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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:受領国司と遥任国司について)
受領国司と遥任国司について
このQ&Aのポイント
- 平安時代中期の国司制度についての疑問
- 下級貴族の国司任命についての疑問
- 国司制度の実態に関する問いかけ
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質問者が選んだベストアンサー
中下流貴族なら任国に赴任することもごく普通でしょう. 武家の台頭というのもその流れの一環だったような気もする. 余談ですが, 「国司」にも四等官制がしかれており, 日本ではその最下位である目にも決裁権限があったので, 理論上は目だけが任国にいても「国司としての仕事」は滞りなく進めることができます. とはいえ, 「平安中期」にはこの「理論上」が既に崩れていて守ないし介が最終的に決裁していたみたいです.
お礼
ご回答ありがとうございました!御礼が遅くなり大変申し訳ございません。 実はあのあと <受領国司と任用国司> 泉谷康夫著 日本歴史 (316) <「尾張国郡司百姓等解文」に登場する任用国司について> 平野岳美著 愛知県史研究6号 を目にする機会があり、10世紀ごろまでは中下流貴族で任用に任命されたものは、地方に下向し、それぞれの仕事についていたようです。まだ実態については良く理解できていませんので、これからも勉強していきたいと思います。