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昔の人の移動は

飛行機、電車、新幹線等が無かった時代に鹿児島と青森の人が出会うのって不可能だったのでしょうか。 現代人の感覚からしたら旅行は普通ですが昔の人は旅行や観光なんて感覚はあるのでしょうか? というよりどこからどこまでが日本の範囲かとか、よその地域の名前とか一般人は知っていたのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.7

>飛行機、電車、新幹線等が無かった時代に鹿児島と青森の人が出会うのって不可能だったのでしょうか。 可能か不可能かで言うと、可能です。 北前船が北海道から日本海沿岸を航行し、博多・下関から大坂へ寄港していましたからね。 鹿児島の方も、博多方面にいけば出会う事もあるでしようね。 また、江戸時代には「伊勢参り・出雲大社詣で・金毘羅詣」で全国各地から人の流れが存在しました。 >昔の人は旅行や観光なんて感覚はあるのでしょうか? もちろん、旅行感覚は存在します。 ただ、物見遊山・湯治・神社仏閣参拝と目的が決まっていました。 ご存知の様に、庶民に限らず「自由に他国へ出かける事は不可」でしたよね。 戸籍を管理していた旦那寺で手形(戸籍抄本)を貰い+大家・庄屋から関所手形(住民票抄本)を貰う必要がありました。 ですから、今の自由な旅行感覚でなく修学旅行的な目的を持った旅ですかね。 >どこからどこまでが日本の範囲かとか、よその地域の名前とか一般人は知っていたのでしょうか? それが、当時の方々は知っていたのです。 江戸時代(1700年頃)に、長崎から江戸へ向かった異人が書いた旅行記は驚く内容です。 「日本は野蛮な島国でなく、多く民は文字が書ける」とね。 元禄時代には、全国各地の旅行案内が出版されています。 また、日本全土の地図や世界地図の知識もありました。 平安時代の、畿内・西海道・南海道・山陽道・東海道など同単位の地図が残っています。 江戸時代の鎖国まで(特に、信長・秀吉時代)は、朝鮮・中国・インドだけでなく「交易拠点として、東南アジア各国に日本人町」が存在していましたよね。 そうそう、伊能忠敬よりも前の日本地図も案外正確です。 江戸時代の寺子屋制度・武家の藩学校などで、案外江戸時代は世界有数の学識だったのです。 日本が、諸外国の植民地にならなかった一つの要因です。

その他の回答 (8)

  • qazwsx21
  • ベストアンサー率32% (1286/3939)
回答No.9

江戸時代の武士ならば、参勤交代で江戸に集まりますので出会う機会は十分あります。 旅行、観光ありです。お伊勢参り、東海道中膝栗毛、、、。 歌舞伎の白波五人男の口上に「六十余州に隠れのねえ。賊徒の張本日本駄右衛門」というのがありますが、六十余州とは今でいう日本全国のことです。六十余の州(藩)があったということですね。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.8

No.2です。少し補足します。 >どこからどこまでが日本の範囲かとか、よその地域の名前とか一般人は知っていたのでしょうか? 江戸時代の人々も日本の地理の知識はそれなりにあったようです。往来物と呼ばれる当時の寺子屋などで使われた教科書には地理を扱ったものもあり、たとえば「東海道往来」の書き出しは次のようになっていました。(原文は縦書き) 東海道往来 都路は五十余に みつの宿時得て 咲や江戸のはな 波静なる品川や 頓(やが)てこえくる河 崎の軒端ならぶる 神奈川ははや… 江戸と京を結ぶ東海道の53の宿場(五十余にみつの宿)の名前を七五調で覚えやすく列挙しています。引用した部分では「品川」「河崎(川崎)」「神奈川」が登場します。 また「国尽(くにづくし)」と呼ばれる、日本の諸国の名をすべて列挙して、口で唱えやすいように書いたものが、江戸時代から明治の初めまで習字の手本として広く使われました。この最古のものは16世紀末の1597年(慶長二年)刊行の「日本国尽」だそうです。 もちろん住んでいる地域や身分・職業などによって地理的な知識のレベルには差があったでしょうけれど、参勤交代で多くの武士が地方と江戸を定期的に往復していたうえ、江戸や京、大坂などの都市には全国から人が集まっていて交流がありましたので、「よその地域の名前」くらいは多くの人が知っていたのではないかと思います。

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (415/1290)
回答No.6

津軽と薩摩の人が出会う事は、北前船が有ったので可能です、 勿論、徒歩でも可能です。 江戸時代は戦が無かったので、富士登山、善行寺参り、お伊勢参り、 その他の、お寺、神社詣では、盛んでした、その為のガイドブック も沢山、発行されてました。 平和を享受していたのですね。

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8469/18131)
回答No.5

> 飛行機、電車、新幹線等が無かった時代に鹿児島と青森の人が出会うのって不可能だったのでしょうか。 明治時代であれば飛行機、新幹線はないし,電車は都市部にしかありませんから,鹿児島から青森に行くには列車を乗り継いで鉄道がなければ徒歩で移動します。そうまでして行くのにはよっぽどの理由があるときだけですね。 その時代に鹿児島と青森の人が出会うというのは,両者が東京に上京して出会ったというのが,ありそうな話です。 > 昔の人は旅行や観光なんて感覚はあるのでしょうか? 江戸時代からお伊勢参りはありましたし,一生の思い出として旅行に行くことはありました。明治時代以降になると,息子が東京の学校に進学して,母が上京した時に東京観光で案内したなんていうこともあるでしょう。 > どこからどこまでが日本の範囲かとか、よその地域の名前とか一般人は知っていたのでしょうか? 博識の人は知っていましたが,そうでない人は知りません。

  • okok456
  • ベストアンサー率43% (2746/6352)
回答No.4

一般庶民の旅行、観光は江戸時代からでしょうけど 奈良時代には都と全国を結ぶ幹線道路が整備されたようです。 https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%A4%BE%E4%BC%9A_%E6%AD%B4%E5%8F%B2/%E5%A5%88%E8%89%AF%E6%99%82%E4%BB%A3 街道を通して物流があり各地の特産品が都に集められたのでしょう。 一部の一般庶民もある程度の知識があったでしょう。 全国各地にある国分寺や薬師寺がありますね。 https://www.shiseki-chikei.com/%E5%85%A8%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA%E8%B7%A1/ 僧侶などと交流がある一般庶民は日本の範囲かとか、よその地域の名前を知っていたかもしれません。 街道や寺を作る技術者や作業員は中央の奈良からの派遣でしょう。 その人たちとかかわった現地の人達もある程度の知識を得ることができたでしょう。

  • mekiyan
  • ベストアンサー率21% (865/4002)
回答No.3

私の両親は、戦争中で疎開してきた、明日の命もアヤフヤな時期だったので、疎開先で見合い、あれよこれやといううちに、超短期で内輪だけの挙式と。 疎開なので、滞在期間が長いので、今の観光旅行者よりも知らない土地での出会いの期会は多かったようです。でも、青森と鹿児島じゃ、言葉も通じずで、日本国内というより外国ですな。 でも、昭和どころか大正時代でも「国鉄さん」が大活躍していたので、明治時代以前のことでっか。その頃なら、村から外に出たことも無いお方だらけです。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.2

昔と言っても範囲が広いですが、江戸時代には「お伊勢参り」など遠隔地の社寺参拝が盛んになり、これを目的(口実?)とした旅行を庶民も楽しむようになりました。 19世紀のはじめに出された「東海道中膝栗毛」という有名な滑稽本で、主人公の弥次郎兵衛と喜多八(弥次さん喜多さん)は、東海道を江戸から伊勢神宮へ、さらに京都、大坂へとめぐります。そののちの続編では。二人は四国に行き、讃岐の金毘羅大権現 松尾寺を参詣し、中国に行き、宮島を見物します。そこから引き返して木曾街道を東に向かって善光寺を参詣し、草津温泉に行き、江戸に帰着するという大旅行をしています。 この作品はもちろんフィクションですが、当時こうした旅行が実際に盛んだったことは、各地の「道中案内記」「名所図会」といわれる今で言う「旅行ガイドブック」や「旅行地図」のようなものが多く出版されて残っていることからも明らかです。この時代には鉄道や自動車はありませんので、庶民の移動は一部のルートで船を利用できた以外は自分の健脚に頼るほかありませんでした。「膝栗毛」という書名も、自分の膝を栗毛の馬に見立てたもので徒歩旅行の意味です。 結論としては、江戸時代には庶民も日本国内の名所旧跡などについての知識が増え旅行や観光を楽しむようになっていった。ということです。このための旅館なども発達しました。宿の客引きの女が旅人の風呂敷づつみを引っ張って困らせている滑稽な構図の浮世絵が、広重の「東海道五十三次」の「御油 旅人留女」です。

  • OKbokujoo
  • ベストアンサー率24% (284/1160)
回答No.1

電車も無い時代とは一体いつの事でしょうか?江戸時代? 回答は小学生の歴史、社会の教本を見直してみれば、概ね出ます。

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