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「伝統」はそれだけで売りになること
歴史的建造物とか、道具とか、地域が伝統色を残しているその地域全体とか、歴史的遺産とか言うことで、観光資源あるいは骨董的価値になっていますよね。でも、それが現役のころは、まったく自然に役目を黙々とこなしていた建造物であり道具であり地域であったのです。それが、その歴史が終わって、現代から切り離された歴史的な存在になったところで、いきなり観光資源や骨董という日常性からはなれた第2の価値が付与されるというのは、なにか腑に落ちないもの、なぜなんだろうという疑問を感じるのですが、自然なことなのでしょうか。 それから、歴史的威光に感じる、郷愁感とか安堵感、あるいはその壮麗な感じとかの情緒感というのは、先天的なものなのか、あるいは歴史的な流れで現代の感覚からそうなっているのか、どうなのでしょうか。たとえば、古い駅舎にSLが来るなんていうのは、どうもそれ自体で郷愁、あるいははまった風景、あるいはなにか情緒感あふれるという雰囲気をかもし出す、当時はそれが普通だったのに。それは、普通でなくなったからその感覚があるのか、あるいは普通だった当時から情緒はあったのか? 現代現役な「今」を感じさせるものも、将来的にはそのような歴史的遺功になるものでしょうか?
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- nomori
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noname#87090
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noname#96756
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- hopepepepe
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お礼
古いものに学ぶことはあるものです。それは、より人間の知恵が詰まっているからでしょうね。機械作業になっていない文頭を使わなければならなかったしまた使いどころがあった。そういう人間の力が最大限に発揮されたものなのでしょう。 後はおっしゃるように、ノスタルジアに訴えるものでしょうね。これなどは、つまり人間のあるいは動物の宿命、時間にそって生きるしかないということを商売にしているのでしょう。