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喉元過ぎれば熱さを忘れるものですか
喉元過ぎれば(通れば)熱さを忘れると言いますが、実際にそうですか。 歴史は繰り返すともいいますね。塀の中の懲りない面々なんて小説がありますね。 また、皆さんの経験ではどうでしたか。 私の場合はモロに当てはまっていると言うところで、喉が、いや、頭が痛いです。 孔子は過ちを改めない事を過ちと言うと言ってますね。
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喉元過ぎれば熱さを忘れる kanotaさんはこのことわざを悪い意味に取っているのかな? 必ずしも悪い意味ばかりではないと思いますよ。 忘れるっていうのは人間にとって非常に大切な事ではないでしょうか。 肉親を亡くした時の悲しみはとても辛いものです。 そんな悲しみがずっと続けば生きていくのも嫌になります。 でも人間ってよく出来てるっていうか そんな悲しみも次第に薄れていきます。 忘れるっていう漢字は心を亡くすって書きますよね! そんな辛さを忘れるから生きていかれるし kanotaさんが『歴史は繰り返す』と書いているように 過ちを繰り返したりもするものです。 私は何でもメリットとデメリット・幸と不幸・喜びと辛さなどなど すべてのものは みんなセットであるものだと考えています。 ものすごく努力し汗や涙を流して練習した成果に勝ち得た勝利 結婚しないシングルの人は一人で寂しい思いをするけれど 一人がゆえに大きな自由があるし 子育ては大変だけれど 子供から多くの喜びをもらえる。 など等 全てのものはセットであるのだな~って。 話しが反れてしまいましたが 喉元過ぎれば熱さを忘れるとはいいながら 人間ってほんのちょっとずつは覚えてるから ちょっとずつ進歩して今があるのかな~とかも思います。 的外れな回答だったらごめんなさいね!
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- pokoperopo
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#3、ぽこぺろぽです。 先の回答にある憲法論議の例示は、無関心の度が過ぎて『羹に懲りて膾を吹く』ことに気づいていない状態ですね。失礼しました。 懲りないのも、懲りるのも、ほどほどにしておけってことです。ただし、それには止揚が必要となります。
お礼
ありがとうございます。 喉元を過ぎての例ですよね。 ううむ。私はほどほどに出来るだろうか。
>喉元過ぎれば熱さを忘れる いわゆる健忘症のいましめの言葉ではないでしょうね。 ミステークがリカバリされて当面の苦痛が収まったら、もうそんな経験を記憶しておく必要はない。単純な、合理性に長けたひと、というか割り切りの良いひとの傾向でしょうか。そこでつい、懲りずに繰り返して悔恨も倍になる、という状況ですか(でも、それを戒めた言葉ではないと思いますが)。 実際には、熱いものはなお食道に存在するわけで、これは想像力の欠如ともいえるわけです。食道には熱の痛点はないのでしょうね。 ぽこぺろぽさんによれば、熱いものを無理に食べることで食道がんなどの原因になるそうですから、これは忘れてはだめだということです。 当面の危機は回避した。だが、危機の本質はなお存している。おさおさ警戒を怠るな、という想像力の喚起の言葉なのだと思います。 ところで、質問は何ですか?
お礼
ありがとうございます。 次に口に運ぶものも熱いのかもしれませんしね。 >ところで、質問は何ですか? すいません。一行目及び、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の意義についてです。
- kigurumi
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PTSDって痛い思いをしたために、それ以降の行動に制限がかかってしまう障害ですよね。 戦争。多くの人が辛い思いをしたはずなので、人々は戦後引き篭もってしまったか? 物が無い辛い時代を送ったので、物を大事にし、食べ物を大事にするか? お年寄りの多くを見るとと、食べ物を粗末にするわ、好き嫌いは激しいは、物は粗末にするわ、大量消費するわ すごいですよね。 ということは、ほとんどの人々は、どんなに辛い思いをしたところで、それに人生は影響を受けず、本質通りのの行動に戻るってことですよね。 喉元過ぎれば本質に戻る。 中には地震が起ってそれ以降鬱状態になり寝たっきりになる人が起る。 地震が原因ではない。 その人の本質がそうだったから。 地震は誘因にすぎない。 たまたま地震だったが、他の事が原因でも本質である鬱体質が表面化したかもしれない。 多くの人は、もう立ち直れないって状況を経験しても、立ち直っている。 ホメオスタシツがあるから。 ホメオスタシス 恒常性。 人間は本質に戻る性質を持っているわけです。 というわけで、本質が熱さを忘れることができる人が多いため、少数の立ち直れない人を背負って共に未来に驀進できているんじゃないかと。
お礼
ありがとうございます。 どうしようもない本質なわけですか。 だからその状態に帰ってくる。 人が失敗をやらかすのも、馬鹿をやるのも、良い状態に戻るのも。
- cyototu
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貴方の質問を先ず抽象化して、それをまた改めて具象化してみましょう。抽象化とは何かを認識する訓練に成りますから。 「僕は今10才です。13~14歳位になるとある女の子がもの凄く奇麗でこの世の者とも思えない者に見えてきて、その女の子といつの一緒に居たいと思うようになって来ると言いますが、実際にそうですか。」 世の中にな興味のあるいろいろな疑問がありますが、そのなかには人に聞いて教わったり、自分でことさら意識して徹底的に分析しなければ分からないものと、そんなものそのうちに誰でも経験して誰から教わらなくても分かるようになるものがあります。私の先生がおっしゃっていたことですが、「教育とは誰でもほっといてもそのうちに分かるようなことを教えることではない。そのことを教わらなければ、もしかしたらその人が一生気が付かないかも知れないことを教えるのが教育である」とのことでした。この言葉は、教育の一番大事な側面を的確に射ていると思います。 さて、貴方の質問の答えは、「貴方のその質問の言葉が実際しそうであるかどうかは、そのうち貴方が人生を経験して行けば判るようになる」です。人間は年頃になれば恋をするようになるかどうかの質問と同じ様に、その答えを人から一々教わるのではなく自分の経験から見出して下さい。
お礼
ありがとうございます。 私の場合だと忘れる事が多かったですね。 一方で『どうにもならないことは、忘れることが幸福だ』とも思います。
- pokoperopo
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ぽこぺろぽです。反対に「羹に懲りて膾を吹く」っていうこともありますね。これは教訓を得たというよりトラウマとして保存されたといってもいいかもしれません。 せっかく喉元までの熱さを学習して危険を察知しても、その経験の記憶が薄れてしまうからこそ我々は愚かで人間くさいのではないでしょうか?欲があるかぎり愚かさは避けられない、あるいは愚かと知りつつ欲を優先させるからこそ世俗にまみれるのです。 実際に熱い食べ物が好きなことが原因で、食道疾患の罹患率の高い日本人は、おっちょこちょいで忘れっぽい民族です。むしろそのことは日本社会に新たなブームを喚起させては、次のブームの到来を待望させる新陳代謝を促す原動力にもなっています。 しかし懲りない性質とは感覚の鈍麻を招きますから、問題に無関心でいられるという弊害も起こりえます。憲法改正論議がありますが、ひと昔前までは改憲を議論することさえ悪とする勢力がいて、これに倣う国民も少なくありませんでした。外国が攻めて来たら、法律の不備を逆手にとって暴利を貪る者が現れたらどうするのか?それを問うことすらしない国民も多かったのです。 また訓詁学的なお題目を垂れるのが大好きな年寄りの生き甲斐を奪わないためにも、喉元過ぎて熱さを忘れる思慮の浅い若輩者は必要です。かのたさん、いかがでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 羹に懲りて膾を吹く。これもありました。これは、喉元過ぎれば忘れると違う状況ですね。 過ちを繰り返すから人間で、説教する人もいる。 これは仕方ないのかな。人間ですから。 仏の顔も三度までと言いますが、それくらい過ちをしてしまうとも解釈できますね。
- mmky
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>>喉元過ぎれば熱さを忘れるものですか。 個人的には覚えてるものですよ。誰しも一度経験した痛い思いは覚えていて何度もやりませんね。 ただ、それが正確に伝承されないというところにこの諺があると思いますよ。特に後からの者は先の者の意見など聞きませんからね。長老システムはそういう意味では優れているのですが、過去のことばかりでは進歩も無いので後の者の進歩を優先した場合にこの諺があってバランスをとってるのでしょうね。
お礼
ありがとうございます。 mmkyさんは喉元を過ぎたものもちゃんと次回に活かせるんですね。 前の代の経験した苦い経験を軽視しがちで、それを「熱さを忘れる(忘れるな)」という訳ですか。 歴史は繰り返すも、過去の教訓が伝わらないって事かな。
お礼
ありがとうございます。 確かに、失敗を活かせないという悪いイメージが付き纏ってました。 そう言われると忘れないとならない事もありますね。 一々過去の苦しい事や嫌な事に囚われていても有害ですし。 キレイに忘れたようでも少しずつ前進しているのかもしれませんね。