- ベストアンサー
文化遺産というものはいまや観光資源
世界遺産に登録されているような文化価値がある地域や建造物などは、現在当時の機能をまったく失い、ただものめずらしさの観光のためにだけ生き残っているような状況が多いように思いました。 こういうものは、それで価値があると言えばいえるのでしょうけども、なにか先人の心血を注いで築いたものに対して尊厳の念がないような事態に陥ってはいないでしょうか。 例を挙げればいくらでもあります。思いつくだけでも 古代の拳闘場、城郭、宮殿、教会さらには原爆記念館etc. これらの価値は、本当に闘士が舞台に上がり、兵士が銃口狭間に取り付き、王侯がそのなかで栄華を極めというような活動をしていて始めて生きてくるのではないか。 現代とは、あるいはその時代の産物である観光とはどういうものと考えたらいいのでしょうか
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
世界遺産の登録を目指そうと各自治体は目の色を変えていますね。 所詮、村おこしや町おこしの材料として「世界遺産」を利用しようと しているだけです。ユネスコの理念を自己の利益のために使う自治体役人ならではの考えです。 観光客は確かに増えますが、縄文杉の根本が踏み固められたり、キズを付けられたり、知床に至っては、ヒグマの生息域までズカズカ人が入って、一触即発の状態です。 そういう事態が分かっていながら、世界遺産を目指そうとするあさましい考え。富士山は逆に河口湖町などは規制で釣り客が来なくなる等で反対しています。 世界遺産より「明日の生活」なのですね。
その他の回答 (1)
- c_youji
- ベストアンサー率24% (40/162)
歴史的に重要な価値を持つ建造物は、その保存や修復の為にも、 世界遺産とか重要文化財として登録されるべきだと思います。 >先人の心血を注いで築いたものに対して尊厳の念がないような事態に陥ってはいないでしょうか。 尊厳の念を表すためには、 現代人はその建造物の保管に努め、状態を維持し、後世に引き継ぐ義務があるかと思います。 >これらの価値は、本当に闘士が舞台に上がり、兵士が銃口狭間に取り付き、王侯がそのなかで栄華を極めというような活動をしていて始めて生きてくるのではないか。 分かりますが、古代遺跡なんかはもう実用に耐えられないものが多いでしょうね。 倒壊事故などおきて死者がでるよりはマシでしょう。 でも、まだ実用しているのも数多くあります。 古代ローマ遺跡のオランジュなどは、紀元前1世紀に建てられたものでありながら、現在でもオペラやコンサートが開かれます。 フランスのブールジュ大聖堂も、建造800年の間に何度も部分的な倒壊をしていますが、内部も一般に開放しています。 これらは、保管・補修が滞りなく行われていることの賜物だと思います。 世界遺産登録や、(日本だと)重要文化財登録がされないと、 保管・補修が不十分になるかもしれませんし、歴史的価値がないとして 撤去される可能性もありますね。 あと観光についてですが、確かに観光名所化することでゴミ問題やホテル乱立問題があったり、 自然遺産や天然記念物などは#1さんの言うように人間が訪れることで発生する問題が山積みです。 しかしこういった遺産は大袈裟ではなく人類の共有遺産ですから、一般開放すべきだと思いますし、 なにより、観光収入がないと保管・補修費が捻出できなくなったりします。 人間が訪れることで、その維持に貢献していることもあります。 >ただものめずらしさの観光のためにだけ生き残っているような状況 物見遊山の観光客にとっては、「ただものめずらしい」ってだけでいいと思います。 古代遺跡なんて興味の無い人からみれば何の価値もありません。 ただ、見る目を持つ人が見れば違います。 その建造物を調査すれば、当時の建造技術の素晴らしさや時代背景、さらには人々の暮らしぶりも解ったりする。 それでいいのではないでしょうか。
お礼
確かに、観光というものは現代的な営みで、これは特に否定されるべきものではないですね。時代の必然なのかもしれません。そして当然、見る人によって支えられている面もあります。物事の善悪難しいですね。
お礼
そのような、あさましい考えに汚されている場合も多いかと思います。現代の退廃と当時の真剣さ?のミスマッチングをどうも納得いかない思いでいます。