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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本史の疑問(複数))

日本史の疑問について

このQ&Aのポイント
  • 『日本史B用語集』には、「任地に赴く、国司の最上級者」とある「受領」とは何の基準で最上級とされるのか疑問です。
  • 天智天皇の政策について疑問があります。改新の詔で旧来の土地支配制度に否定的に思われる旨が述べられているのに、天智天皇は部曲を廃止したとされています。
  • 質問文章から分かる日本史の疑問についてお答えいただけると幸いです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • 0w0g
  • ベストアンサー率62% (10/16)
回答No.3

1)について 国司というのは「守(カミ)」「介(スケ)」「掾(ジョウ)」「目(サカン)」の四等官があり、国のランクによって6、7人~2、3人の職員がいてそれらを国司と称しました。(下国には介がありません)そして実際に任地に赴く「国守」の事を「受領」と言います。紫式部の父・藤原為時(越前守)や清少納言の父・清原元輔(周防守)などがそうです。また「親王任国」といって上総・常陸・上野などは親王が大守として任命される習わしがありましたからその場合、次官の「介」として任地に赴く国司が実質の国守(受領)として扱われましたし、中には「遥授」といって任地に赴かず収入だけを得る国守もいて(主に公卿などの貴族の兼官です)、その場合も介(もしくは権守)が受領と呼ばれたようです。 ちなみに国司の任命は県召(アガタメシ)と呼ばれる定例の除目による任命の他、死亡による欠員が出た場合などの臨時の除目による任命があり、資格というのも勿論ありました。

その他の回答 (2)

  • a-koshino
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回答No.2

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8C%96%E3%81%AE%E6%94%B9%E6%96%B0 改新の詔なるものが、天智天皇より後に創作された可能性は高そうです。

  • Pinhole-09
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回答No.1

(1)について 国司は国(武蔵の国などの国)を治めるため、中央から派遣された官吏の総称です。    上から順に、守、介、じょう(大、少)、さかん(大、少)などがあります。 国司の最上級者は守たとえば武蔵の守ということです。

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