
お礼
私個人としては、近代的階級意識の発露というのは明治からの西欧化にあると思っていたのですが、もっと根本的な源流としては武士階級というもの、その教養と武術の特権的存在が長く社会に存続していたということにあるはずですね。
- pasocom
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それは、ずばり敗戦(昭和20年)までです。 それまでは、日本には「財閥」という大企業コンツェルンが存在し、三井・住友など途方もない大富豪がおりました。国会には「貴族院」というのがあり、いわゆる「貴族」という階級もありました。 このような階級社会は戦争に負けたことで一挙に崩壊しましたが、それまでは現在のイギリスのような厳然たる階級社会と、階級意識があったのです。
お礼
確かに、敗戦はひとつの革命に類するようなチェンジャブルなエポックでありました。その要綱の主要なものとして、財閥、貴族階級の廃止というものがありますね。この強制的な措置で大分様相が変わったことですね。
お礼
確かに、武士階級と農奴階級は流動的であり、同根であるということも日本社会の特徴のようですね。それは、歴史的に「階級」というものがあくまで外来的だという性質なのかもい知れません。 社会的に強固な階級ではなく、あくまで意識の上の平等感というものに根ざすものだったようです。そうすると、やはり、貴族階級というのが一番それに近いものだったのかとも思います。